エホバの証人の始まり
ペンシルバニア州のアレゲーニー市ピッツバーグの五番街101番に、チャールズ・ティズ・ラッセルが聖書研究会を立ち上げました。1879年(明治12年)7月に「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」創刊号が刊行されました。
第2号では「『シオンのものみの塔』はエホバがその支持者であるとわたしたちは信じる。そうであるかぎり,この雑誌は人間に支持を乞い求めたり,懇願したりはしない。『山々の金と銀はみな我がものである』と言われる方が必要な資金を供給しないなら,それは出版を中止する時である,とわたしたちは考える」と述べています。
1879年12月から,「1914年」を聖書預言に関して顕著な年として指し示してきました。1886年(明治19年)に、後に「世々に渉る神の経綸」と呼ばれる「千年期黎明」という本を出版しました。
1898年(明治31年)初期のきっかけ
日本に対して、活動が展開された記録は、ホラス・A・ランドルの手紙が掲載された「1898年11月15日号の『シオンのものみの塔』(2391-2392ページ)が最初と思われます。その中で「宣教師やその他のクリスチャン」に「文通や広告」の形で広めたいと述べています。
2年後のランドルの投稿(『ものみの塔』1900年5月15日号150-151ページ)では、「回覧状」を「日本の宣教師へ385通」送ったことが記されています。
その後、『千年期黎明(Millennial Dawn)』を読んだ「A.G.」というイニシャルの日本人の投稿が『シオンのものみの塔』1907年(明治40年)に掲載されます。『日本における真理』というタイトルが付いていました。その後、どのように活動したかは不明です。
ホラス・A・ランドルが本部に宛てた手紙(『シオンのものみの塔』1898年11月15日号2391-2392ページ)
ものみの塔聖書冊子協会
親愛なる兄弟たちへ3、4ヶ月前にニューヨークから上海経由で発送された2箱の本(『千年期黎明』、パンフレット、小冊子)が、当地に無事に届きました。これらは私にとって、極めて貴重な光を運ぶものとして、何よりも歓迎すべきものです。これほど寛大に小冊子を供給してくださったことに、心より感謝申し上げます。すべての人に読んでもらえるよう、最善を尽くすつもりです。
私はこの2年間、「現在の真理」を注意深く研究してきました。最初は批判的な目で見、次に驚嘆し賞賛するようになり、やがてその教えに魅了され、満足を覚えるに至りました。最初は一人で『黎明』を読み、次に妻と読み、現在は子供たちと一緒に読み返しています。これらは私にとって、これまでに味わったことのない霊的な食物であり、まさに「時に及んで与えられる食物」でした。
この証しが神からのものであると確信し、その宴にあずかった今、私は立ち上がって他の人々に仕えたいと願っています。私は1876年から中国でバプテスト派の宣教師をしてきました。中国人の間から、自らを否定してキリストに従う真の弟子を生み出すという点において、これまでの宣教活動が明らかに失敗しているのを見て、私は何度心を痛め、呻いてきたことでしょう。
去る5月、私はあらゆる信条や党派から自由になり、主ご自身の方法で主の業を行うため、伝道局とバプテスト教会の両方との関係を解消しました。
現在の私の願いは、中国、日本、朝鮮、タイにいるすべての宣教師やその他のクリスチャンに手を差し伸べることです。これは文通や広告によってのみ可能であり、私はその両方の方法を用いて、これらの東洋の地に「現在の真理」の知識を広めたいと考えています。この奉仕に必要なあらゆる備えがなされるよう、また「夜明けの光」が多くの心に届くよう、皆様の祈りをお願いいたします。
近づきつつある贖いの希望のうちに、
ホラス・A・ランドル
(1898年11月15日号の『シオンのものみの塔』2391-2392ページ)
ホラス・A・ランドルの2回目の手紙(『シオンのものみの塔』1900年5月15日号150-151ページ)
中国には、芝罘(チーフー/現在の煙台)のダウニング嬢という、現在の真理の唯一の証人が長年おられました。この女性は以前、長老派の宣教師でしたが、1883年頃にたまたま『ものみの塔』誌を目にし、そこに掲載されていた「復帰」に関する記事を読んで、すぐに購読を決めました。彼女は、(『千年期黎明』第3巻の末尾に手紙が掲載されている)フラー氏を導き、『黎明』を研究させるきっかけを作りました。それは彼にとって大きな祝福となりました。彼は1894年に亡くなりました。
山東省の宣教師たちの間で、ダウニング姉妹は風変わりな考えを持つ「変わり者の老婦人」と思われていたようです。しかし、彼女は1892年、私に『ものみの塔』を購読し、『ダイアグロット(訳注:ギリシャ語直訳聖書)』を入手するよう勧めました。私は後者を切望していました。私は『ものみの塔』誌をあちこち少しずつ読みましたが、性急にもこれはある種の「万人救済説」の機関誌であり、自分の正統性を汚したくないと結論づけて、脇に追いやりました。
私は「万人救済説」という言葉を恐れすぎていたのです。今では、ある事柄は普遍的であることを知っています。神の太陽の光は普遍的です。それは北極から南極まで、正しい者の上にも正くない者の上にも降り注ぎます。神の愛も同様です(ヨハネ 3:16)。光と真理もまた、普遍的なものとなるはずであり(ヨハネ 1:9、イザヤ 11:9)、贖いの証しも同様です(テモテ第一 2:6、ヨハネ 12:32)。当時の偏見のせいで、私はさらに4年間、暗闇の中に留まることになりました。
その期間の終わり頃、私はロンドン・タイムズ紙に『千年期黎明(MILLENNIAL DAWN)』の広告が出ているのを見ました。長年、主の再臨に関心を持っていた私は、その本を読みたいという思いが募りました。1896年の夏、ダウニング嬢が第1巻を貸してくれましたが、その一両日後、私の愛する母から(私が頼んだわけでもないのに)英国からもう一冊送られてきました。私はダウニング嬢に彼女の分を返し、芝罘から4日間の道のりにある自分の伝道所へ向かう途中、騾馬の駕籠の中で初めて『世々にわたる神の経綸(THE PLAN OF THE AGES)』を読みました。それは驚くほど私の目を開かせてくれました。そこに啓示されている美しい聖書解説に、私はますます驚嘆しました。
その後、第2巻と第3巻を受け取り、感銘を受けながら読み続けました。同じ年の11月、私は初めてアレゲーニに手紙を書き、『ものみの塔』と、同じ系統のあらゆる情報を求めました。自分で3巻を読んだ後、妻と一緒に、その後は子供たちと一緒に読みました。神は慈しみ深くも、妻と長女の両方を「現在の真理」の喜ばしい受け入れへと導いてくださいました。
1897年、私は宣教師の同僚たちと「裁きの日」の性質について話し始めました。異邦人に対する神の目的――彼らに命に入るための慈悲深く十分な機会を与えること――が、私が夢見ていたよりも無限に壮大で恩恵に満ちたものであることを知り、それが私に強い慰めを与えていたからです。
「三位一体」の問題が持ち上がったとき、一時的にショックを受けましたが、聖書を偏見なく調べるなら、主イエスを聖書が明確に教えている以上の存在に仕立て上げたところで、父をも子をも敬うことにはならないとすぐに理解しました。そして、すべての人が「父を敬うのと同じように子を敬う」べきであるだけでなく、そうあることが父の至高の御意志であると認識しました。
1898年、この証しが神からのものであり、名目上のキリスト教と対立するものであると確信した私は、血肉と相談する必要はないと考え、所属していたバプテスト教会と伝道局の両方を辞職しました。人間の信条や伝統から自由になった私の最初の望みは、私にこれほどの慰めと喜びを与えてくれた真理を他の人々に伝えることでした。
私はいくつかの伝道区域で宣教師を相手に12回ほどの集会を開くことができましたが、極東の宣教師たちに手を差し伸べる主な努力は文通によって行われなければなりませんでした。彼らは数千マイルにわたる地域の中、約500の異なる伝道所に散らばっているからです。この目的のために、私は回覧状を印刷しました(そのコピーは1899年6月15日号の『ものみの塔』誌157ページに掲載されたものです)。
私たちは、これらの手紙の一通一通にさらに手書きで言葉を添え、一つか二つの小冊子を同封して、すべてを封書として発送しました。印刷物として発送するよりも、その方が読んでもらえる可能性がずっと高いと考えたからです。私たちは合計で以下の通り発送しました。中国の宣教師へ1,847通、日本の宣教師へ385通、朝鮮の宣教師へ72通、タイの宣教師へ20通など、合計2,324通です。発送した小冊子の数は約5,000枚でした。
大多数の人々は、私たちの訴えを無視しました。これは十分予想していたことです。多くの人々は、主のために働くことに忙殺されすぎて、主が自分たちに語りかけておられるのを聞くことができないのを私たちは知っているからです。それでも多くの返信が寄せられましたが、その語調や精神はさまざまでした。少なくとも4人が私を「冒涜」で非難しました。ある神学博士は私が正気を失ったと考え、別の人は私が不信仰へと流され始めたと予言しました。ある人々は私が信仰から離れたことを嘆き、また別の親切心からの人々は、福音の単純さに戻るよう懇願しました。しかし、彼らの誰も、私が見つけた「高価な真珠」を知りませんでした。
ある人はこのように書いてきました。「あなたが悪しき者によってこのように惑わされたことを非常に悲しく思います。サタンの手先や『惑わす霊』にならないよう、厳粛に促します。……私たちは危険な時代に生きています。吼え猛る獅子としてだけでなく、光の使いとしても歩き回る彼に注意するよう警告します」。また別の人はこう書きました。「パウロがテモテに言った通り、悪人はますます悪くなり、欺き、欺かれます。ランドル博士、あなたがこれらの悪人に欺かれている一人であると考えると、とても残念です」。これらは二人とも、私が尊敬していた個人的な友人たちですが、今や他の多くの人々同様、疎遠な関係と見なされています。主が彼らを慈悲深く扱ってくださいますように。
一方、感謝の言葉を綴り、収穫のメッセージを受け入れる準備ができていることを示した人々もいました。教育を受けた一人の中国人女性はこう書きました。「あなたが親切に残してくださった小冊子を読みました。最初は興味深く、次に喜びを感じ、長い間感じたことがないほど幸せな気分になりました。読めば読むほどもっと読みたくなり、より多くの光が得られますが、まだ知りたいことがたくさんあります。『千年期黎明』と地獄に関する小冊子が欲しいです。お金の送り方を教えていただければ、とても助かります」。
私たちは合計で90冊の『黎明』と、38冊の地獄や幕屋の影などに関する小冊子を販売しました。4巻セットを購入し、そこに解説されている尊い真理を理解し愛するようになったある若い宣教師は、兄弟団(Brethrenism)から離れ、現在は北中国で独り立ちし、「現在の真理」の証しを行っています。他の4人の宣教師も喜びと益を得ながら『黎明』を研究していますが、彼らにとって容易ではない「バビロン」からの離脱はまだ果たしていません。私はまた、さらなる販売のために上海に25巻を残すことができました。必要であればさらに送ることも可能です。極東における収穫の業が、すべての人が少なくとも「現在の真理」の光についての何らかの証しを受け取るまで、発展し続けることを私は信じています。
信仰の家族の大多数が、収穫のメッセージを聞く耳を持っていないというのは、いかに真実であることか!キリストの最初の臨在の時もそうであったように、今もそうなのです。自らの仕事に没頭し、多くの者が主の名によって宣教し、主のために素晴らしい業を行っていますが(マタイ 7:22)、彼らは昔のパリサイ人のように盲目で耳が聞こえず、天におられる父のご意志を知ることも行うこともしていません。それは実に狭い門であり、細い道であり、命に至る道を見出す者は実に少ないのです。私たちに関する父のご意志が何であるかを常に謙虚かつ熱心に問い続け、キリストのうちに留まって主の霊を受け、そのご意志を行うだけでなく、その中にある慈しみを見極めることができますように。
ホラス・A・ランドル
(『ものみの塔』1900年5月15日号150-151ページ)
ホラス・A・ランドルの「回覧状」
私が5,000部印刷し、中国、日本、朝鮮(韓国)、タイ(シャム)のすべての宣教師に送っている回覧状をご覧になりたいかもしれません。コピーを同封します。
【読者の皆様は、他者に真理を伝えるためのあらゆる努力に関心をお持ちですので、ランドル兄弟の回覧状の全文をここに掲載します。――編集者】
「神とそのキリストのための証人、すなわち、これまでに類を見ないような聖書の真理の解説者が現れました。
問いは、『この人の証しは神からのものか?』ということです。私はそう信じています。彼は自らについては多くを主張しませんが、多くを教えます。彼は、キリスト教世界の矛盾する信条は神と調和しておらず、正統的と見なされている最も大切にされている教理のいくつかでさえ、間違っていると教えています。もしこの人が書いていることが真実であるなら、彼はまさにこの時代のバプテスマのヨハネであり、少なくとも神の子の第二の臨在(『来る(coming)』ではなく『臨在(presence)』)を証しして叫ぶ者の声です。もし彼の解釈が正しいなら、彼は現在『信仰の家族に時に及んで食物を与えている』あの『僕』です。――マタイ 24:45,46。
もちろん、自分が属している以外の教会の教えに誤りを見つけるのは非常に簡単なことです。聖公会は非国教徒を真理の主流から外れた者と見なし、バプテストはメソジストの誤りを認め、兄弟団はこれら両方の教会を非難し、一方で長老派は最後に挙げた者たちを明らかに誤導されていると見なします。このように、多かれ少なかれ、お互い様なのです。最も困難なのは、自分自身のキリスト教的な教理や実践の誤りを見つけ出すことです。私たちは(一般的に言って)皆、自分たちの聖書解釈が正しいと確信しており、自分たちの立場に自信を持っているため、誰かが疑問を投げかけることは、一つの不快な攻撃となります。私たちがどのキリスト教会の部門に属するかは、多くの場合、再開(新生)という事情よりも、肉体的な出生という偶然によって決まります。
キリストが最初に現れた時のイスラエルのケースと同じように、一般に正統と見なされている見解が間違っているという可能性は、果たして皆無でしょうか?『千年期黎明(MILLENNIAL DAWN)』を読んで確かめてください。私たちは、当時のユダヤ人がキリストを拒絶したことは、ひどい間違いだったと考えています。
私たちは、神の意図された通りの真理を正確に把握していると、本当に確信できるでしょうか?『千年期黎明』を読んで確かめてください。『黎明』の著者が間違っているか、私たちが間違っているかのどちらかです。もちろん、性急に『黎明』の著者が間違っているに違いないと結論づけるのは簡単であり、おそらくあまりにも自然なことでしょう。しかし、それらがその通りかどうか、彼の証しと聖書を調べるほうがより安全です。
これまでに存在したあらゆる時代の人々が、その当時に働いていた神の御手を見損なってきたことか。ノアの日のようであった通り、人の子の来る(臨在の)日もそのようになるのです。神はご自身の証拠を奇妙な方法で与えられます。断じて、一般的に期待されているような方法ではありません。
それゆえ私は、神の真理という純金を持つことを切望するすべての人に対し、この神の僕が書いたものを調べるよう切に願います。最も重要なのは『千年期黎明』の4巻であり、そこには来たるべき神の王国の性質、状況、そして時期が示されています。人によっては、あまり深く考えずにこれを軽く投げ出してしまう(6年前の私自身がそうしたように)傾向があるかもしれません。どうかそうしないでください。もしあなたが神の真理、すなわち生けるパンに飢えているなら、少なくとも『千年期黎明』の第1巻を注意深く読んでください。」[署名]
私は地元の印刷物でも『黎明』の広告を出しており、他の方々を真理の光と喜びへと導くために用いられるのであれば、それで満足です。私は宣教師たちに数冊の『黎明』を販売しましたが、今週、数週間前に第1巻を購入した方から非常に励みになる手紙を受け取りました。彼はこう書いています。
「『千年期黎明』の他の3巻も送ってください。第1巻を読んで深い関心を持ちました。神の恵みによって、どんな犠牲を払っても、これらの問題の底まで突き止める決意です。もし『黎明』の教えが神の言葉に従ったものであるなら、私たちがどれほど完全に間違っていたかを告白し、歩みを戻すには、心の謙遜さが必要となるでしょう。」
一方で、多くの人がこれに反対して語り、中には激しい言葉を浴びせる人もいますが、それは(大部分において)噂を聞いただけの人か、表面的な読み方しかしていない人たちです。しかし、真理を受け入れる人が少なかろうと多かろうと、私たちの強い確信は、神がイザヤ書 55章11節で明確に述べておられる、ご自身の言葉に関する目的の中にあります。
私の妻と長女も、今輝いている神の真理の光のうちに私と共に喜んでいます。私たちは、あなたと、あなたの同労者たち、そして現在の真理を愛するすべての人々のために、顕現の時まで神が慈しみ深く私たち全員を保護してくださるよう祈っています。
キリストへの愛と奉仕のうちに。
ホーレス・A・ランドル――中国
「A.G.」による手紙
親愛なるラッセル氏
神は新年の初めに、私に献身を新たにし、さらなる光を求めて祈る静かな時間を与えてくださいました。その祈りへの答えとして、私はあなたの著書『千年期黎明(Millennial Dawn)』の第1巻を読むことになったと信じています。その本は8年間も私の本棚で無視されたまま置かれていました。私は驚きをもってそれを3回通読しました。神の言葉から真理がいかに輝き出ていることか!
私は25年近く、西日本長老派ミッションのメンバーでした。私はすでにニューヨークの外国伝道局と地元の教会に、自分の見解が変わったことを手紙で伝えました。これは分離(脱退)を意味することになるでしょう。私には義務と特権が以前よりもずっと明確に見えているからです。
私は3つの選択肢を考えています。
(1) 伝道局から帰国費用を受け取ってアメリカに戻り、そこでコルポーター(文書伝道)活動に入る。
(2) 日本に留まり、自活しながらこれらの真理を教える。しかし、これでは活動が限定的になります。
(3) アメリカからの財政的支援を受け、日本に留まって『神の経綸(The Plan of the Ages)』や冊子の翻訳・出版を監督する。
翻訳は私の知人である文学的才能と翻訳経験のある日本人クリスチャンが行うことができます。彼の提示額(50ドル)はプロの半額です。日本には(1906年の統計で)4万4228人のプロテスタント信者がいます。その中には、御国の事柄をより良く理解したいと切望している、神の謙虚な子供たちがいるはずです。
敬具、A. G.(日本)
ラッセル兄弟の世界一周旅行日程
12月の第1日曜日にニュージャージー州ニューアーク、およびブルックリン・タバナクルの会衆での奉仕を終えた後、ラッセル兄弟は直ちに世界一周の旅に出発します。
「シオンのものみの塔」紙面上に掲載されものと、「SOUVENIR NOTES BIBLE STUDENTS’ CONVENTIONS」という年次報告の1911年と1912年に掲載されました。L. W. ジョーンズ博士の手紙とR・ロバート・ホリスターによる報告があります。
日本への船旅は、東洋汽船の「春洋丸」が使われました。1911年(明治44年)12月30日に横浜に到着し、東洋汽船の浅野総一郎(Soichiro Asano)に、自邸「紫雲閣」に招かれます。日程を見ると、かなりタイトスケジュールですが、入念な準備がなされ、必要な調査や分析がなされていたことが分かります。その後、担当の責任者に委ね、進捗を見守っていくという組織的な方法が取られています。
1911年(明治44年)
- 12月5日(火) セントルイス(ミズーリ州)着。ペンシルバニア鉄道 …… 午前8:30
- 12月5日(火) セントルイス(ミズーリ州)発。M.K.&T.鉄道 …… 午前10:05
- 12月6日(水) ダラス(テキサス州)着。M.K.&T.鉄道 …… 午前9:10
- 12月6日(水) ダラス(テキサス州)発。M.K.&T.鉄道 …… 午後8:00
- 12月7日(木) サンアントニオ(テキサス州)着。M.K.&T.鉄道 …… 午前7:30
- 12月7日(木) サンアントニオ(テキサス州)発。南太平洋鉄道 …… 午後8:30
- 12月10日(日) ロサンゼルス(カリフォルニア州)着。南太平洋鉄道 …… 午前6:30
- 12月10日(日) ロサンゼルス(カリフォルニア州)発。南太平洋鉄道 …… 午後7:30
- 12月11日(月) フレズノ(カリフォルニア州)着。南太平洋鉄道 …… 午前7:00
- 12月11日(月) フレズノ(カリフォルニア州)発。南太平洋鉄道 …… 深夜12:30
- 12月12日(火) サンフランシスコ(カリフォルニア州)着。南太平洋鉄道 …… 午前7:50
- 12月13日(水) サンフランシスコ発。蒸気船「春洋丸」
- 12月19日(火) ホノルル(ハワイ)着。蒸気船「春洋丸」
- 12月30日(土) 横浜(日本)着。蒸気船「春洋丸」
- 12月31日(日) 東京(日本)。帝国鉄道
1912年(明治45年)
- 1月1日(月) 東京(日本)発。帝国鉄道
- 1月2日(火) 神戸(日本)発。蒸気船「春洋丸」
- 1月4日(木) 長崎(日本)発。蒸気船「春洋丸」
- 1月6日(土) 上海(中国)発。蒸気船「春洋丸」
- 1月9日(火) 香港(中国)着。蒸気船「春洋丸」
- 1月10日(水) 香港発、マニラへ。蒸気船
- 1月14日(日) マニラ(フィリピン諸島)にて
- 1月16日(火) マニラ(フィリピン諸島)発。蒸気船
- 1月20日(土) 香港(中国)発。P&O汽船
- 1月25日(木) シンガポール(海峡植民地)発。P&O汽船
- 1月27日(土) ペナン(プリンス・オブ・ウェールズ島)発。P&O汽船
- 2月1日(木) コロンボ(セイロン/現スリランカ)着。P&O汽船
- 2月3日~9日 トラヴァンコール地区(インド)訪問
- 2月11日(日) マドラス(インド)にて
- 2月12日(月) マドラス(インド)発、カルカッタへ(ジャガンナート経由)
- 2月18日(日) カルカッタ(インド)着
- 2月19日(月) カルカッタ(インド)発、ラクナウおよびアグラ経由でボンベイへ
- 2月24日(土) ボンベイ(インド)発。P&O汽船
- 2月29日(木) アデン(アラビア)発。P&O汽船
- 3月3日(日) (スエズにて下船、鉄道でカイロへ)
- 3月5日(火) カイロ(エジプト)発。鉄道 …… 午前9:30
- 3月5日(火) アレクサンドリア(エジプト)着。鉄道 …… 午後12:45
- 3月6日(水) アレクサンドリア(エジプト)発。ケディビアル汽船 …… 午後4:00
- 3月8日(金) ピレウス(ギリシャ)着。ケディビアル汽船 …… 午前10:00
- 3月9日(土) アテネ(ギリシャ)にて
- 3月10日(日) コリント(ギリシャ)にて
- 3月11日(月) コリント(ギリシャ)発。鉄道 …… 午前10:25
- 3月11日(月) パトラ(ギリシャ)着。鉄道 …… 午後3:45
- 3月11日(月) パトラ(ギリシャ)発。蒸気船 …… 午後7:00出港
- 3月13日(水) ブリンディジ(イタリア)着 …… 午後3:00
- 3月13日(水) ブリンディジ(イタリア)発。鉄道 …… 午後4:55
- 3月14日(木) ローマ(イタリア)着。鉄道 …… 午前9:35
- 3月14日(木) ローマ(イタリア)発。鉄道 …… 午後11:50
- 3月16日(土) パリ(フランス)着。鉄道 …… 午前6:45
- 3月16日(土) パリ(フランス)発 …… 午後1:00頃
- 3月16日(土) ロンドン(イギリス)着 …… 午後10:00頃
- 3月17日(日) ロンドン(イギリス)にて …… 1週間滞在
- 3月23日(土) ロンドン(イギリス)発、アメリカへ
- 3月28日(木) ニューヨーク市着。蒸気船「モーレタニア号」
- 3月31日(日) ニューヨーク・ヒポドロームにて。公開講演 …… 午後3:00
- 3月31日(日) ブルックリンにて。記念式(主の晩餐) …… 午後7:00
参考資料

春洋丸(浸水明治44年2月18日、竣工明治44年8月15日)
日本における宣教活動に関する報告(宣教調査委員会報告)
私たちは日本人を非常に興味深い民族であると感じた。日本国内をおよそ700マイル旅し、合計450万人ほどの人口を抱えるいくつかの都市を訪問したが、それは日本の総人口の約10分の1にあたる。日本の人々は勤勉で、平和を愛し、礼儀正しく、互いに、そして外国人に対しても親切であった。私たちの訪問時期はちょうど休日の季節であり、彼らの習慣では酒に溺れることも許される時期であったにもかかわらず、広範囲に散らばって観察した私たちの一行が見つけた酔っ払いはわずか12人で、そのうち3人はヨーロッパ人であった。
親の子に対する愛情と気遣いはどこでも見受けられた。親が子どもに対して、また誰に対しても、激しい叱責の言葉を耳にすることはなく、口論もただ一度、小さなものを目撃しただけだった。皆がそれぞれ自分の務めに励み、幸福そうであった。私たち一同の感想は、「欧米でも同じような状況であればどんなに良いだろう」ということであった。また、冒涜的な言葉遣いはまったく見られず、調べたところ、日本語には冒涜語がなく、最も強い表現でも「バカ(馬鹿)」、すなわち「愚か者」であるとのことだった。
しかし私たちは、欧米で頻繁に見られる不満、不幸、衝突、粗暴さ、そして騒々しさがキリスト教のせいだとは結論しなかった。むしろ、神の摂理により福音のメッセージが、より粗野で戦闘的な気質を持つ民族に向けて送られたのだと推測した。こうした民族は、キリスト教の文字や形式をある程度受け入れたものの、その内にある柔和、温順、忍耐、寛容、兄弟愛、そして愛といった精神までは十分に受け入れなかったのである。さらに私たちは、日本人がキリスト教の文字と精神を受け入れたならば、欧米人よりも霊の実を育むことにおいて困難が少ないだろうと考えた。なぜなら彼らは元来、柔和、忍耐、そして兄弟愛により適した気質を持っているからである。
宣教活動の実情について
こうした日本人への観察から、これらの状況にキリスト教がどれほど関係しているのか、日本がどの程度キリスト教化されているのかについて、より深い関心を抱いた。東京での調査がその一例となるだろう。私たちの委員会は9つの宗教集会に出席し、さらにラッセル牧師が語った2つの集会にも参加した。9つの集会の平均出席者数は59名で、最少9名、最多250名(牧師を含む)であった。そのうち2つの集会は英語で行われ、その他は日本語で日本人の牧師が講話を行った。
英語による説教のひとつは進化論に関するものであった。多くの日本人が英語を理解するにもかかわらず、英語の説教にはほとんど出席せず、私たちが出会った唯一の出席者は、どうやら使用人らしい人物であった。日本語による集会では、出席者の大多数が非常に敬虔な態度を示し、またその3分の2が男性であったことに、私たちは非常に良い印象を受けた。私たちは、この7つの集会で観察した431名の日本人礼拝者の敬虔さを評価し、この宣教地で働く労働者たちの努力を称えた。もちろん、外面的な態度だけでは心の内を正確に判断することはできないが、敬虔な態度と注意深い姿勢は大いに評価に値するであろう。
励ましと落胆
しかし宣教師たちが大きな落胆を感じていることは明らかであり、それも無理はなかった。私たちの調べによると、彼らの働きは20年前までは大きな進展を見せていたが、それ以降、欧米と同様に、日本全体に不信仰の波が広がっていた。今日、日本人の心は、欧米の人々と同じように、多くの疑問符で満たされている。つまり不可知論の精神がますます広がっているのである。この傾向は宣教活動やその成果だけでなく、仏教や神道にも影響を及ぼしている。近年建てられた仏教寺院は壮麗であり、また横浜近くに新たな寺院を建てるために100万ドルが集められたが、それでも仏教は衰退しており、祈りや参拝のために寺院を訪れる者は以前より少なく、その大半は教育の少ない層であるとされている。現在の日本の宗教的傾向は、不信、疑念、そして無神論へと向かっている。
東京大学の3つの学校で最近行われた宗教意識調査では、次のような結果が出ている:
キリスト教徒4名、仏教・儒教・神道17名、無回答46名、無神論者60名、不可知論者282名、合計409名。これは恐ろしい状況であり、欧米の多くの大学でも同様であると私たちは危惧している。日本のキリスト教は、欧米と同じ状況にある。
- 敬虔な真の礼拝者は存在するがごく少数である。
- より多くの者は、夜学やYMCAの体育館といった利点を求めて関わっているだけである。
さらに、心では不可知論者であっても、イエスを孔子や釈迦と並ぶ偉大な教師として尊敬し、キリスト教が日本の文明の発展に寄与したことを認めている者もいる。しかし彼らはイエスの贖罪に関する理解は持たず、宣教師の働きが妨げられることを望まないものの、信仰には至っていない。日本ではキリスト教も、他のあらゆる宗教と同様、防御の立場に追い込まれている。
教義を受け入れる前に証拠を求める日本人
日本人の活発な思考は、仏教が神や来世についての問いに答えられないことを理解しており、伝道者や日本人キリスト教徒に質問を投げかけるが、満足な答えが得られていない。そのため、彼らは距離を置きつつこう考えている:
「すべての宗教には良い点があるかもしれない。しかし、どれも多少の誤りや迷信を含んでいるようだ。外国人が我々のために尽力し、莫大な資金を教会や学校に投じてくれたことには感謝しているし、迷信から解き放ってくれた点でも役立っている。我々は彼らの学校に通い、親切に応じるが、イエスを救い主とは信じない。ただの偉大な教師として認めるのみである。洗礼が人格にどう影響するというのか。仏教から得られる道徳教訓とキリスト教のそれに大差があるとは思えない。確かな真理があるか疑わしいので、我々は距離を置くことにする。」これは、キリスト教世界の世間一般の態度とよく似ている。
東京ではメソジスト派が大規模な教育活動を行っており、スペンサー博士によれば、女子350名、男子550名が在籍しているという。設備も良いとのことである。欧米の中下層の若者もこのような環境に恵まれればよいと思われた。
宣教師たちは熱心に働いているものの、大いに落胆しているのが見て取れた。それも当然である。外部の報告によれば、教派間の対立や嫉妬にも似た競争が存在するが、現在は宗教連盟を結成しようとする動きもあるとのことだった。宣教師たちは、学校やその他の働きにおいて、主に道徳教育を重視し、イエスの贖罪やその他の教義についてはほとんど語らないのが実情である。もしそうした教義に重点を置けば、教育目的で学校に通う生徒が離れてしまうからである。
私たちは、日本の宣教師たちが過去に成し遂げた働きを称え、現在の落胆と厳しい状況に共感する。日本に必要なのは「御国の福音」であり、栄光のメシアとしてのキリストの再臨を告げ知らせ、すべての家族を治め、癒し、教え導くというメッセージである。ラッセル牧師の説教は、日本人にとってこれまでにない深い思索の材料を提供した。
締めくくり
委員会は、ビルマ、アフリカ、オーストララシアを訪れる時間がなかったことを報告し、これらの地域の調査のために別の委員会を派遣することが望ましいと述べた。あなた方の提案に基づき、ラッセル牧師はインドの主要6言語(ヒンドゥスターニー語、グジャラート語、マラヤラム語、テルグ語、マラーティー語、タミル語)による無料文書の出版を手配した。この働きはすでに進行中であり、中国語と日本語についても同様の計画が進められている。300万部の文書を発行し、現地の協力者を通じて配布する費用は、協会が認可した7,000ドル以内に収まる見込みである。
最後に、委員会は、この任務を果たすために最善を尽くしたことを報告し、この働きの機会を与えてくれた神と協会に感謝を捧げた。
C. T. ラッセル(会長)
W. P. ホール(将軍)
F. H. ロビソン(書記)
J. T. D. パイルズ
E. W. V. クーン
R. B. マクスウェル
L・W・ジョーンズ博士
補足資料

後列左から:E. W. V. クーン、W. P. ホール、R. B. マクスウェル、J. T. D. パイルズ
前列左から:L・W・ジョーンズ博士、C. T. ラッセル、F. H. ロビソン

(写真の説明)Pastor Russell Sitting. Left to Right, Standing: E. V. W. Kuehn, Dr. L. W. Jones, Genesis W. P. Hall, Prof. F. H. Robison, R. B. Maxwell, J. T. D. Pyles

本文中の「スペンサー博士によれば」の言及は、「Japan mission of the Methodist Epsicopal Church」の著者デービッド・S・スペンサーから、東京の青山学院と青山女学院の生徒数の最新情報を入手したと思われる。
L. W. ジョーンズ博士の旅行日誌:第1信

アメリカへの別れ
1911年12月31日、火曜日
私たちがアメリカを離れ、極東へと向かい、インドやエジプトなどを経由して急ぎ帰路につく偉大なる日がやってきました。乗船の手配がなされたのは、日本の船「春洋丸」で、その名は「大海の春」を意味します。天気はまるで7月のようで、空気は爽やか、空はインディゴブルーに澄み渡っていました。埠頭には一行を見送るために約50人の友人たちが集まっていました。
その他にも、他の乗客の友人など多くの人々がいました。友人たちは船内に上がり、これから数週間私たちの家となる場所を見学しました。彼らはラッセル兄弟に多くの花束を贈り、彼の寝台を花で飾り、数箱のキャンディなどを贈りました。これらはすべて、彼の働きに対するキリスト教的な愛と尊敬の証でした。船を降りる直前、彼らは客室の前に集まり、「また会う日まで(God be with you till we meet again)」を歌いました。それに応えて、ラッセル兄弟は短い祈りを捧げ、全員に別れの祝福を与えました。
午後1時に抜錨すると、埠頭を埋め尽くした群衆が、乗船している友人たちに向かってハンカチを振りました。非常に感動的な光景でした。私たちはすぐに「ゴールデンゲート(金門峡)」を通過し、平均水深2マイル(約3.2km)、幅6000マイル(約9600km)の広大な太平洋へと出ました。これは「神の慈しみには、海の広さのような広がりがある」という賛美歌や、「主の愛は最も深い海よりも深い」という歌、そして「水が海を覆うように、主の栄光を知る知識が全地に満ちる」という聖句を思い出させました。
春洋丸
その後、全員が客室に入り、約4週間の船旅のための荷整理を始めました。この船は比較的新しく、全長550フィート(約168m)、幅63フィート(約19m)、深さ38.5フィート(約12m)です。今回が3度目の航海となります。
このような船の中では、望みうる限りのあらゆる快適さと設備に囲まれています。広々としたダイニングサロン、社交ホール、図書室、そして蒸気船での快適さに不可欠な、換気の良い広い客室とバスルームがあり、旅行者は近代生活の贅沢を何一つ置いてきていないと感じるほどです。

(写真説明:装飾されたラッセル牧師の客室)
船長はイギリス人、事務長、一等航海士、司厨長、医師はアメリカ人ですが、他の士官は日本人です。他の乗組員もほとんどが日本人で、一部が中国人です。最初は周囲にこれほど多くの日本人や中国人がいることを奇妙に感じましたが、今ではすっかり慣れてしまい、何とも思いません。食堂は非常に素晴らしく、献立は精巧で健康的です。

(写真説明:日本の蒸気船・春洋丸)
ラッセル兄弟はすぐに仕事の準備を整え、口述筆記を始めました。彼は時間を無駄にすることを嫌い、皆にとって素晴らしい模範となっています。他のメンバーは、デッキを散歩したり、読書をしたり、あるいは海が穏やかであっても少し気分が悪くなったため、ゆったりと過ごしたりしていました。しかし、夕食には全員が揃い、人によって程度の差はあれ、食事を楽しみました。船内のすべてが非常に素晴らしく、食事も美味しく、客室もかなり広く、事実、船全体の設備は一級品です。大西洋航路の巨大ライナーほどではありませんが、多くの点でそれらに匹敵します。
迅速で安価、かつ贅沢な旅行ができる現代において、世界一周の旅は、かつて祖父母の世代が畏怖したようなものではなく、今や学者、政治家、実業家にとって教育の不可欠な一部と見なされています。

(写真説明:日曜朝の検閲)
海上での日々はどれも似通っており、視界には水しかありません。他の船とすれ違うこともありません。日中、ラッセル兄弟は私やロビソン兄弟への口述筆記で忙しくしています。他の委員会メンバーは毎朝集まり、クーン兄弟の司会で「夜明けの研究(Dawn Study)」を行っています。時折、他の乗客も参加しますが、聴く耳を持つ人はごくわずかです。時折、風が強まり海が荒れると、多くの乗客の姿が見えなくなります。私は体調が良く、一度も食事を抜いたり、戻したりすることはありませんでした。
ダイニングサロンは、度々訪れる楽しみな場所です。潮風とデッキでの運動(この船ではデッキを8周すると1マイルになります)、そして良い仲間に恵まれる喜びは、旅行者の食欲を増進させます。整えられたテーブル、真っ白なダマスク織の布、銀食器、そして清潔な白衣を着た東洋人の給仕によって運ばれる芸術的な料理は、喜びと満足をもたらしてくれます。
1911年12月14日。水曜日。非常に晴れていますが、少し肌寒いです。あと1、2日すれば暖かい気候になると言われています。現状では、室内であっても、特にデッキの上ではオーバーコートが重宝します。全員がぐっすり眠れたようです。朝食に妥当な時間に起きてきた者もいましたが、しばらく待った後、半日ごとに時間が約30分戻っていることを知りました。つまり、実際には30分早かったのです。現在、ここではニューヨークより3時間半、シカゴより2時間半早くなっています。私たちは常に太陽から逃げるように進んでいるからです。もうすぐ、ある線を越えると、丸一日を失う場所に来ると言われています。言い換えれば、その時「今日」は「昨日」になるのです。
ラッセル兄弟と二人の速記者は午前中ずっと忙しくしていましたが、他のメンバーは旅行中に全巻読み終えることを目指して『聖書研究』を読み始めました。今は午後です。二人の欠席者を除き、全員がランチに揃いました。料理は日本人と中国人の給仕によって見事に準備され、提供されました。日本人は白いジャケットを着ていますが、中国人は床まで届く長い青いエプロンを着用しています。弁髪(キュー)がある人もいれば、切ってしまった人もいます。彼らは私たちの言うことをよく理解しているようですが、彼らの言うことはあまり理解できません。もちろん、彼らが母国語で話している時は全く分かりません。
太平洋上の日曜日
ホノルル接近中
春洋丸のスミス船長からの特別な要請により、ラッセル牧師は11時から12時まで礼拝を執り行いました。委員会メンバーや同行者のほか、多くの乗客が出席しました。アーネスト・クーン兄弟がピアノを弾き、会衆全員で合唱しました。礼拝は「救いの主なるイエスの名を(All Hail the Power of Jesus’ Name)」の合唱で始まりました。
ラッセル牧師による祈り。
賛美歌「教会の唯一の土台(The Church’s One Foundation)」。
ラッセル牧師による詩編27編の朗読。
賛美歌「いかに固き土台(How Firm a Foundation)」。
聖句:
「あなたの指のわざなる天を仰ぎ見て、あなたが備えられた月と星とを思うに、人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか。人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。あなたはこれを天使よりも、わずかに低く造って、栄光とほまれの冠をいただかせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下に置かれました。すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通るものまでも。われらの主、エホバよ、あなたの名は全地にわたっていかに尊いことでしょう。」(詩編 8:3-9)
人間に関する預言者の示唆は、あらゆる知的な存在が抱く疑問であると私たちは信じています。広大な大海原を見渡し、その上を進む私たちの船を見る時、人間とはいかに小さな存在か、宇宙の中のいかに小さな点に過ぎないかと考えさせられます。天を仰ぎ、それが神の力のいかに多くを表しているかを悟る時、私たちはさらに驚かされます。
天を考察し、自らの系に属する惑星以外のこれらの星々が実際には太陽であり、それぞれの太陽の周りを私たちの地球のように惑星が回っていることを知る時、そしてそれらの太陽と惑星の数を思う時、私たちは驚嘆し、自らの小ささをいっそう痛感します。天文学者にそれらの太陽の数を尋ねると、見える範囲だけで1億個あり、それぞれの太陽に平均10個の惑星があるとすれば、10億個の惑星があることになります。さらに彼らは、その最も遠い星に立ったとしても、その先にさらに同じ数だけの星が広がっているだろうと言います。
神の指のわざである天を思い、その前での人間を思う時、私たちの心は畏怖の念に打たれます。神の目から見た人間が、考慮に値しない「秤の上の塵」のようなものであるという聖書の記述が理解できます。食料品店で店主が秤の皿にある塵に注意を払わないのを見たことがあるでしょう。偉大なる神である創造主の目には、人間はそれほど小さな存在であり、神が人類に何らかの関心を抱かれること自体が不思議に思えます。
親愛なる友人たちよ、聖書がなければ、神が私たちに関心を寄せておられるという知識を得ることはできなかったでしょう。神はあまりに偉大で、私たちを顧みることなどないと思ったかもしれません。しかし、神が聖書を通じてご自身を啓示される時、これらすべての世界の創造に神の力が現されているだけでなく、神の私たちへの扱いの中にも神の力が現れており、さらに聖書が言うところの「あらゆる知覚を超える」神の愛も現れていることが分かります。創造主が私たちを顧みてくださるとは、なんと素晴らしい謙卑でしょうか。
しかし、テキストはさらにこの主題についての情報を与えてくれます。「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか……あなたはこれを天使よりも、わずかに低く造って」。わずかに低い、というのがその思想です。聖書によれば、天使には様々な階級があり、高い者も低い者もいますが、皆完全です。そしてこの世界には、野の獣、海の魚、空の鳥といった様々な動物の秩序があり、人間はそれら地上の存在の中で最高位にあり、神が全宇宙に対してそうであるように、人間はこれら下級の生き物に対して君臨する存在です。これこそが、偉大なる創造主が人間の造物に授けられた名誉です。
ですから詩編には、「これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下に置かれました」とあるのです。この観点からすれば、人間とはなんと素晴らしい創造物でしょうか! 地上との関わりにおいて、その性質は天使よりわずかに低いとはいえ(天使の方がその性質においてはより優れていますが)、この詩編において人間は「統治権」を持っているという点で優れていると述べられています。天使は他の天使を統治することはありません。皆、偉大なる創造主である神に従っています。しかし人間は、創造主の似姿として、下級の生き物に対する統治権を与えられており、その点において素晴らしい名誉の冠を授けられているのです。
このように神が人類を大切にし、人間の造物を高く評価しておられるのであれば、なぜこの世界にさらに良い備えをしてくださらなかったのか、という当然の疑問が湧くかもしれません。なぜ、私たちは今、このような好ましくない状況下に置かれているのでしょうか。なぜ悲しみ、痛み、嘆き、叫び、死があるのでしょうか。なぜ嵐や、暴風、サイクロン、竜巻、飢饉、干ばつ、疫病があるのでしょうか。もし神が造物である私たちをこれほど大切に思っておられるなら、なぜこれらすべてがあるのでしょうか。
聖書がなければ、これらの質問に答えることはできません。この「本の中の本」である素晴らしい書物の中に、答えの鍵、その説明があります。それはこうです。元来、神は人間がこれらの困難や災難に遭わないように備えておられました。人間は完全に造られ、エデンの東にある完璧な庭園という、完璧な環境の中に置かれました。そこには人間の幸福に必要なすべてが揃っていました。嵐もなく、病気もなく、困難もありませんでした。人間自身も永遠に生きることができたはずでした。それが人間の神の子に与えられた素晴らしい統治権だったのです。
では、なぜ変化が生じたのでしょうか。この素晴らしい本は、その変化はすべて「罪」の結果であると答えています。聖パウロは「一人の人の不従順によって、罪が世に入った」と言っています(それ以前には世に罪はありませんでした)。「そして罪の結果として死が来た」。罪が来るまで、人間が死ぬことはありませんでした。したがって、私たちが経験するあらゆるうずき、痛み、悲しみ、病気はすべて、この「死のプロセス」の一部なのです。
ですから、親愛なる友人の皆さん、私たちの問題は、生まれながらにして「怒りの子」であるということです。神の怒りとは拷問のことでしょうか? 決してそうではありません。それはおそらく、善意であったとしても、私たちの先祖から受け継がれた誤った考えです。違います。パウロが「神の怒りは啓示されている」と宣言しているように、神の怒りは至る所に見られます。私たちの身体、うずきや痛み、精神的・肉体的・道徳的な不完全さの中にです。これらはすべて罪に対する大いなる刑罰の一部です。人間が違反者となった時、神は聖なる天使を遣わして、私たちの最初の両親をエデンの園から追い出されました。彼らを完全な状態に維持するための命の木から引き離し、未完成の地球へと追い出したのです。
地球全体を完璧に造ることも容易にできたはずですが、神はそれを未完成のまま、人間のための準備が整わない状態にしておかれました。ただエデンの東に、最初の両親の試みのために庭園を準備されたのです。神の知恵は人間が罪を犯すことを予見しておられたため、エデンの園を除いて、地球全体を完全な状態にはされませんでした。ですから、神が最初の両親をエデンの園から追い出された時、「地は……呪われる(私が不適なものにするのではなく、すでにそうなっているという意味)」と言われたのです。「地は、あなたのために茨とあざみとを生じ、あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から取られたからである。あなたはちりだから、ちりに帰るのである。」
言い換えれば、親愛なる友人たちよ、私たちの種族に対する大いなる刑罰は「死刑」なのです。「あなたはついに死ぬであろう(死にゆく中であなたは死ぬ)」(創世記2:17)。これは、罪が世に入った時から6000年の間、人類の上にあります。ですから、アダムの時代から今日に至るまで、歴史のすべてのページは罪と悲しみ、痛みと嘆きで記されています。なぜなら、私たちは皆罪人であり、罪人であるがゆえに、神はご自身の目的に従って私たちを「死にゆく中で死ぬ」ものとして扱っておられるからです。
しかし、これは事柄の悲しい側面です。別の側面はないのでしょうか。私たちに希望はないのでしょうか。同じ祝福された本、聖書が教えてくれます。「良き訪れ」を意味する福音のメッセージは、神が死の宣告を下した人々に対して、何か良い知らせを用意しておられることを伝えています。私たちは尋ねます。「その良いメッセージとは何ですか」。聖書は答えます。私たちを永遠の命に不適格として宣告された方が、私たちの救いのために備えをしてくださった、ということです。神の御子が私たちの救い主(贖い主)となり、キリストが「義なる方が不義なる者のために」死ぬことで、すべての人を神との調和に戻してくださるというのです。
「でも、イエスが死んだのは1800年以上も前ではないか」と言われるかもしれません。その通りです。そして今も当時と同じように罪と死が支配しているではありませんか。はい、そうです。では、イエスを通じて受けた祝福はどこにあるのでしょうか。私たちはこう答えます。二重の祝福が用意されているのです。第一に、神の民の一部が享受している「希望」の祝福、すなわち、神の定めた時に神がこの福音のメッセージが語る大いなる祝福をもたらしてくださるという「知識」の祝福です。
福音のメッセージとは何ですか?
それは、神が救い主を備えられたことで、死者の復活があるということです。彼らは死んだままではなく、よみがえるのです。新しい時代、罪と悲しみがすべて拭い去られる栄光ある朝がやってきます。聖書はその時について、もはや嘆きも、叫びも、死もないと保証しています。以前のもの、罪のもの、死のものはすべて過ぎ去るからです。
では、罪と死を打ち倒し、人類を死から、罪と弱さと不完全さから引き上げ、元に戻すことができるほど強力なのは誰でしょうか。聖書はその方は、神の玉座に座しておられる偉大なる方であると答えています。「玉座に座っておられる方が言われた。『見よ、わたしはすべてのものを新しくする』」。しかし、これは誰のことでしょうか。それは、神の恵みによって私たちの救い主となられた、あのイエスご自身です。
彼は「王の王、主の主」となり、海から海まで、川から地の果てまで統治されます。その王国の祝福された影響の下で、神の完全な祝福が再び地上にもたらされるのです。「盲人の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳はあけられる」。主の栄光が現され、すべての人が共にそれを見るのです。これらは預言者の言葉であり、私たちが罪から離れ、ますます神の子となれるよう、私たちの希望と心の支えのために与えられたものです。
私たちは世(人類)について、そしてメシアの王国、すなわちイエスが「御国が来ますように。み心が天に行われるように、地にも行われますように」と祈るよう教えられた神の御国によって、いかに世が祝福されるかについて話してきました。しかし、私たちはまだこれらすべてが成就したのを見てはいません。人類が完全に戻されたのも、福音の大いなる業が人々の間で達成されたのも見ていません。しかし、この主題について使徒の言葉があります。
彼は、まだすべてのものが人間に服従してはおらず、不調和であると言いました。しかし使徒は、神の業の始まりは見えていると言います。神の恵みによってすべての人のために死を味わってくださったイエスが見えるのです。友人の皆さん、それだけではありません。1800年以上が経過しました。イエスが死を味わっただけでなく、多くの人々が、キリストの花嫁、すなわち「長子の教会」の一員となるよう召しに応えて死に入っています。これは私たちが2番目の賛美歌で歌った教会のことです。
「教会の唯一の土台は、主イエス・キリスト。彼女(教会)は水と御言葉による、主の新しい創造。天から主は来たりて、聖なる花嫁として彼女を求め、自らの血をもって彼女を買い取り、彼女の命のために死なれた。」
人類の救済における神の最初の業は、キリストと共に栄光と誉れと不滅性を分かち合うために、キリストの花嫁である教会を集めることです。私たちはこのクラスの一員でありたいと願っています。このクラスに属する人々には、彼と共に「第一の復活」に預かり、その後、地上のすべての家族を「復興」によって祝福するという偉大な約束が与えられています。
人類の世は、アダムが持ち、そして失ったものすべてを回復することになります。それらすべてをイエスはカルバリ(ゴルゴタ)で購われました。そして、世から召し出された聖なるクラスである教会が、彼と共に働きます。イエスの言葉にある通りです。「第一の復活に預かる者は幸いな者、聖なる者である。これらに対して、第二の死は何の権威も持たない。彼らは神とキリストの祭司となり、千年の間、彼と共に統治するであろう」。
メシアが統治する千年間、世界が向上する千年間、サタンが縛られる千年間、知識が全地に満ちる千年間、世界がエデンの園によって象徴されていた楽園の状態に戻される千年間です。そして、天と地、そして地の下にいるすべての被造物が、神と、玉座に座る方と、小羊に対して、永遠に賛美を歌うあの栄光ある状態へと導かれるのです。

(写真説明:ホノルル港)
しかし、もう一つの側面があります。教会の栄光への高揚と、メシアの王国を通じた世の祝福、そして地球が神の楽園になることを告げる同じ聖書は、罰せられるべき「矯正不能な者たち」についても語っています。神についての十分な知識を与えられ、神の光と祝福を経験した後に、なおも意図的に罪を犯す者たちへの罰は、永遠の拷問ではなく、使徒パウロが言うように「主の御前とその力の栄光からの滅び」です。
礼拝は「主よ、御許に近づかん(Nearer my God to Thee)」で締めくくられました。ラッセル牧師による祈り。
他の乗客たちは様々な方法で退屈をしのいでいます。デッキで遊べる船上ゲームがいくつもあります。夜には移動映画の上映やダンス、手品などが催されています。
1911年12月28日、木曜日
今日は28日です。30日の土曜日に横浜に到着する予定です。海はかなり荒れてきました。私たちは、東京在住のこの日本の東洋汽船会社の社長浅野総一郎氏から、30日に自宅でティーを共にしたいという招待を受けています。彼は東京で最も立派な邸宅を所有しています。私たちはその招待を受け入れました。詳細はまた後でお伝えします。
それでは、全員から全員へ、多大なる愛を込めてこの手紙を閉じます(テトス3:15)。
L. W. ジョーンズ(医学博士)
(1911年12月31日、東京にて投函)
補足資料

東洋汽船会社の創業者浅野総一郎(Soichiro Asano)は、1909年に東京三田に新築された自邸「紫雲閣」を、外国賓客の迎賓館として使用した。


(写真説明:海外のゲストをもてなした紫雲閣。)
L. W. ジョーンズ博士の旅行日誌:第2信

1912年(明治45年)1月8日(※原文1911年は誤記、正しくは1912年)
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴの会衆へ。主にある最愛の皆様。私は現在、中国の香港に向かう途中、台湾海峡を航行中の蒸気船「春洋丸(Shinyo Maru)」の船上でこの手紙を書いています。10日の早朝には香港に到着する予定です。
第1信を書いて以来、私たちは多くの場所を訪れ、様々な経験をしてきました。まずは日本への上陸からお話ししましょう。
日本
私たちの船は、東京の港である横浜の沖合に停泊しました。大型船は埠頭に直接接岸できないため、小舟(通船)で上陸しました。アメリカでは、駅に到着するとタクシーや馬車が列をなして待っており、御者たちが客引きに殺到しますが、横浜は違いました。馬車の代わりに、西洋人の目には非常に奇妙に映る乗り物が長い列を作っていました。それは「人力車」と呼ばれ、二輪の大きな乳母車に一対の梶棒がついたような形をしています。梶棒の間に人間が入り、それを引いて、時には数マイルも止まらずに小走りで進みます。上陸した途端、車夫たちが私たちに殺到し、それぞれ客を確保しようとしました。
ほどなくして私たちはこの奇妙な乗り物に一人ずつ乗り込み、「人間という馬」たちが駆け出しました。自分が人力車に心地よく座っている間、もう一人の人間が家畜のように自分を引いて回るという経験を受け入れるのは、最初はなかなか辛いものでした。しかし、人はたいていのことに慣れるものです。これは日本だけでなく、東洋のほとんどの国での習慣であり、またそれが彼らの仕事であり、私たちが対価を払い、彼らも十分に満足しているという事実を鑑みると、私たちはすぐに自分たちの立場と車夫とのコントラストを気にしなくなりました。
私たちは市内を通り、郊外へ向かって45分ほど走り、春洋丸を所有する東洋汽船の社長、浅野総一郎氏の邸宅に到着しました。到着すると人力車を降り、玄関への階段を上がると、フロックコートなどの洋服に身を包んだ数名の著名な日本人紳士たちに迎えられました。挨拶を交わした後、応接間に案内されました。すると、東洋の衣装(和服)を着た数名の若い日本人女性が前に出てきて、私たちに席を勧めた後、私たちの靴の上からニット製の履物(スリッパ)を履かせてくれました。その後、邸宅内を見学するよう招待されました。その布製の靴は、各部屋の美しく磨かれた床や高価な畳を保護するためのものでした。
その邸宅は、畳、タペストリー、彫刻など、非常に高価な造りでしたが、快適さという観点からはあまり魅力的ではありませんでした。家中のあちこちに、非常に重んじられていると思われる不気味で古めかしい像(仏像や神像)が数多く置かれており、それを見るだけで悪夢にうなされそうでした。しかし、美の基準は人それぞれです。「美しきものは永遠の喜び」と言いますが、何をもって美とするかという私たちの考えは、彼らとはかなり異なっています。
その後、私たちのグループだけでなく、春洋丸のキャビン客全員のために娯楽が用意されました。日本風の昼食としてお茶と甘いお菓子(クッキー)が出され、その後、世界でも最高レベルの手品師たちによる奇術の実演があり、素晴らしい妙技やトリックが披露されました。私たちは別の場所に行きたかったのですが、そのような娯楽があるとは知らず、中にいたために留まらざるを得ませんでした。公演後、待たせていた人力車に乗り込み、私たちは次へと向かいました。

(写真説明:人力車を選ぶ様子/初めての人力車体験)

補足資料

渋沢栄一が総代を務める「帝国ホテル東京」, 海外向けの電話帳”Who’s who in Japan. 1912″に掲載された広告。サンフランシスコで聖書を学んだ、ホテル支配人の林 愛作が、ラッセル一行を歓迎したかもしれない。
東京
この帝国の首都は皇室の住まいであり、多くの点で非常に近代的です。私たちは帝国ホテルに滞在しましたが、そこは日本人の経営でありながら、非常にヨーロッパ的なホテルでした。ここに数日間滞在しました。
私たちが日本を訪れたのはちょうど休暇シーズン(正月)でした。彼らは1月1日だけを休日とするのではなく、一週間丸ごと祝います。彼らはこの機会を最大限に活用しています。商店は日曜も含め年中無休ですが、この一週間だけは閉まっています。人々は最高の服を着て互いに訪問し合い、不在の場合は名刺を置いていきます。家々は皆、常緑樹(松)、竹、藁(しめ飾り)を組み合わせた独特の飾りで彩られ、ドアの脇に置かれたり、上に打ち付けられたりしています。これらの装飾品はそれぞれ、新しい希望と幸福を迎え入れるめでたい機会を象徴する、幸運や吉兆のシンボルとしての意味を持っています。
正月の間、老いも若きも女の子たちは、そして男の子の多くも、「羽根突き」をして遊びます。これは、テニスラケットのような羽子板を使い、羽根のついた小さなものをできるだけ長く空中に留めておく遊びのようです。住宅街の通りや庭は、華やかな正月の衣装を着たプレイヤーたちで溢れかえっています。また、至る所で華やかな制服を着た兵士たちが、徒歩や馬に乗って誰かを訪問しに向かっているのを目にします。


(写真説明:東京・帝国ホテルを出発する様子)

(写真説明:YMCAへの道中)
日曜日
この日は私たちにとって「大きな一日」でした。東京のYMCAで2回の集会が計画されていたからです。午後の集会には1,300人もの出席者があり、そのほとんどが若い日本人男性でした。夜の集会には700人が集まりました。白人も数名いましたが、そのほとんどは出席していませんでした。
ラッセル牧師は「時代の兆し(Signs of the Times)」というテーマで話をしました。通訳を介して彼を紹介し、賛美を先導するのは私の特権でした。ある者は英語で、ある者は日本語で歌いました。それら青年たちの深く、敬虔で、真摯な純朴さは非常に印象的で、彼らを迷信の闇から救い出すために自分にできる限りのことをしたいと感じさせられました。その後、ラッセル兄弟が話し始めましたが、これほど熱心に耳を傾ける聴衆を私は他に見たことがありません。以下は、午後の講話の導入部分です。
「時代の兆し」
チャールズ・テイズ・ラッセル牧師 講話
1912年(明治45年)12月31日 日本・東京 YMCAにて
今日、皆様をここにお迎えできて嬉しく思います。これほど多くの青年たちが集まってくださったこと、そして私の話に同意するか否かにかかわらず、これほど大勢の方が来てくださったことを喜ばしく思います。
午後のテーマは、予告通り「時代の兆し」です。私たちがこれまでに世界が経験したことのないような、驚くべき時代に生きていることを改めて指摘するまでもないでしょう。皆様自身、この40年間に日本で起こった変化についてよくご存じのはずです。他の地域ではこれほど大きな変化は起こっていないと思われるかもしれませんが、アメリカやヨーロッパ全土でも、日本ほど最近ではありませんが、大きな変化が起こってきました。
例を挙げましょう。105年前、世界には蒸気船など一隻もありませんでした。80年前、世界には機関車も列車もありませんでした。さらに最近では電信や電話が発明され、もっと最近には無線電信が登場しました。これらの分野で見られる現象は、他のあらゆる分野で起こっていることの兆候です。科学においても、かつては大間違いを犯してきました。12年以上前に書かれた化学の科学書は、今や全く価値がありません。私がこれらのことを申し上げるのは、最近日本に導入された発明が、全世界で共有されているものであることを理解していただくためです。
宗教においても同様で、ここ数年の間に宗教思想に大きな変化があったことが分かります。その結果、バラモン教、仏教、儒教だけでなく、キリスト教もすべて防衛的な立場に立たされています。クリスチャンである私たちも、過去に誤りがあったという事実を否定することはできません。少し歴史を振り返れば、世界に暗黒の時代があったことを認めざるを得ません。迷信は打破されつつあり、私たちの精神から枷が外れつつあることを私たちは喜んでいます。
しかし、私たちクリスチャンはこの点において明確でなければなりません。先祖がすべて正しかったと振りをしても得るものはありません。逆に、キリスト教の600もの宗派のすべてに、かなりの誤りが含まれていたに違いないことが分かっています。それぞれの宗派の中に真理があったと信じるのは喜ばしいことですが、今はそこに含まれていた誤りを取り除きたいと願っています。私たちは、初期教会の簡潔さこそが必要であることにますます気づいています。あらゆる宗派のクリスチャンが、イエスと使徒たちの教えに戻ることを切望しています。
迷信の枷が外れることを喜ぶ一方で、私たちは「恐れつつ喜ぶ」必要があります。振り子が一方に大きく振れすぎると、反対側にも振れやすいものです。迷信を捨て去る中で、迷信と共に「真理」までも捨て去ってしまう危険があり、実際にクリスチャンの間でそれが起こっています。例えば、多くのクリスチャンがキリスト教の教理を完全に離れ、教条(信条)を捨てるだけでなく、聖書までも捨ててしまっています。ヨーロッパやアメリカ、そしてここ日本でも、多くの人が聖書の霊感を否定するだけでなく、神の存在さえ疑うようになっています。
私たちは、これが最も危険な状態であると信じています。私たちの判断では、神がいないと考えるよりは、神を儒教の神、あるいはバラモン教の神と見なす方がまだましです。もし神を信じるならば、神がご自身の意志を何らかの形で啓示されると期待するのが当然だからです。今日、あらゆる大大学や神学校において、聖書は神の言葉ではないと教える人々がいます。彼らは、モーセは聖書の最初の五書を書いていないと言います。イザヤも、エレミヤも、ホセアも、その名を冠した預言書を書いていないと言います。しかし、人々には知性があります。もしイエスが「モーセがわたしのことについて書いた」と言われたのに、実際にはモーセが書いていなかったとしたら、人々は「イエスは間違っていた」と考えるでしょう。イエスと使徒たちは皆、モーセと預言者たちから引用しました。もし彼らがこの点で間違っていたとしたら、すべてにおいて間違っていたことになります。私たちは、イエスと使徒たちが正しく、いわゆる「高等批評家(Higher Critics)」たちが誤っていると主張します。これらの批評家による聖書の否定の延長線上に、「進化論」があります。
(その後、ラッセル牧師はダニエルの預言に沿ってかなり長く話をされました。)


東京での活動

(写真の説明)前列:左から右へ委員会の7人…R・B・マクスウェル、L・W・ジョーンズ博士、W. P. ホール将軍、C. T. ラッセル、J・T・D・パイルス、F・H・ロビソン、E. W. V. クーン。後列:左から右へ…ウィルソン夫人、ジョージ・F・ウィルソン、不明、不明、マージソン、不明、山本。
東京YMCAの主事である山本氏が、委員会メンバーらの写真撮影を段取りしてくれました。その写真をここに掲載します。
私は、ラッセル兄弟が英語で話している間、午後と夜の両方の講話を速記で記録しました。同じテーブルには一人の日本人青年が座っており、彼は通訳が話す日本語の講話を速記していました。あの(日本語の)音をどうやって記録できるのか私には不思議でなりませんが、彼はそれをやり遂げました。
夜の集会でも聴衆の態度は素晴らしく、終了時には数百名の日本人青年たちが、文献を希望して紙片に名前と住所を書き残しました。中には英語が読めるので、他の仲間のために翻訳すると言ってくれた者もいました。
夜の講話のテーマは**「大いなる来世(The Great Hereafter)」**でした。
(講話要旨:午後は「時代の兆し」を考え、聖書が現代の鉄道、蒸気船、交通手段の急速な普及と「苦難の時」を正確に預言していることを見ました。今夜は、その苦難の後に何が来るかを考えます。聖書は、神が全天の下にご自身の王国、すなわちメシアの王国を樹立されると答えています。キリストの統治は海から海へと広がり、神の栄光を知ることが全地に満ち、すべての膝が屈することになります。キリストが王国を統治する最初の仕事は、サタンを縛ることです。過去6,000年間、世界を欺いてきたサタンの支配が終わり、平和と神の祝福が地上に戻ります。現在、地上には罪の結果としての「呪い(死、病気、悲しみ)」がありますが、王国が確立されるとき、その呪いは取り除かれ、地上のすべての家族に祝福がもたらされます。)
日本での活動の成果
通訳を務めてくれたメソジスト大学の神学教授である小畑(Obata)氏は、日本語と英語の両方に非常に精通していました。そのため翌日、『聖書研究(世々に渉る神の経綸)』の第1巻を日本語で出版する手配が整いました。また、あの若い速記者が記者を務める雑誌に、この本の内容を毎月掲載する段取りもつきました。このように、日本の地でも活動は着々と進んでいます。宣教活動の結果についても多くの情報が得られ、東洋の地においてもキリストの王国がいかに必要であるかが明白になりました。総じて、日本滞在は成功であったと感じています。
一行の数名は京都、大阪、神戸などへ向かいましたが、私はいくつかの用件を済ませるために東京に残りました。その後、神戸で一行と合流しました。神戸へ向かう列車は彼らの「最速特急」でしたが、平均時速は26マイル(約42km)で、目が回るような速さではありませんでした。私は上段の寝台を確保しましたが、それは棚のような場所にパッドを敷いただけのものでした。硬い枕を渡されましたが、予想していたよりはるかに快適に眠れました。男女を問わず、あの恐ろしい臭いのするタバコを吸うことが許されており、車内が煙で充満していたにもかかわらずです。食堂車(彼らはレストラン・カーと呼んでいます)では、非常に良い食事が提供されました。
神戸で再び船に乗ると、中国人のウェイターたちが皆、弁髪(キュー)を切っているのに気づきました。中国が共和国(中華民国)を宣言したばかりだからです。それ以前であれば、彼らは弁髪なしで帰国する勇気はなかったでしょうが、今は逆に、弁髪を付けていると帝政支持者と見なされ、首をはねられる恐れがあるため、付ける勇気がないのです。
瀬戸内海
神戸からの航路は、世界で最も美しい閉鎖海域と言われる瀬戸内海を通る200マイル以上のコースで、一日中景色を堪能しました。船は静かに狭い水路を縫うように進みます。四角い帆を掲げたジャンク船が通り過ぎ、町、村、城、寺院、森、耕された谷や段々畑、鋭い山頂、連なる山々が一日中次々と現れ、私たちは長崎に到着しました。ここで石炭を補給しました。
長崎での手作業による石炭補給
これは非常に興味深い光景でした。作業はすべて男性と女性の手で行われ、シャベル2杯分ほどの石炭が入る小さな籠を使います。港に入るとすぐに、約30人乗りの小舟や、30トンほどの石炭を積んだ大型の舟が私たちの巨大な船の脇に横付けされました。すると現地の先住民(日本人)たちは、石炭運搬船から本船の貯炭庫(バンカー)の開口部に向かって、竹の足場を組み上げました。船の両側に20ほどもの足場が組まれ、それぞれの足場には階段のような数段の踊り場があります。
それぞれの踊り場には2人ずつ配置されます。男性2人のこともあれば、女性2人、あるいは男女1人ずつのこともあります。下の石炭船にいる人々が籠に石炭を満たし、それが次から次へと上の踊り場へ手渡されていきます。彼らの手際は非常に鮮やかで、籠は規則正しい流れに乗って、まるでゴムボールのように弾みながら上へと運ばれていくように見えました。船の両側で約750人ずつ、計1,500人が朝の10時から午後の4時まで働き、その間に3,000トンの石炭を船に積み込みました。信じがたいことですが、それが現実なのです。

添えられた写真は、その実際の光景です。ここは、近代的な機械がある場所よりも速い、世界最速の石炭補給港と見なされています。彼らが受け取る賃金は、一日わずか20セント(1シリング弱)という大金(皮肉)です。もし仕事をお探しの方がいれば、ここがチャンスですよ。また、父親だけが働くのではなく、家族全員が共に働いています。背中に赤ん坊を縛り付けたまま石炭を運び上げたり、ボートを漕いだりしている女性も見かけました。赤ん坊たちはそれを楽しんでいるようで、貴族の子が高級な揺りかごで眠るように満足げに寝ている子もいました。人々のニーズは食事も衣服も非常に簡素です。
長崎では、また違ったタイプの人々に出会いました。彼らはもっと貧しい人々です。しかし日本全土において、習慣や衣装は私たちにとって新しく奇妙なものでした。すぐにそれらにも慣れ、狭い路地などを離れる準備が整いました。全体として、日本人の印象は以前よりずっと良くなりました。彼らは非常に倹約家で、勤勉で、礼儀正しい人々です。特に夫婦が共に働く姿は印象的で、アメリカやヨーロッパの多くの人々が学ぶべき教訓があると感じました。
男性が背中に子供を背負って街を歩いている一方で、女性が船で働き、石炭を扱い、野菜を背負って市場へ運ぶといった光景を何度も目にしました。罵り言葉や怒鳴り声は一度も聞きませんでした。皆が一つの大きな家族のように互いに助け合おうとしているように見えました。彼らは外国人に対しても非常に礼儀正しく、親切です。彼らの中での滞在は、長く楽しい思い出となるでしょう。

中国(CHINA)
黄海を一日半航行した後、揚子江の河口に到着しました。そこから小型の蒸気船に乗り換え、川を9マイルほど上って上海に到着しました。そこは非常に賑やかな国際都市で、イギリス、ドイツ、フランスの3つの租界があり、もちろん中国人の居住区もあります。私たちが来ることを知った人々が、日曜日の午後と夜に集会を段取りしてくれたため、ラッセル兄弟はその日2回話をしました。
中国での戦争(革命)のため、内陸部から避難してきた多くの宣教師がそこにいました。中には2,000マイルも離れた場所から来た者もいました。集会にはかなりの数の宣教師が出席し、その時は熱心に聴いていましたが、それ以上の進展はありませんでした。彼らは、神の王国を通じて地のすべての家族に究極の祝福がもたらされるという「神の愛の福音」にはほとんど関心がないようで、むしろ「地獄の福音(?)」に固執することを好んでいるようでした。
現在の戦争状態では内陸部へ入ることは不可能でしたが、内陸から戻ったばかりの宣教師たちや他の情報源から、多くの情報を得ることができました。中国の一部の状況は凄まじいものです。ある地域は大洪水に見舞われ、毎日数千人が餓死しており、何百万もの人々が生きるための糧も手段も全く持っていません。家の上で浮いている人々もいれば、首まで水に浸かりながら、手を伸ばして稲を刈り取ろうとしている人々もいます。中国内陸部の惨状以上の苦難は想像しがたいものです。

特にアメリカに住む私たちは、感謝すべきことが多くあります。それら哀れな人々に同情を寄せるべきです。神の偉大な計画を知る私たちは、この恐ろしく黒い雲に「銀の裏地(希望の光)」を見ることができること、そして間もなくメシアの王国が確立され、主の栄光を知ることが全地に満ちることを知っていることに感謝できます。
「主を待ち望め」「静止して主の救いを見よ」という言葉に従うには、強い信仰が必要です。私たちが今すべきことは、御霊の実と徳を磨き、やがて栄光ある「花嫁のクラス」に数えられるにふさわしい者となり、主と共に御座に座って、中国を含む全世界に王国の祝福を施すことのできる者となることです。その時こそ、私たちは今切望していても力及ばないことを成し遂げることができるのです。その時、「天と地における一切の権威」は私たちのものとなります。それは自分たちの利己的な目的のためではなく、うめき苦しむ被造物、あらゆる民族、国民、言語の人々のためのものです。
上海で私たちのグループは分かれ、パイルズ兄弟とロビソン兄弟を上海に残しました。彼らはしばらく調査を続け、宣教師へのインタビューなどを行います。彼らは後に香港で、マニラを経由して戻ってくる私たちと合流する予定です。
今、ランチ(こちらではティフィンと呼ばれます)を告げるゴングが鳴りました。私は今のところ一度も食事を抜かしていませんので、これも食べに行かなければなりません。皆さんもご一緒にいかがですか。信仰によって皆さんもそこにいらっしゃると確信しています。こちらの時刻は月曜の午後1時ですが、そちらは月曜の早朝2時ごろでしょう。皆さんは日曜日の集会を終え、今は家でベッドに入っている頃ですね。皆様が良い夢を見られますように。
他の一行も皆、クリスチャンの愛と挨拶を送っています。
主の奉仕にある、
L. W. ジョーンズ医学博士
(中国・香港にて投函)
補足資料

神田の青年会館(1989-1923年)は、1000人を収容する大講堂があった。東京YMCAの歴史

山本邦之助, 1905年(明治38年)から東京キリスト教青年会(YMCA)の第2代目の主事。(本文中の山本氏ではないかと思われる。)

青山学校教授神学博士の小畑久五郎(Kyugoro Obata)

小畑久五郎は、渋沢栄一の伝記(An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa)を英訳したことで知られる、多くの著名人の通訳や翻訳を手掛けた。(本文中の小畑氏ではないかと思われる。)
R・ロバート・ホリスターによる中国、日本、韓国からのメッセージ

親愛なる兄弟姉妹の皆様(サンフランシスコ大会に実際に出席されている方、および心の中で共におられる方々へ)。
私は、国際聖書研究者協会(I.B.S.A.)の代表として東洋で過ごした18ヶ月間の経験をいくつかお話しするよう依頼されました。お話しするにあたって、1912年初頭に「ものみの塔」誌上で発表された外国伝道調査委員会の報告と同じ内容を繰り返すつもりはありません。あの報告は非常に包括的で正確なものでした。
真実は時として人を傷つけるものであり、外国伝道の実際の状況がこれほどまでに正直に述べられたことは、国内外の伝道局の代表者たちから激しく非難される原因となりました。彼らの中には、次のような趣旨で私に詰め寄る者もいました。「経験の浅い者たちが数ヶ月間ここへ来ただけで、どうしてこれほど広範囲にわたる批判を含む報告書を作成できるのか?そのような短期間で、どうして正確で包括的な報告ができると期待できるのか?」
私はこう答えました。「一握りの質の良いサンプルを見れば、全体がわかるものです」と。そして、私たちの委員会が、一箇所にとどまるのではなく、バラバラに分かれて調査を行うことで、はるかに広い地域をカバーしたことを指摘しました。しかし、そうは言っても、彼らが短期間にあれほど多くの事実とデータを収集できたことは、私自身も驚くべきことだと認めざるを得ませんでした。
私の弁明の締めくくりとして、こう述べました。「私は何ヶ月もの間、中国の沿岸部を上下しただけでなく、内陸部まで入り込み、多くの重要な拠点を訪れました。あなた方の指導的立場にある多くの人々と対話を重ねました。私の調査は決して表面的なものではありませんでしたが、その結果、I.B.S.A.委員会のすべての記述の信憑性と正確さに、私は十分満足しています。彼らがどうやって短期間にあれほど多くの事実をまとめ上げたのかは分かりませんが、その結果の正確さについては、私が保証いたします」
聖書研究者の委員会は、状況が好都合であると判断し、私たちの協会の行動指針を策定しました。理事会を通じてそのプログラムが私に伝えられた際、次のような簡潔かつ重大な電報が届きました。「ラッセル、ボンベイで会おう」。
一般的に言って、提案された活動内容は、アメリカやヨーロッパでの「収穫の業」と似たものでした。私たちの努力は必然的に、過去3、4世代にわたって行われてきた聖書協会や宣教団体のキリスト教化活動と密接な関係があり、ある意味でそれらに依存していました。文字通りの収穫が、それ以前の耕作や種まきと不可分であるのと同様に、福音の時代の収穫も、それ以前の真理の種まきに費やされた力と資金の結果なのです。
かつてある新聞記者が、私たちと英国外国聖書聖書協会(B.F.B.S.)との関係を尋ねました。私は重要な接点があることを認め、こう説明しました。「英国外国聖書聖書協会は、聖書を500もの異なる言語や方言に翻訳し、『注釈や解説なし』で世界の人々に膨大な量を配布してきました。一方、私たちは、それらの聖書の解説に専念しているのです」。親愛なる友人の皆さん、確かにそれらの聖書は多大な解説を必要としています。特に、霊的な指導者たちから指導を受けている宣教師や現地のキリスト教徒たちの間では、その必要性が顕著です。私の個人的な経験はこの声明を裏付けるものですが、紙面の都合上、2、3の例を挙げるにとどめます。
内陸部のある教派の家を訪れた際、任地へ向かう途中の医療宣教師と会話をしました。彼は、同僚たちの間に高等批評や進化論的な見解が蔓延していることに遺憾の意を表しました。私は心から同情しました。その後、彼は主の再臨について話し始めました。「ああ、私は第二降臨について考えるのが大好きです。私はそれをこうイメージしています。列車が時速1マイル1分(時速96km)という猛スピードで夜の闇を突き進んでいます。車内は乗客でいっぱいです。機関士はキリスト教徒です。私たちの主は、夜の盗人のように突然、予期せぬ時に来られます。一人は連れて行かれ、もう一人は残されます。あの敬虔な機関士は、スロットルから手を離し、席から引き上げられて、空中で主に会うために連れ去られるのです」
その暴走列車は、人間という荷物を満載しているのです。その列車はどうなるのでしょうか?
私は、これこそが絶好の機会だと思いました。聖書に基づいた、主が再臨される正気で、品位があり、美しく、道理にかなった方法について詳しく説明するチャンスでした。その医師は熱心に聞いてくれましたが、すぐに不安げに尋ねました。「あなたはラッセル牧師について何か知っていますか?」もちろん知っていましたし、私たちの関係を認めるのに時間はかかりませんでした。友人の皆さん、私たちはラッセル牧師を恥じてはいません。それどころか、彼を誇りに思っています。
彼は、真理と義の関心事に対して、自らの命と人間が大切に思うすべてのものを良心的かつ一貫して捧げてきました。彼は主に愛される僕であり、私たちの尊敬すべき指導者です。私たちは、主の足跡を密接にたどる彼の模範に倣うのが賢明です。「ああ」とその宣教師の知人は言いました。「私たちはラッセル牧師をあまり良く思っていません。彼は恐ろしい人だと思います。なぜなら、彼は『罪の支払う報酬は死である(ローマ6:23)』と教えているからです」
別の長老派の宣教師が、自分の家族のことを話してくれました。彼は4人の子供の父親でしたが、そのうちの2人(双子)は生後20ヶ月で亡くなっていました。彼は、その子たちがいかに人当たりが良く、善良で、愛らしく、魅力的であったかを詳しく語りました。「妻によく言うのですが、神様は私たちが天国がどのような場所かを知ることができるように、あの小さな子たちを遣わしてくださったのだと。彼らは天使たちと遊んでいましたが、しばらくの間私たちに貸し出され、今はまた天国に戻ってイエスと遊んでいるのです」
中国の最大級の宣教・教育センターを訪れた際、ユニオン教会の集会で演説するよう依頼されました。数日後、教会の書記が感謝の意を表し、誰もがあれは今までで最高の集会だったと言っていると伝えてくれました。私はこれを個人的なお世辞とは受け取りませんでしたが、これらのいわゆる「無知な異教徒」の教師たちの間に存在する飢餓状態を浮き彫りにする、特に啓発的な側面であると感じました。確かにその地には、パンや水の飢えではなく、神の言葉を宣べ伝えることの飢饉があるのです。
明らかなニーズがあるにもかかわらず、神の計画を明らかにしようとする私たちの協会の努力は、歓迎されないことが多かったです。ここアメリカやヨーロッパでも私たちの援助が評価されないことがあるのと同様に、ごくわずかな例外を除いて、他の宗教活動家たちは私たちに反対しました。主の奉仕が当時の宗教指導者たちによって拒絶されたように、ある非常に著名な指導者は、彼女が編集者を務める公式誌の中で、公然と次のような不満を表明しました。
「私たちはあなた方に私たちの家に来てほしくないし、現地の人々にあなた方を歓迎し、あなた方の活動に共感しているという印象を与えたくありません。あなた方は貧しい現地のキリスト教徒を雇い、彼らは私たちの羊の群れに忍び込んで、私たちの羊を盗んでいく。神は、私たちが彼らのためにどれほど苦労して働いてきたかをご存知だ」と。悲しいことではありませんか? 疑いもなく、イエス・キリストも「羊泥棒」や「改宗強要者」と呼ばれました。なぜなら、彼の活動は当時、私たちの活動と似ていたからです。
主は言われました。「目を上げて畑を見なさい。色づいて収穫を待っている。……私は、あなた方が労苦しなかったものを刈り取るために、あなた方を遣わした。他の人々が労苦し、あなた方は彼らの労苦の実にあずかっているのである」。彼は「他の人々」の活動を軽んじることも、貶めることもしませんでした。また、私たちも、先に旅立った、自己犠牲的な私たちの兄弟たちの働きを軽視するつもりはありません。彼らは西洋でも東洋でも労苦し、私たちはその喜びを共にしているのです。その労苦に参加できる喜びを。偉大なる農夫(神)が、蒔く者と刈り取る者を呼び集め、収穫の祝宴で共に喜ぶ日が速やかに来ますように。


写真の説明:上段(左から右へ…W・J ハリスター、W・J・ハリスター夫人、広瀬・J、F・L・マッケンジー、R・R・ハリスター)中段(左から右へ…すべての人の友という意味の「万民の友」の熱心な配布者、R・R・ハリスター, I.B.S.Aの代表者、「神の経綸」を朝鮮語訳したポム・シク・カン(姜範植)兄弟)下段(文書配布活動に出発するハリスター姉妹、最初の日本人協力者である児玉・H兄弟と、最初の朝鮮人協力者であるカン兄弟)
インド、中国、日本、韓国の全域で、英語の「聖書研究者の月刊誌」に似た、しかし現地の言語で書かれた特別記事を含む数百万部の冊子が、現地の配布員によって配布されました。何千人もの人々が関心と感謝の意を表明しました。多くの人が聖書研究のさらなる助けを求め、友人や近所の人に関心を持ってもらうために、大量の文献を求めました。「神の経綸」は4つの異なる言語に翻訳され、数千部が最も関心のある人々の手に渡りました。
伝えられたメッセージは非常に豊かでしたが、その核心を理解したと思われる人の数は、比例して少ないようでした。啓示者(ヨハネ)は、あらゆる民族から代表者が選ばれた教会に含まれることを予見していました。そして、それぞれの国で、単なる知的な理解や現在の真理を名目的に受け入れるだけでなく、主と真理と兄弟たちのために、必要とあれば苦しみ、死ぬこともいとわない少数の人々を見出しました。しかし、そのような人々は非常に稀であるように思われます。
これらの現地の兄弟たちが、「異教」の暗闇の中で前哨基地の火を明るく灯し続けているだけでなく、「外国人」居住者、すなわちイギリス人、アメリカ人、ドイツ人、フランス人の間にも、同じく信じて純粋な福音を勇敢に守っている人々がいます。この点に関して、興味深い事例を思い出します。
ある知人から、社交的な場でお酒を一杯どうかと誘われた際、私の最初の衝動は断ることでしたが、考え直して「レモネード」を注文し、アルコールを含まない飲み物を好む理由を説明しました。翌日、その人物(内陸部の金鉱山のマネージャーであることが分かりました)は私の昼食の招待に応じ、明らかに私の宗教的な傾向に興味を持っていました。私たちはその話題について数時間を費やして話し合いました。最終的な結果として、彼と彼の妻、そしてそのキャンプのもう一人の女性が真理を受け入れ、他にも数人が深い関心を持ちました。彼の妻は最初、非常に強い影響を受け、何度も「ホリスさんにあんな風に出会わなければよかった」と叫んだほどでした(真理を知ったことによる責任の重さを感じてのことでしょう)。しかし数ヶ月後、私たちが別れる際、彼は私の手を握りしめて言いました。「あなたと一緒にあのカクテルではなく、レモネードを飲んで本当に良かったです」
ウィリアム・ホリス兄弟と夫人、そしてファニー・マッケンジー姉妹は、活動開始から約12ヶ月後に極東部門に加わり、非常に有能な働き手であることを証明しました。ホリス夫妻はちょうど1年ほど滞在しましたが、マッケンジー姉妹は今も立派に活動を続けています。何千もの『聖書研究』が英語、ドイツ語、フランス語で販売されました。現地の人々だけでなく、白人のための集会も開かれました。
ニューヨークに住んでいた時に真理を知った、私たちの親愛なる日本人の広瀬兄弟は、2年以上前に協会によって派遣され、非常に有能で愛すべき同僚であることが証明されました。彼は今も同胞の間で活動を続けています。最近の手紙の中で、彼はこう述べています。「私たちのメッセージは、日本人の何人かの心に届いています」。彼はまた後藤兄弟についても言及していますが、その言葉を引用する前に、この後藤兄弟の最初の便りについてお話ししなければなりません。それは3年前のことでした。彼は医師であり、30年間キリスト教徒であったと書いていました。「近頃」と彼は言いました。「私は信仰を失い始めていました。非常に不幸で、教会の出席もやめていました。聖書の解説を目的とした本を読むことを通して満足を得ようと、聖書の研究だけに没頭していました。そんな時、私のところに『万民之友』(私たちの日本での出版物)が届き、私の疑念と不安は消え去り、今、真理の中で喜んでいます」。彼は、他にも二人の関心者がいること、彼らと会って『万民之友』に従って人々を導くことに決めたこと、そしてどのように協力できるかを尋ねてきました。広瀬兄弟は現在の状況についてこう報告しています。「後藤兄弟は、もし英語が理解できていれば、あの全巻(聖書研究シリーズ)を読んだことでしょう。彼は今、理解できていない聖句についてよく私に質問の手紙を書いてきます。彼はよくやっていると思います。彼は約40冊の日本語の書籍を販売し、私たちの雑誌の定期購読を約350件取りました」
韓国では、主が私をポム・シク・カン(姜範植)氏のもとへと導いてくださいました。彼は最初、純粋にビジネスとして翻訳を行うために雇われました。しかしすぐに、彼は自分が手がけている記事に深い個人的な関心を持つようになりました。私たちの事務所で数ヶ月過ごした後、彼は主に完全に献身することを表明しました。それ以来、彼はウィリアム・ホリス兄弟や私が不在の間、翻訳、通訳、クラスの指導、そして韓国支部の管理に大いに用いられてきました。カン兄弟は、私が今まで会った東洋人の中で最も「白人のように考える(西洋的な思考を持つ)」人物であり、私は総会で彼を「隠者の国(韓国の別称)」からの代表として皆様に紹介できることを楽しみにしています。
もっと多くのことを語ることもできますが、主がこの地球のこちら側だけでなく、中国人の友人が言うところの「上側(top-side)」においても、ご自身の収穫の業を導いておられることを皆さんに確信させるには、これで十分だと思います。