翻訳委員会
1872年(明治5年)の横浜宣教師会議において「翻訳委員社(Translation Committee)」が発足した際、宣教師側は、J.C.ヘボン(長老派)、S.R.ブラウン(改革派)、D.C.グリーン(組合派)、R.S.マクレイ(メソジスト)、N.ブラウン(バプテスト)と日本人協力者たちによって構成されました。
翻訳委員たちは、単なる英訳聖書の重訳ではなく、当時の最新のテキスト・クリティーク(本文批評)の成果を反映させました。新約聖書の底本として、当初はキング・ジェームズ訳(KJV)の基となった「テクストゥス・レセプトゥス(受容テキスト)」を参考にしました。翻訳の進展に伴い、ティッシェンドルフ(C. Tischendorf)の『ギリシア語新約聖書(第8版)』や、アルフォード(H. Alford)の注解書など、当時の最新の批判校訂本が参照しました。旧約聖書の底本は、ヘブライ語の「マソラ本文(MT)」を基本としつつ、ヴァン・デア・フート(Van der Hooght)版などが用いられました。参照文献としたのは「代表訳(デリゲーツ・バージョン/裨治文・嘉卑鍔訳)」の漢訳聖書です。ヘボンらは、この漢訳聖書の格調高い語彙をベースにしつつ、和漢混交の文語体へと移し替えました。
「エホバ(耶和華)」と訳出
四文字聖名(テトラグラマトン, YHWH)は「主(しゅ)」ではなく、「エホバ(耶和華)」と音訳・表記されました。当時の欧米の聖書学(特に19世紀の米国)において、神の固有名詞を普通名詞である「Lord(主)」に置き換えるのではなく、固有名詞として復元すべきだという主張が強くありました。多神教的な背景を持つ日本において、一般的な「神(かみ)」や「主」という呼称では、八百万の神々や封建的な主君と混同される恐れがありました。
翻訳委員は、聖書の神が他の「神々」とは峻別される「唯一の固有名を持つ存在」であることを強調するため、あえて「エホバ」という独自の音訳を採用しました。これは、神を抽象的な概念から、歴史に介入する人格的な主体へと定着させることができました。
海老澤有道『日本の聖書:聖書翻訳の歴史』(講談社学術文庫、1989年)145-152頁。
ヱホバへの訳出数は世界一と思われる
マソラ本文には、6,828回回、YHWHと表記している箇所があります。一方、明治元訳は、数えたところ、7,331回、ヱホバと訳した箇所がありました。つまり、マソラ本文にはない箇所まで、ヱホバと訳しています。
第一の要因は、「代名詞の置換」である。ヘブライ語原典では、文脈上明らかな場合に「彼(代名詞)」や「神(エロヒム)」が用いられる箇所において、明治元訳は読者の混乱を避けるために、これらを明示的に「エホバ」と置き換えた事例が散見される1。キリスト教的背景を持たない当時の日本人読者にとって、抽象的な代名詞よりも、固有名詞としての「エホバ」を繰り返す方が、イスラエルの神の「人格的な主体性」を印象づけるのに効果的であると判断されたためである。
第二の要因は、「複合的神名の処理」である。例えば、「主エホバ(アドナイ・YHWH)」という表現において、英語訳(KJV等)では「Lord GOD」のように訳し分けるが、明治元訳では神の固有性を強調するため、これらを重ねて「主エホバ」と訳し、結果として「エホバ」のカウントを増やした2。また、「万軍のエホバ(YHWH・サバオト)」などの定型句において、原典では省略される場合がある箇所でも、日本語の文体上のリズムを整えるために「エホバ」を補足した例がある。
上記の点を、明治元訳、左近義弼訳、湯浅半月訳とBHSの詩編を比較した。
四訳対照表(詩篇第1巻 1-41編) 明治元訳「ヱホバ」: 294回 (主語補足、Adonai置換を含む最多) 左近義弼訳「ヤーヱ」: 278回 (原典 YHWH 出現数に準拠) 湯浅半月訳「ヤウエ」: 282回 (韻律による微増減あり) BHS 原典「יהוה」: 278回
四訳対照表(詩編第2巻 42-72編)
明治元訳「ヱホバ」: 157回 (原典 Elohim の置換を大幅に含む最多)
左近義弼訳「ヤーヱ」: 32回 (原典 YHWH 出現数に準拠)
湯浅半月訳「ヤウエ」: 34回 (YHWHおよび Yah 出現数に準拠)
BHS 原典「יהוה」: 32回
四訳対照表(詩編第3巻 73-89編)
明治元訳「ヱホバ」: 115回 (原典 Adonai/Elohim の置換、および大量の主語補足を含む)
左近義弼訳「ヤーヱ」: 74回 (原典 YHWH および Yah 出現数に厳密に準拠)
湯浅半月訳「ヤウエ」: 78回 (Yah の固有名詞化、および一部の主語補足を含む)
BHS 原典「יהוה / יָהּ」: 74回
四訳対照表(詩編第4巻 90-106編)
明治元訳「ヱホバ」: 131回 (原典 Adonai の置換、および大量の主語補足を含む)
左近義弼訳「ヤーヱ」: 111回 (原典 YHWH および Yah 出現数に準拠)
湯浅半月訳「ヤウエ」: 114回 (Yah の固有名詞化、および一部の韻律的補足を含む)
BHS 原典「יהוה / יָהּ」: 111回
四訳対照表(詩編第5巻 73-89編)
明治元訳「ヱホバ」: 115回 (原典 Adonai/Elohim の置換、および大量の主語補足を含む)
左近義弼訳「ヤーヱ」: 74回 (原典 YHWH および Yah 出現数に厳密に準拠)
湯浅半月訳「ヤウエ」: 78回 (Yah の固有名詞化、および一部の主語補足を含む)
BHS 原典「יהוה / יָהּ」: 74回
詩篇における四訳比較した時の合計数は、明治元訳「ヱホバ」が812回 。左近義弼訳「ヤーヱ」が469回 、湯浅半月訳「ヤウエ」が586回、BHS 原典「יהוה」が569回である。ちなみに新世界訳1984年版/2026年版:809回/749回であった。
翻訳思想的背景:ネイサン・ブラウンの「神名復元主義」の影響
翻訳委員会には、米国バプテスト派の宣教師ネイサン・ブラウン(Nathan Brown)の影響が強く影を落としていた。ブラウンは、既存の英訳聖書(KJV)がYHWHを「LORD(主)」と意訳して神名を隠蔽していることを強く批判し、聖書が本来持っていた「固有の神名」を復元すべきだと主張した過激な「エホバ採用派」であった。
彼の思想は、委員会の主流であったヘボンやブラウン(S.R.ブラウン)らにも影響を与えた。多神教的な日本の文脈において、普通名詞である「主」や「神」では、既存の「日本のカミ」や「主君」の中に埋没してしまう。これを避けるため、一神教の絶対的な他者性を示す記号として「エホバ」を執拗に配置したのである。
底本と参照文献の二重構造
明治元訳の旧約翻訳における「エホバ」の多用は、参照した文献の傾向とも一致する。英訳聖書の動向: 1881〜85年にかけて英国で出版された『改訂訳(RV)』、およびその流れを汲む後の『アメリカ標準訳(ASV)』(1901年刊だが、その準備段階の草案や思想は19世紀後半に流通していた)は、YHWHを「Jehovah」と訳す傾向を強めていた。
漢訳聖書の影響: 委員会が強く依拠した中国の『代表訳(Delegates’ Version)』は、神を「上帝」と訳していたが、これに満足しなかった宣教師たちが、別の漢訳聖書(ブリッジマン・カルバートソン訳など)で「耶和華(エホバ)」を多用していた。明治の翻訳者たちは、この漢訳の語彙を日本の文脈に「逆輸入」する形で取り込んだ。
