第6章「エホバの証人と日本」其の二

  1. 大正時代から第二次世界大戦
  2. サンフランシスコ大会(1922年、大正11年)
  3. 萬国聖書研究団による活動
    1. 「抑々神とは何ぞや」ー「新世界」紙(1922年6月10日~24日)
    2. 「人間とは何ぞや」ー「新世界」紙(1922年8月5日~15日)
    3. 「愚かなる者は心の中に神無しと云へリ」ー「新世界」紙(1922年8月30日~9月13日)
    4. 聖書研究会
    5. 「我は福音を耻とせず」ー「新世界」紙(1922年9月27日)
    6. 米国オハイオ州シーダー・ポイント決議
    7. 「爾の言は真理なり」ー「新世界」紙(1922年12月9日~11日)
    8. 特別講演
  4. 日本人の間に浸透する真理
  5. 神戸市須磨の活動紹介
  6. 「須磨浦聖書講堂」をめぐる動き
    1. 神田繁太郎『ダニエル書の預言』
    2. 神田繁太郎・モード夫妻
  7. 日本人の真理への目覚め
  8. 「須磨浦聖書講堂」から「燈台社」へ(1926年、大正15年)
    1. 第17回聴取書(明石順三)
  9. 1929年(昭和4年)奉仕年度日本の報告
  10. 1930年(昭和5年)奉仕年度日本の報告
  11. 1932年(昭和6年)奉仕年度の日本の報告
      1. 1932奉仕年度 活動結果
  12. 「ライヒ・コンコルダート」調印式
  13. 1933年(昭和7年)奉仕年度の日本の報告
      1. 悪魔の激昂
      2. 日本語版『黄金時代』
      3. 日本語版『ものみの塔』
      4. タンク(移動式住宅)
      5. パイオニアの家(開拓者の家)
      6. 警察官たち
  14. 1933年(昭和8年)秋〜1934年夏の活動報告
    1. 朝鮮
  15. 1934年(昭和9年)秋〜1935年夏の活動報告
      1. カトリックの聖職者
      2. 大群衆
      3. 主からの光
      4. 『黄金時代』
    1. 朝鮮
  16. 1935年秋(昭和10年)〜1936年夏の活動報告
    1. 日本および朝鮮
      1. 証言期間
      2. 気象条件
  17. 1936年(昭和11年)秋〜1937年夏の活動報告
  18. 1937年(昭和12年)〜1938年8月の灯台社の年次報告
  19. 1938年(昭和13年)秋〜1939年夏の報告
    1. 日本
  20. 良心的兵役拒否者
    1. 参考文献
    2. 明石真人と村本一生らの銃器返納
    3. 灯台社第二次一斉検挙
  21. ナチス・ドイツ下におけるエホバの証人
    1. 「黄金時代」と「慰め」誌
    2. ナチス・ドイツの強制収容所における囚人識別標章(バッジ)一覧表
    3. ナチズム下で迫害され殺害されたエホバの証人たちの記念碑
    4. マックス・リープスター
    5. シモーヌ・アルノルド・リープスター
    6. イギリス、レイセスターで開かれた大会

大正時代から第二次世界大戦

大正時代から第二次世界大戦略史
  • 1918
    神田範太郎が「ベテル山荘」で内村鑑三から洗礼を受ける
  • 1920
    ものみの塔協会が「現存する万民は決して死することなし」を出版
  • 1922
    「現存する万民は決して死することなし」の和訳を出版
  • 1923
    神田範太郎が「須磨浦聖書講堂」を創設
  • 1925
    「神の立琴」(萬国聖書研究団)明石順三訳の和訳を出版
  • 1925
    治安維持法の制定
  • 1926
    神田範太郎が「ダニエル書の預言」を出版
  • 1926
    I.B.S.A(国際聖書研究社協会)から明石順三が日本に派遣
  • 1926
    「須磨浦聖書講堂」と「灯台社」が結合
  • 1927
    万国聖書協会、ワッチタワー日本支部設立(東京市京橋区)
  • 1933
    灯台社第1次一斉検挙
  • 1939
    灯台社第2次一斉検挙
  • 1939-45
    第二次世界大戦
  • 1945
    灯台社の投獄メンバー(良心的兵役拒否者)が釈放(獄中死者を除く)
  • 1947
    明石順三がものみの塔聖書協会を脱退
  • 1949
    ドナルド・ハズレットが日本に派遣

サンフランシスコ大会(1922年、大正11年)

ものみの塔(英語)1922年4月1日号102-103ページより翻訳引用

2月2日から5日までサンフランシスコで開催された国際聖書研究者協会(I.B.S.A.)の大会には、約700名の友(信者)が出席しました。ピッカリング兄弟が議長を務め、サンフランシスコ・クラスのゲルデス兄弟による歓迎の辞に続き、議長が答辞を述べました。4日間の会期中、ピッカリング、マクミラン、マクファーソン、グー、セクストン、タリアフェロ、そしてラザフォードの各兄弟が講話を行いました。賛美、祈り、証しの集いを含むすべてのセッションは盛況で、兄弟たちにとって非常に有益で啓発的なものとなりました。誰もが幸福と喜びに満ちており、「これまでで最高の大会だ」という言葉があちこちで聞かれました。兄弟たちの講話は友らを教化し、高め、励ますものであり、出席者は皆、来たるべき神の王国の到来を証しする奉仕に携わる特権への理解を深めて帰路につきました。

5日の日曜夜、ドリームランド・リンクで公開集会が開かれ、ラザフォード兄弟が講演しました。この会場は4,000人を収容できますが、後方に立ち見が出るほどの満席となりました。これはサンフランシスコにおける聖書研究者の公開集会としては過去最大のものであり、多大なる成果が期待されます。聴衆の態度は素晴らしく、終了後には非常に多くの人々が書籍を手に取って帰っていきました。

この大会には、何名かの日本人の兄弟たちも出席しました。サンフランシスコには日本人のための独立した研究クラスがあり、そのうちの数名は主に完全に献身しています。ある親愛なる日本人の兄弟は、最近『現存する万民は決して死することなし』の書を日本語に翻訳しました。これは間もなく出版される予定です。また、彼は現在『神の立琴』の翻訳にも取り組んでいます。これらの文書が完成次第、世界各地の日本人の間で配布できるようになるでしょう。

これまで奉仕活動に携わることができなかったサンフランシスコ・クラスの多くの友らが、主が道を開いてくださるなら直ちに活動に参加する意向を表明しました。この都市での協会の文書配布において、多くの成果が上げられることが期待されます。サンフランシスコは、東洋への実質的な玄関口であり、多くの国籍の人々が通り過ぎる重要な拠点の一つです。奉仕の機会が増大していることは、私たちにとって大きな喜びです。親愛なる兄弟たちは、主が与えてくださるいかなる立場であっても、主の奉仕に携わることが大きな特権であることをますます実感しています。実に、獣と小羊(子羊)の間で戦争が起きているという事実を認識する時、小羊であるキリスト・イエスの従者たちの戦いの武器は「真理の音信」であり、主の霊をもってこの武器を使用することは、主の「小さき者たち」にとって保護となるだけでなく、大きな力の源となります。親愛なる兄弟たちは、活動においてさらなる熱意とエネルギーを注いでいます。

1922年の真理の広範な証しについての展望は非常に明るく、私たちは主が、ご自身の栄光と彼ら自身の益のために、さらに多くの働き人を収穫の場に送り出してくださるよう祈っています。一般の人々の関心は高まっています。世の苦難と困惑が増すにつれ、なぜこのようなことが起きるのかを知りたいという人々の願いも強まっており、人類の病に対する唯一の解決策を提示するメシアの王国の慰めの音信を伝える機会は、かつてないほど大きくなっています。

大会は親愛なる兄弟たちにとって大きな励みとなり、互いに最も聖なる信仰の上に築き上げ、目標に向かって前進させるものとなりました。サンフランシスコ大会は、出席したすべての人にとって大きな助けとなったと確信しています。

萬国聖書研究団による活動

「現在生存する万民は決して死する事なし」講演

日米新聞1922年3月21日と3月24日に掲載

「抑々神とは何ぞや」ー「新世界」紙(1922年6月10日~24日)

「人間とは何ぞや」ー「新世界」紙(1922年8月5日~15日)

「愚かなる者は心の中に神無しと云へリ」ー「新世界」紙(1922年8月30日~9月13日)

聖書研究会

「死とは何ぞや」

日米新聞1922年9月8日に掲載

「キリスト・イエス復活の真意義」聖書研究会

日米新聞1922年9月22日に掲載

「我は福音を耻とせず」ー「新世界」紙(1922年9月27日)

米国オハイオ州シーダー・ポイント決議

ー日米新聞、1922年10月25日掲載

「全人類祝福の新時代到来説ー萬国聖書研究団決議」

東部シーダ―・ポイントに於て本日初旬開催されたる萬国聖書研究団大会に於て会衆2万人に依り通過されたる決議に基づき同団にては世界各所の支部と共に一斉に「旧時代の終結と祝福さるべき基督統治千年期の到来」を大挙宣伝するに決死柔港に於ても既に7万枚の宣伝書を撒布し10月19日市内各所に講演をなすはずなるが同じく聖書研究者たる明石順三氏もフィルモア街1356にて同日午後3時より講演する由にて献金無用一般の自由来場を歓迎すべしと」

「聴け…福音を『祝福の新時代来る』」

ー日米新聞1922年10月25日に掲載

ー「新世界」紙、1922年10月25日掲載

1922年に、米国オハイオ州シーダー・ポイントにおける聖書研究者の大会で、J・F・ラザフォードは、「天の王国は近づきたり」という聖句に基づいた特筆すべき講演を行ないました。「では,至高の神の子の皆さん,野外に戻りなさい。自分の武具を身につけなさい。冷静にし,油断なく警戒し,活発に働き,勇敢でありなさい。主の忠実な真の証人でありなさい。バビロンが跡形もなく荒廃するまで戦いで前進しなさい。音信を遠く広く告げ知らせなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」

「爾の言は真理なり」ー「新世界」紙(1922年12月9日~11日)

特別講演

「死者しにんの更生よみがへり」

「新世界」紙(1922年12月9日掲載)

日本人の間に浸透する真理

「ものみの塔」(英語)1924年2月1日号に掲載された1923年2月1日号の翻訳引用

親愛なるラザフォード兄弟へ

キリスト教的な挨拶を送ります。日本語原稿の『神の立琴』は、2週間以内(12月15日)に完成する予定です。準備ができ次第、お送りします。

先週の日曜日、カリフォルニア州東サンペドロにある日本バプテスト教会で話をする特権をいただきました。牧師のイトウ(伊藤)氏は私を歓迎し、月に一度、日曜夜の集会で話す機会を与えてくれました。前回の講話のテーマは「聖書は神の言葉である」でした。40名が出席し、彼らは「真理」に同意しました。

イトウ牧師はファンダメンタリスト(根本主義者)です。彼は英語を話すことも読むこともできません。彼はこう言いました。「私はこのモダニズムについては何も知りません。私は主と使徒たちの根本的な教理に固執したいのです。今のキリスト教徒の状態を見るのは恐ろしいことです。主が私をこの古風な信仰に留めてくださっていることを心から嬉しく思います」。

私の家には、毎週木曜日の夜に『立琴』を学びにくる別の日本人牧師がいます。ロサンゼルス日本人独立教会のイシグロ(石黒)牧師です。彼は自分が教えられてきた教理に満足していないと言っています。

ラザフォード兄弟、このように、日本人のいわゆるクリスチャンの間でも、ヒツジとヤギの分離がはっきりと進んでいます。主に賛美がありますように!

9月20日以来、私は34組の「全巻セット」、2冊の聖書研究生用聖書、およびその他の書籍を販売しました。それらはすべて日本人に販売したものです。

彼の恵みによる、主にあるあなたの兄弟
J. AKASHI (明石順三)、カリフォルニア州にて。


補足情報

1922年(大正十一年)北米合衆国人口及日本人分布図

日米関係在米國日本人発展史要

神戸市須磨の活動紹介

「ものみの塔」(英語)1925年12月1日号365ページより翻訳引用

日本
日本の神戸市須磨には、日本語で証言するために最善を尽くしている小さな会衆があります。米国の太平洋沿岸での日本人への伝道は今年、大きな勢いを得ており、数箇所でクラスが組織されています。近いうちに日本の活動を支援するために日本人の兄弟を派遣したいと考えています。『現存する万民は決して死することなし』、『慰め』、『神の立琴』、『聖書研究』第1巻(千年紀黎明、世々に渉る神の経綸)が日本語で発行されています。

日本の一人の兄弟は次のように書いています。「偽りの教師たちが日本を去ろうとしています。これら、いわゆる宣教師たちがわが国で行ってきたことは、家庭と国家の団結を汚し、主の名と永遠の命の希望を汚すことでした。彼らはイエスの名においてそれを行ってきました。わが民は彼らを拒絶しました。今こそ、真理が提示されたとき、それを受け入れる可能性があります。」

韓国
今年、韓国での活動に特別な増加はありませんでしたが、兄弟たちは証言をするために熱心に最善を尽くし続けています。現地の小さな印刷所は稼働を続けており、韓国人と中国人のために文書を制作しています。

「須磨浦聖書講堂」をめぐる動き

「『一ノ谷ベテル山荘』に揺れた内村鑑三・神田繁太郎・明石順三」(西松五郎,神戸新聞社友)より抜粋

…内村が、長い聖書研究から得たものとして、激しく胸を打たれたのか『再臨運動』を、大正七年(1918年)からはじめた。…神戸下山手通六丁目の基督教青年会館で『基督教の復活と再臨』という演題で、内村の再臨論を講演した。…この講演をモード夫人や従弟で信仰の友である井上隣太郎らと熱心に耳をかたむけていた神田繁太郎が初めて内村鑑三と出会った日である。…

神田繁太郎は、ワッチタワー(灯台社)(本部ニューヨーク・ブルックリン)の創設者であったチャールズ・テーズ・ラッセルの基督再臨論に非常な関心を抱きラッセルの研究書(原書)を手にいれて熱心に研究していた。…

神田繁太郎は十八歳で同志社を退学して…ウィスコン州立大学で経済学と語学について学んだ。…留学五年、小学校の教員をしていたアメリカ女性、ミスモード・エモンズとの交際がやがて国境をこえた愛情が実を結び繁太郎二十四歳、モード二十二歳で結婚した。…

明治四十二年(一九〇九)モード夫人を伴って帰国した。一ノ谷川の上流…一千坪の土地を買い入れて…モードの父が設計建築で、しょうしゃな木造洋館建てを新築した…内村鑑三が「ベテル山荘」(神戸市須磨一ノ谷・いまの須磨区一の谷長一丁目)を、初めて訪れたのは、大正七年(一九一八)十月十五日…神田繁太郎とモード夫妻にとって感激の儀式があった。それは、内村鑑三から、バプティスマ(baptisma)洗礼を受けたことであった。…

神田繁太郎の従弟、井上隣太郎の貸家であった神戸西須磨小神(いまの須磨区関守町ー大正十二年九月二日ここに須磨浦聖書講堂を創設)に集い、繁太郎の聖書研究の話を和やかに聞いた。…大正十五年(一九二六)この年の九月、明石順三が、在米のワッチタワー本部から派遣されて神戸に着いた。静かな聖書研究のグループは、異なる教義にゆさぶられ、内村鑑三との交流は薄れて行った。

ラッセル再臨論研究「ダニエル書の予言」と、大正十四年十二月二十七日に発行された著書の予言的「神の国」出現を待望する「王国の饗宴」(昭和五十五年八月一日「王国の共宴」と改題して復刻)を発行して、静かな聖書研究をしていたところへ、神田繁太郎をはじめ、そのグループを大きくゆさぶった明石順三がアメリカのニューヨーク本部をおく繁太郎の研究していたチャールズ・テーズ・ラッセル創設、初代会長のワッチタワー協会、二代目会長のルサフォードからワッチタワー(灯台社)日本支部設立の使命を帯びて、「エホバの証者」と称してやって来た。

神田繁太郎『ダニエル書の預言』

 神戸市須磨浦在住の神田繁太郎は、妻の神田モードと、いとこの井上隣太郎は、「国際聖書研究者協会(I.B.S.A.)」(現在のエホバの証人)の発行する「ものみの塔」誌や他の書籍を読んで感化を受けました。それらを翻訳し「須磨浦聖書講堂」のメンバーにシェアしました。

 聖書のダニエル書の預言に関する年代計算にも注目していました。 1926年(大正15年)、「ダニエル書の預言」を発行します。その書の中で神田繁太郎は、C.T.ラッセルの『聖書研究』第3巻(1891年)などの当時の解釈を踏襲していました。

 ダニエル4章31,32節の「七つの時」が「異邦人の時」であり、紀元前606年の2520年(360×7年)の西暦1914年であると算出しました。 (「ダニエル書の預言」28-29ページ)

 ダニエル8章13,14節の『二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する』は、紀元前454年(アルタクセルクセス王によるエルサレム再建命令)の2300年後の西暦1848年と算出しました。

 ダニエル書12章7節の「定め​られ​た​一時,定め​られ​た​二​時,そして​半時​の​間​で​ある。」については、東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令があった西暦539年の1260年後の西暦1799年と算出しました。(「ダニエル書の預言」68-69ページ)

 ダニエル12章11節、12節の『常供の者を除き残暴の悪者を立てん時よりして、一千二百九十日あらん。』『待ちをりて一千三百三十五日に至る者は幸福なり。』は、西暦539年の1290年後の西暦1829年、西暦539年の1335年後の西暦1874年と算出しました。(「ダニエル書の預言」128-129ページ)

●ダニエル8章13,14節の「2,300日は、1938年6月1日ないしは15日を起点として2,300日(ヘブライ暦で6年4か月と20日)を数えると,1944年10月8日ないし22日になります。」(「ダニエルの預言」第10章 178ページ 26節)

●ダニエル12章7節は、1260日の期間は「1914年12月から1918年6月までの3年半,つまり42か月の間に成就しました。」(ものみの塔1994年8月1日号の読者からの質問)

●ダニエル12章11節、12節の「1290日」と「1335日」の期間は、「1919年の早い時期に始まり,1922年の秋(北半球の場合)まで続きました。」(「ダニエルの預言」第17章 300ページ 22節)、「1922年の秋から1926年の春の終わりごろ(北半球の場合)まで続いたと考えてよいでしょう。」(「ダニエルの預言」第17章 303ページ 24節)

一ノ谷ベテル山荘:中央2列目:内村鑑三、後列:神田繁太郎と神田モード(研究参照用:本サイト以外の使用一切禁止)
左から2番目赤松今朝松、明石順三、神田繁太郎、後列中央後藤亮(研究参照用:本サイト以外の使用一切禁止)

神田繁太郎・モード夫妻

「内村先生と神田繁太郎・モード夫妻」井上隣太郎ー「聖書の日本」(396)より抜粋

彼は小生の従兄でして父が信者だったので同志社に学び十八才くらいの時渡米してウイスコンシン大学で社会主義を専攻して帰国しました。夫人は米人でモードと申しました。彼は一八八二年生、一九六〇年亡、彼女は一八八四年生、一九六三年亡、繁太郎の告別式は小生が歯科医師、説教は神戸パルモア学院理事長の米人某氏がしました。モードの告別式の時は、司会も告別の辞も全部小生がいたしました。二人の間には子がなく、「譲世夫ジョセフ」という養子がありました。

「神戸と基督教:神戸キリスト教100年史」(三)明石順三の抵抗

日本人の真理への目覚め

ものみの塔(英語)1927年3月1日号より翻訳引用

親愛なるラザフォード兄弟へ

私たちはあなたのお名前を存じておりますが、直接お会いしたことはございません。しかし、感謝の気持ちを込めて、この手紙をお送りいたします。

神がわが日本人に真理を悟らせる時が来ました。神は苦難を通して、彼らが救いを受け入れる準備をさせてこられました。日本における主の業が急速に進展していると聞き、私たちは大変嬉しく思っております。また、このような状況は、キリストの王国が近づいていることの証しであると考えております。

私たちは、あなたと、日本の代表者である明石兄弟のために、あなた方が勇敢に主の業を遂行できるよう常に祈っております。

私たちの主イエスの恵みが、皆様と共にありますように。

主の奉仕において
ワシントン州シアトル 日本人I.B.S.A.(国際聖書研究者協会)クラス一同

「須磨浦聖書講堂」から「燈台社」へ(1926年、大正15年)

 日本の燈台社(現在のエホバの証人)の活動は、第二次世界大戦前後の混乱した日本において、治安維持法などによって、著しく制限されました。当時の日本の代表者の明石順三などが聴取書の中で詳しく解説しています。

第17回聴取書(明石順三)

第17回聴取書(明石順三)13~18を引用

十一、続いて日本において私が燈台社の創設して真理宣明の聖業が開始するに至った顛末を申し上げます。

入信の動機については前に申し上げました通り、私は1921年(大正十年)燈台社の教理を信奉するに至り、漸次深くその教理を研究するに従って、もしその機会が与えられたならば、日本において、神の国の福音宣明の仕事を致したいという希望を抱きました。1925年の春、ロサンゼルス市の「羅府新報」の外報部長に在任中、ラザフォードからの信書により、ワォッチタワー社の巡回講演者として活動する意思の有無の照会がありました。私は、これを快諾して同新聞社を辞し、以来カリフォルニア、オレゴン、ワシントン三州を中心に在留日本人の、あるいはアメリカ人の間で巡回講演をしておりました。

翌1926年(大正十五年)春、ハワイに赴くこととなり、同所において約4カ月間講演、戸別訪問、文書配布に努め居る中、同年8月、ラザフォードより正式代表者として日本に行って活動せよ、という指令を受けました。かねてから希望するところでありましたから、喜んでこれに従い、ついに日本に向かうことになったのであります。

十二、大正十五年(1926年)9月6日、横浜に上陸、約二週間、東京に滞在をいたしました。神戸市須磨一ノ谷に居住する神田繁太郎こうだはんたろう氏が、以前からワッチタワー誌の読者であることを調査しておりましたので、同人と連絡し、その招きに応じて、同月末に神戸に向いました。それ以来神田の家に寄宿して、同人を中心として集まっていた聖書研究会の間に真理の宣明をなし、その結果、神戸において約10名の同信者を得てこれに洗礼を施したのであります。

神田はかつてからワッチタワー誌を購読し、それと共に内村鑑三派の教理をも研究し「須磨ノ浦聖書講堂」なる教壇を設けていました。要するに燈台社と内村派とを突き混ぜたような聖書研究会を持って約10数名くらいの会員があったのであります。私はこれらの者に聖書の真理を説き、内村派の教理を粉砕致しましたところ、神田を始めほか、

井上 隣太郎、田淵 一雄、後藤 亮、田中咲子、酒井 酔一郎、神田 靜栄、赤松 朝松

等、その研究会員の共鳴を得、日本における最初の受洗者を得たのであります。その中の神田靜栄は私の現在の妻であります。

十三、さらに1926年12月、神戸市大開通二丁目に後藤亮方を事務所として、「燈台」誌を発刊する事になりました。その題號、発行所名に関しては、前に申し述べたとおりの事情であります。さらに同月半ば神戸キリスト教青年会において「神の国は近付けり」という題の最初の講演会を開きました。さらに1934年(昭和九年)5月、大阪朝日会館において、同年6月、和歌山市公会堂において、同年7月、京都市公会堂において、同年8月、淡路の洲本において、それぞれ講演会を開催しました。一方、その間において信者を指導して、関西各市において戸別訪問による文書配布を開始し、その結果、信者約670人になったのであります。その当時配布した文書は、私がアメリカから持ち帰った私の翻訳した「神の立琴」、「人々の慰め」あるいは国際会議の決議による宣言を印刷した物などであります。

十四、このようにして、私は日本において聖業を組織的に行う基盤も出来ましたので、ついにワッチタワー社の日本支部として、その活動を組織するよう決意しました。それには日本における仕事は結局、その首都である東京を中心とすることの必要を認め、私の独断でそのことを決定しました。当時の主だった信者である神田、酒井、井上、後藤などにその決意を告げて賛同を得られました。昭和二年(1927年)八月、酒井と共に上京し、東京市京橋区畳町13番地根本ビル3階の一室を借り受けて、ここに事務所を設け、初めてワッチタワー社の日本支部である燈台社を正式に設けるに至りました。設けたのは、1927年9月10日頃であります。事務所開設と共に総本部へも通知し正式に支部として承認を受け、以来、本部から多量の書物冊子の送付を受けるようになったのであります。

十五、事務所開設と同時に、東京において講演会開催の準備を始め、1927年10月6日、朝日講堂において「神の国は近付けり」、10月16日、青山会館において「キリスト教文明の崩壊」、10月26日、本所公会堂において「題失念」、更に11月初旬、神田の中華留日青年会館において第四回にわたる講演会を開催し、その結果、東京方面において十数名の受洗者を出しましたが今日において残っているのは、長縄由三、小林秀雄の二人のみであり、また関西方面における受洗者中残っているのは、赤松朝松、私の妻靜栄の二人限りでその他の者は死亡しまたは脱落いたしました。

十六、それ以来、この真理に入る人々の手によって、文書の配布が続けられ、また関東関西各地において講演会を開催し、研究会を催しました。1928年(昭和三年)2月からは月刊誌「黄金時代」を発刊し、この聖業を続けてきたのであります。1930年(昭和五年)9月、総本部より送付を受ける書物冊子の倉庫の都合や、経済上の理由から、杉並区荻窪4丁目58番地にバラック建築を営み、その所に事務所を移転いたしました。

それまでの活動の状況は、はなはだ無秩序で、多数の信者が、続々アメリカから送付してくる書物・冊子をできる限り多く配布するため活動していましたが、荻窪に移転してから後は、これらのあゆみに関する秩序も定まり、また本部に所属する者と、外部で活動する者との立場の区別も明確になりました。その他、諸般のあゆみにおいて、活動上の組織や秩序を設けることが出来るようになりました。

十七、その当時、配布していた単行本・小冊子は、すべて後に申し上げるように、1933年(昭和八年)に発禁差止処分を受けておりますが、その当時の書籍の種類や発行の方法、時期、部数などを申し上げます。それらの書籍・冊子は、いずれもラザフォードの著書でありまして、私が翻訳し、総本部において印刷・製本の上、日本へ輸入したものであります。単行本の中、「現在生存する万民は決して死することなし」および「神の竪琴」の2種類は、その紙型も米国で作り発行所も総本部名義となっております。他の物は日本国内において紙型を作り、これを総本部に送付し、同所において印刷製本の上、燈台社の発行名義で配布いたしております。その発行年月および輸入の数量を次に申し上げます。

  1. 現在生存する万民は決して死することなし
    1921年に私が米国で翻訳し米国で発行し、私が帰国の時、数百部持ち帰りました。
  2. 神の立琴
    1925年に米国で印刷・発行され、帰国の際に千部位持ち帰り、その後、約3万部ほど輸入しました。
  3. 神の救い
    1925年に私がハワイにおいて翻訳し、日本に帰ってから紙型を作って総本部において印刷した物で、約3万部ほど発行したと思います。
  4. 政府
    昭和五年、秋頃に翻訳し、その後2万部ほど発行したと思います。
  5. 生命
    昭和三年に翻訳し、約1万部発行いたしました。
  6. 創造
    昭和四年春頃に翻訳し、1万3千部ほど発行しました。
  7. 預言
    昭和五年冬に翻訳し、約8千部ほど発行しました。
  8. 和解
    昭和五年春頃に翻訳し、1万冊ほど発行しました。
  9. 光(上・下二巻)
    昭和七年中に翻訳しました。第一巻は紙型を作り、本部へ送付し、数千部が送付されましたが、昭和八年の検挙の際、荷揚げできず横浜から送り返されました。証拠品にある「光」一、二巻は、そのうち第一巻のほうは総本部において印刷ができ、見本として少数送られたもの、第二巻は紙型にする前の校正刷りであります。
  10. 保護
    昭和八年春に翻訳し紙型を作り、送付しましたが、国内での発行には至りませんでした。

十八、小冊子に関して申し上げますと、昭和八年の発禁処分前に発行していたものは、「人々の慰め」「幸福は必ず来る」「末の日」「地獄」「天と煉獄」「審判」「圧制はいつ止むか」「戦争か平和か」「犯罪と災害」「天使」「神の国、全地の希望」などで、いずれも私が翻訳しました。「人々の慰め」は米国において発行し、他は印刷製本のみ総本部でおこなって、燈台社において発行したのであります。これらの小冊子は全部で約100万部は日本で発行されています。

陳述人 明石順三

右録取し読聞けたるに無相違旨申立署名捺印したり

前同日

東京刑事地方裁判所検事局

検事 西ヶ原 徹

裁判所書記 西村寅治


1929年(昭和4年)奉仕年度日本の報告

1931年「エホバの証人の年鑑」(英語)1929年〜1930年の奉仕年度報告より翻訳引用

組織化されたキリスト教の代理人たちは日本で長年活動してきましたが、今や彼らの業は何の役にも立っていません。本当に主を愛している人々が真理を受け入れ始めています。日本にも主の民がおり、彼らはメッセージを聞くと喜んでそれを受け入れ、奉仕に加わることで主の命令に従っています。

日本におけるこの一年の活動は、現在の現地の状況を考えれば、目覚ましい進展を見せました。現在、33名のコルポーター(全時間伝道者)と1名の補助コルポーターが野外で活動しています。以下は現地責任者の報告からの抜粋であり、自然条件に恵まれた土地に住む人々にとって、非常に興味深い内容となるでしょう。

日本の状況は、社会的にも経済的にも悪化の一途を辿っています。支配層は事態を収拾する術を全く持っていません。東京、大阪、その他の大都市は事実上、破産状態にあります。人々は納税を拒否しています。共産主義者や無政府主義者が日本や朝鮮の至る所で活発に活動しています。民衆は統治者によってひどく圧迫されています。中には3銭(米貨21セントに相当)で生活している人々もいます。

このような悲惨な状況の中で、主の業は威風堂々と進展しており、より多くの本が人々の手に渡っています。私たちはここで、まさに主の奇跡を目にしています。主を賛美します!

1929年9月25日から1930年9月24日までの日本における活動結果は以下の通りです。

項目1929年1930年
配布した書籍(単行本)4,2307,669
配布した小冊子12,33122,636
『ものみの塔』(日本語)10,0138,561
『黄金時代』(日本語)—25,481
無料配布した『黄金時代』101,78068,721
「デトロイト」および「ロンドン」小冊子配布88,0008,300
コルポーター(全時間伝道者)1433
クラス・ワーカー(地元の奉仕者)1912
ベテル家族45
訪問した家屋数140,160187,726
費やした時間14,60020,331
受信郵便物1,8252,476
発信郵便物2,5453,193
地域奉仕(監督1名)
 公開講演会数3625
 出席者数3,525320
 クラス(会衆)集会数18252
 出席者数2,230416
 移動距離(マイル)17,27911,225

『和解』、『政府』、『生命』、『預言』、『戦争か平和か』、『犯罪と惨害』はすでに日本語に翻訳されています。

昨年中に43名の男女が献身しました。その多くは奉仕において非常に活発です。

仕立屋を営む小林幹直(みきなお)夫妻は、大阪のある教会の非常に活動的な会員でした。彼の店には3人の従業員がいました。3ヶ月前、一人の女性コルポーターが、彼がクリスチャンであることを知らずに店を訪れました。彼は小冊子のセットを受け取りました。数日後、同じコルポーターが同じ区域で奉仕をしていた際、再び彼に会いました。彼はコルポーターに、東京の事務所に『神の竪琴』、『救い』、『創造』を注文しようとしていたところだと話し、「これこそ私が探していた真理だ!」と叫びました。彼はすべての書籍と『ものみの塔』、『黄金時代』を受け取りました。

9月初旬、彼は3人の従業員を前に呼び、こう告げました。「私は主の奉仕に献身することを決意した。もはや仕立屋の仕事には関心がない。だから、この店を直ちに閉めることにする。もし君たちが他の仕事に就きたいなら探してあげよう。故郷に帰りたいなら、十分な旅費を喜んで渡そう。どちらを選ぶかね?」

この3人の若者もクリスチャンであり、真理を喜んで受け入れていました。彼らは雇い主に言いました。「主の奉仕の道以外、私たちが行くべき道などありません。私たちもあなたと同じ道を行きます」。

店はすぐに閉じられました。現在、彼らは割り当てられた区域で主の喜びのうちに働いています。小林夫妻には8人の子供がいます。18歳の長男もコルポーターとして活動しています。

これは、「若者たち」がいかにして主の幻を見ているかを示す多くの例の一つです。主を賛美します!

主の業は、日本と朝鮮においても例のごとく、悪魔の組織と「悪い奴隷」級(※注:離反したグループ)からの反対を受けています。しかし、敵対者たちは、私たちの王の栄光ある前進の前には全く無力です。


1930年(昭和5年)奉仕年度日本の報告

1932年「エホバの証人の年鑑」(英語)1930年9月25日〜1931年9月24日の奉仕年度報告より翻訳引用

日本における業は大規模なものではありませんが、この一年間で着実に進展しました。ベテル家族には7名の奉仕者がおり、65名のパイオニア、および奉仕に従事する12名の会衆の奉仕者がおり、1名の地域監督が任命されています。現地責任者の報告から以下の抜粋を掲載します。

主は引き続き、日本の証人たちを祝福しておられます。今年も年次報告をお送りできることを大変嬉しく思います。1927年に主が日本での業を開始して以来、最高の結果となりました。日本は経済的にも社会的にも非常に悪い状態にあります。政府はほぼ破産状態です。無政府主義者や共産主義者があらゆる方面で活発に活動しています。毎日、さらに多くの銀行や商店が閉鎖されています。教会キリスト教(キリスト教世界)も仏教も、その他のあらゆる宗教体系も、人々が離れてしまったために破産寸前です。

このような状況の中で、主の御名のための証言活動は極めて健全に進展しています。日本では証言活動にラジオを使用することはできませんが、主は日本語版『黄金時代』を存分にご自分の業に用いておられます。現在、『黄金時代』は人々の間で非常に人気があります。

昨年(1930年9月25日から1931年9月24日まで)の日本における活動結果は以下の通りです。

項目数量
配布した書籍(単行本)15,027
配布した小冊子97,104
『ものみの塔』(日本語)4,985
『黄金時代』(日本語)112,401
合計229,517
無料配布した『黄金時代』36,261

ブルックリン本部の発表に従い、日本の兄弟たちはすべての奉仕週を忠実に守りました。ハマン級(※敵対する宗教指導者層などを指す当時の用語)はエホバの証人に対して激怒していますが、全く無力です。

日本政府は私たちを非常に鋭く、厳しい監視の目に置いています。しかし、エホバの証人はそれに関わらず前進を続けています。多くの警察署長が、私たちのパイオニアから深い関心を持って書籍のセットを受け取りました。

補足情報

神戸又新日報1930年(昭和5年)5月16日

1932年(昭和6年)奉仕年度の日本の報告

1933年「エホバの証人の年鑑」(英語)「1932年の奉仕年度報告」より翻訳引用

主に対して真に献身し、世界の様々な場所で御国のメッセージが前進しているのを目の当たりにしている人なら、協会が現在主の慈しみによって宣い広めている真理について、疑いを持つことはあり得ません。至る所で「キリスト教世界」は崩壊しつつあり、至る所で真理の潮流は高まり続けています。

遠く離れた日本でも、この一年間に健全な増加が見られました。活動に参加している人々は、エホバの御名の立証に加われるという見込みに胸を躍らせています。朝鮮における業は日本の東京事務所の監督下に置かれ、現在はより健全な状態にあります。現地の協会責任者の報告から、以下の抜粋を引用します。

至高者の御名と御言葉のために行われた証言活動において、過去最高を大幅に更新する、もう一つの輝かしい一年が過ぎました。日本で業が始まって以来、依然として最高の記録です。ここ日本におけるあらゆる面での非常に劣悪な状況にもかかわらず、主はその油そそがれた者たちを豊かに祝福し、その御名のために行うべきより多くの仕事を与えてくださいました。

台湾島における公開証言: 5月中に台湾島で3つの大きな公開講演会を開催しました。これらの集会と膨大な数の書籍を通して、300万人の台湾人と日本人に御国の福音が徹底的に証言されました。2人の日本人のパイオニアの兄弟は、一週間で1,300冊以上の書籍と小冊子を配布しました。1人の台湾人の若者がすでにパイオニア奉仕を始めており、さらに数名が奉仕に加わろうとしています。

「御国」小冊子期間: 日本語版の『御国(Kingdom)』小冊子の荷が5月に到着しました。6月と7月の丸2ヶ月間が、特別な「御国」小冊子期間として捧げられました。この期間中、私たちは42,624冊の小冊子と34,878冊の日本語版『黄金時代』を、6,347人の支配階級(官吏など)と36,277人の一般の人々の手に届けました。この小冊子は、日本の最高位の官僚や皇族の方々の間にも届けられました。

大会: 第2回全日本奉仕大会が5月20日から22日までの3日間、東京で開催されました。58名が出席し、55名が野外奉仕に出かけました。1,480冊の『御国』小冊子が配布されました。

タンク(移動式住宅): 日本で自動車を所有するのは非常に高価です。地方の道路状況も非常に悪いです。同時に、私たちは自動車を必要としません。なぜなら、次の村まで1時間以内に歩いて到達できるからです。そこで私たちは、エンジンのない「タンク(走行式住宅)」を作ることにしました。3台の「タンク」が建造される予定で、そのうちの1台はほぼ完成しています。各「タンク」は、馬力ではなく、徒歩による「3人間力(3 man power)」で動かします。全長8フィート(約2.4m)、幅4.5フィート(約1.4m)、高さ6フィート(約1.8m)です。この車の中で、3人のパイオニアの兄弟が、睡眠、研究、食事、調理、そして集会を行うことができます。今や、このタンクによってどんな離れた地方へも行くことができます。これは鉄パイプと鉄板で作られています。1台あたりの総費用は30ドル(当時のレート)未満です。建造はすべて兄弟たちの手によって行われました。

活動: 日本における証言活動は昨年中に大きく増加しました。非常に珍しいことに、日本全体で「会衆(カンパニー)」は一つしかありません。真理の知識を得て御国への熱意を持った人は、男女を問わず、すぐにパイオニア奉仕に飛び込むからです。そのため、日本では地域監督は(アメリカやヨーロッパのように)会衆を訪問するのではなく、各地のパイオニアたちを訪問して回ります。パイオニアの数は前年より14名増加しました。昨年中に行われた証言回数は1,068,471回で、前年より328,369回増加しました。単行本の配布は計14,361冊で、666冊減少しました。小冊子は計111,044冊で、13,940冊増加しました。日本語版『ものみの塔』は計6,889部で、1,904部増加しました。日本語版『黄金時代』は計247,260部で、134,859部増加しました。

1932奉仕年度 活動結果

区分パイオニア補助パイオニア会衆ベテル合計
奉仕者数69111013103
費やした時間73,1615,7511,755.53,061.583,729
証言回数967,77135,42816,83348,4391,068,471
配布先人数101,4813,7891,7854,072111,127
配布書籍(単行本)12,45686338266014,361
配布小冊子97,4696,3702,8144,391111,044
合計配布数109,9257,2333,1965,051125,405
『黄金時代』(部数)158,02715,41441,98231,837247,260
『黄金時代』(予約数)1,683831104762,352
『ものみの塔』(部数)3,3826775782,2526,889
『ものみの塔』(予約数)13025368
無料配布『黄金時代』24,4835021611,04935,798
  • 地域監督の奉仕: 監督数:2名、総移動距離:37,602km、公開講演会:3回(出席者2,200名、ポスター300枚、チラシ35,000枚使用)、会衆(各グループ)集会:151回、出席者:727名。受信郵便:7,375通、発信郵便:8,043通。
  • 書籍『光(Light)』第1巻・第2巻が翻訳され、第1巻はすでに印刷中です。新小冊子『真理とは何ぞや(What is Truth?)』および『神とは誰か(Who is God?)』もすでに翻訳され、印刷の準備が整っています。次は書籍『言明(Vindication)』が翻訳される予定です。ベテルでは毎週定期的に『ものみの塔』研究を行っています。

「ライヒ・コンコルダート」調印式

枢機卿エウジェニオ・パチェッリ(後のローマ教皇ピウス12世)が、 1933年7月20日、バチカン国務長官としてドイツ政府と「ライヒ・コンコルダート」(政教条約)を締結。
これによりカトリック教会は法的地位を得たが、聖職者の政治活動が禁止され、ナチス政権に国際的な公認を与える結果となった。

1933年(昭和7年)奉仕年度の日本の報告

1934年「エホバの証人の年鑑」(英語) 155-159ページより翻訳引用

この一年間、日本の少数の忠実な兄弟たちに対して激しい迫害が吹き荒れました。もちろん、この陰謀を扇動したのは悪魔とその主要な代表者であるゴグであり、この迫害において主要な目に見える道具として実行に移したのは、教派教会の聖職者たち、特に主の宣教師を装っている者たちでした。この迫害の結果、協会の全出版物が押収され、あらゆる文書の配布が禁止され、倉庫から持ち出された書籍は人々の目の前で焼却されました。野外のパイオニアたちは活動停止を命じられ、その多くが逮捕されました。実質的にすべての奉仕者が刑務所に投げ込まれ、しばらくの間拘禁されました。

朝鮮における業も日本から管理されており、この報告には両国が含まれます。現地の責任者(明石順三)の報告から以下の通り引用します。

日本と朝鮮の兄弟たちが、厳しい試練の中でもエホバとその油そそがれた王に対して忠実と誠実(整合性)を保ったことを知れば、皆様はきっと喜ばれることでしょう。野外を離れたのは、わずか一人のパイオニアと数名の不活発な者たちだけでした。逆に5名(男性3名、女性2名)が正規パイオニアとして奉仕に飛び込んできました。この5人の新人は数ヶ月間真理を学んでいたところでしたが、あらゆる一般紙でエホバの証人の逮捕や手入れが大きく報じられているのを目にすると、すべてを投げ打って最前線へと駆けつけたのです。今、この特別な報告をお送りできることを嬉しく思います。

私は去る5月10日に東京を離れ、視察旅行に出ました。5月14日に旅順にいた際、東京事務所から電報を受け取り、不在中に何かが起きたことを知りました。翌日、満州の奉天で航空便を受け取り、支部の事務スタッフ全員(5名の兄弟たち)が逮捕され刑務所に投げ込まれたこと、支部の業務は姉妹たちによって維持されていることを知りました。二日後、明石姉妹(妻・静恵)からの二通の手紙によってさらに詳細を知りました。状況は非常に危機的であるようでした。5月16日と17日のほぼすべての新聞が、日本全土の至る所でのエホバの証人の逮捕について、ほぼ1ページを割いて報じていました。私は直ちに東京へ戻る決意をしました。

釜山と下関を結ぶ連絡船の中で逮捕されることを覚悟していました。新聞報道によれば、警察が「恐るべきユダヤの秘密結社・ものみの塔」の代理人である「明石順三」の捜索に躍起になっていることを知ったからです。しかし、主の導きにより無事に東京に戻ることができました。

東京に戻るとすぐ、5月21日に皆様へ最初の報告を送りました。翌日、私は高等警察の課長のもとへ出頭しました。私は4日間留置場に入れられ、その間に課長から4回の取り調べを受けました。彼の質問に対する回答として、私はエホバの聖なる御名、その油そそがれた王、および御国について、力強く立派な証言を行いました。私の回答は供述書の形にまとめられました。後に知ったことですが、この回答文書は冊子として印刷され、日本中の警察署長や日本の最高層にも配布されたとのことです。今や彼らは、御国が自分たちにとって何を意味するかを知っています。

警察は東京と京城(ソウル)の協会事務所を捜索しました。彼らは出版物の全在庫と、過去3年分の日本語版『ものみの塔』および『黄金時代』を押収しました。東京の倉庫は完全に空になりました。警察はまた、日本と朝鮮全土のパイオニアや他の兄弟たちが所持していた書籍や小冊子も押収しました。

留置場から釈放されるとすぐに、私は各兄弟姉妹に「誰が主に忠実を保つか(出エジプト 32:26)」を問うアンケートを送りました。一人の女性を除き、すべてのパイオニアが、喜んで主に忠実を保つと協会に回答しました。その後、この試練の瞬間に2名の女性と3名の男性が奉仕に加わりました。現在、日本には70名、朝鮮には7名のパイオニアがいます。

二人のパイオニアの兄弟が昨年3月から満州国におり、現地の日本人居住者の間で非常に活発に活動していました。しかし6月10日、現地の日本軍司令官の命令により、国外追放を命じられました。協会の出版物の在庫はすべて押収され、焼却されました。

これらの兄弟たちは朝鮮の兄弟たちと協力するために京城へ来ましたが、一週間後、朝鮮総督府の命令により朝鮮からの退去を命じられました。京城の協会事務所は警察の手入れを受け、捜索されました。朝鮮全土で協会の出版物はことごとく没収され、焼却されました。現在、朝鮮の兄弟たちは、朝鮮語版の小冊子『死者はどこにいるか』と日本語版『黄金時代』で証言を行っています。10月初旬に現地を訪問し、業を再建する予定です。

悪魔の激昂

悪魔とその元帥ゴグは、ここでのエホバの証人の活動に激怒しています。検挙が行われる直前、膨大な数の書籍と小冊子が兄弟たちの手によって人々の手に渡されました。「タンク(移動式住宅)」も目覚ましい活躍をしていました。例として、4月の記録を以下に示します。

1933年4月の活動報告
| 項目 | パイオニア | 補助 | 会衆 | ベテル | 合計 |
| :— | :—: | :—: | :—: | :—: | :—: |
| 奉仕者数 | 70 | 17 | 12 | 13 | 112 |
| 費やした時間 | 6,937.5 | 440 | 10 | 89 | 7,476.5 |
| 証言回数 | 68,392 | 2,238 | 170 | 381 | 71,181 |
| 配布先人数 | 4,767 | 282 | 15 | 50 | 5,114 |
| 配布書籍(単行本) | 3,520 | 289 | 7 | 48 | 3,864 |
| 配布小冊子 | 8,431 | 573 | 25 | 264 | 9,293 |
| 『黄金時代』(日本語) | 7,600 | 895 | 50 | 1,425 | 9,970 |
| 『黄金時代』年間予約 | 386 | 37 | 1 | 58 | 482 |
| 『ものみの塔』(日本語) | 26 | — | 25 | 32 | 83 |
| 『ものみの塔』年間予約 | 1 | — | 1 | — | 2 |

  • 地域監督の奉仕: 監督数:2名、総移動距離:32,886.5km、集会回数:112回、出席者:1,029名。受信郵便:5,064通、発信郵便:8,602通。

日本語版『黄金時代』

日本語版『黄金時代』は、日本の新聞法に基づいて発行されています。私たちは1,000円の供託金を納めています。現在、ここ日本で証言活動に使用できる唯一の機関紙はこれだけです。もちろん、悪魔はこの出版物を嫌っていますが、主はご自身の時が来るまで、この出版物を使用することを許しておられます。毎号(月1回発行)には、エホバの御名と御国に関する長文の優れた記事が掲載されています。すべての書籍と小冊子が押収されたため、エホバの証人は『黄金時代』を用いて活動しています。配布数は増え続けています。

例えば、9月6日から10日までの5日間の期間中、66名のパイオニアと4名の補助者によって、9,425部の『黄金時代』が配布され、453件の年間予約が得られました。これは『黄金時代』による活動の始まりに過ぎません。日本政府は、次回の議会で法律を改正し、この出版物と『ものみの塔』を停止させようとしています。主のみが、この状況をどのように扱うべきかをご存じです。

日本語版『ものみの塔』

日本と朝鮮の兄弟たちには、この出版物を通じて最新の光が非常によく供給されています。英語版『ものみの塔』に掲載される主要な記事はすべて忠実に日本語に翻訳され、日本語版に掲載されます。これも新聞法に基づいて発行されており、1,000円の供託金を納めています。これによってのみ、兄弟たちは主からの新鮮な光を得ることができるのです。

タンク(移動式住宅)

昨年10月に「タンク」が野外での活動を開始してから、わずか一年が経過しました。悪魔はこれを嫌っています。私たちは、野外でのすべてのタンクの使用停止を命じられました。現在、兄弟たちは自転車で活動しています。

パイオニアの家(開拓者の家)

パイオニアの中には多くの子供を持つ者もいます。共に生活するほうが、費用がはるかに安く済みます。現在、東京に2か所、大阪に1か所、京都に1か所の「パイオニアの家」があります。結果は素晴らしいものです。

警察官たち

エホバの証人の事件を担当した多くの警察官が、兄弟たちに対して非常に好意的な態度を示しました。ある事件を調査した一人の憲兵は、あるパイオニアにこう言いました。「政府が間違っていることは分かっている。私は今の職務に全く関心がなくなった。仕事を辞めてエホバの民を助けたい」。ある市の警察署長は、「私が署長の制服を着ていない時なら、あなたの言うことに全面的に同意する」と言いました。ある村の警官は、「エホバの民ほど感じの良い人々に会ったことはない」と言いました。ある刑事は、「おや、これは今まで聞いた中で最も素晴らしい話だ。もちろん、今すぐあなたの言ったことを信じることはできないが、一生忘れないだろう」と言いました。

親愛なるラザフォード兄弟、もちろん、次の瞬間に何が起きるかは分かりません。しかし、私たちは全能者エホバとその油そそがれた王の完全な保護の下にあります。エホバの御名の意味を知っていることを、私たちは非常に幸せに思います。主は私たちのためにすべてをなしてくださるでしょう。ここでの忠実な者たちの唯一の祈りは、最後まで忠実を保ち、主の御名が崇められることです。私たちは主の指導の下、敵の門へと戦いを押し進めます。

書籍在庫が破壊される前のこれらすべての迫害の中で、日本の忠実な奉仕者たちは30,456冊の単行本と101,692冊の小冊子を人々の手に届けました。これに加えて、朝鮮では書籍4,105冊、小冊子26,208冊が配布されました。

補足情報

また灯台社員二名を検挙
蠢きやまぬ「エホバの証者」非合法頒布に鉄槌

大阪府特高課検閲係は十四日早曉稲葉警部の指揮により、市内住吉区天王寺町二五八三岸田唯七(四二)及び同町三三九二小林幹直(三〇)方を襲い同家に隠匿してあった灯台社発行「和文」神の救い、和解「鮮文」犯罪天堂、天国「英文」ワー・ピイース・ホイッチ等六百五十部を押収、岸田を本部に連行厳重取調べている

灯台社は過般の戦軍隊事件により「安寧秩序を紊すもの」として全出版物の発禁処分にあったが例のエホバの証者と称する布教者が各所に潜行非合法的頒布を行っていることを探知し検挙を行ったもので、同社発行の出版物は既報の如くすべて外国に於て印刷するので大阪税関方面にも手配十五日某国貨物船内にあった二万部を差押えた

1933年7月16日「大阪時事新報」 (昭和8)

補足情報
日布時事新聞1933年6月4日付
加州毎日新聞1933年7月8日付

1933年(昭和8年)秋〜1934年夏の活動報告

1935年「エホバの証人の年鑑」(英語) 132-136ページより翻訳引用

日本は長年、「キリスト教世界」の諸国から異教の国として分類されてきました。しかし、「異教徒」という言葉は、日本と同様に「キリスト教世界」にも当てはまります。現地のローマ・カトリックの階級組織は、今や単に賃金のために働くプロテスタントの聖職者たちの助けを得て、日本人に教えを説こうとしてきましたが、彼らは宗教を他の何よりも商業的な目的のために利用してきました。彼らは宗教を利用して伝道所を設立し、生活に必要な物資を得ていますが、日本人を暗闇の中に留めておくだけでなく、出版された御国のメッセージを彼らが聞くのを妨げてきました。

聖職者たちが当局の警察官に対して行った虚偽の報告は、その地のエホバの証人に多くの困難をもたらしました。書籍やその他の文書は押収・没収され、多くの兄弟たちが逮捕され刑務所に投げ込まれ、現在は『黄金時代』誌のみが発行・配布できる状態です。しかし、日本の兄弟たちの熱意はこの迫害によって削がれることはありませんでした。

政府は協会のいかなる出版物の輸入も断固として拒否しています。そのため、『ものみの塔』誌や書籍、小冊子を日本へ発送することはできません。しかし、日本の兄弟たちは主の慈しみによって、『ものみの塔』の記事を日本語で手にすることができており、神の預言の解明に遅れずについていくことができています。『黄金時代』誌は、新聞法の規定に基づいて日本語で発行されています。反対があるにもかかわらず、御国のメッセージを出版するこの活動は一年を通じて前進し、同誌の年間総発行部数は1,143,000部に達しました。誌面の各号には御国のメッセージが掲載されており、その内容は『ものみの塔』や協会の書籍、小冊子から取られています。

現在、31,000人の定期購読者がこの雑誌を受け取っており、さらに、各地を巡って雑誌を公表する忠実な「残りの者」たちの手によって、多くの人々へ直接届けられています。『黄金時代』の発行以前、日本で「エホバ」の名が聞かれることはありませんでしたが、今や人々はエホバの御名とその証人たちをよく知るようになっています。数名の「ヨナダブ級(※地上の希望を持つ人々)」が現れ、神の御国のメッセージに関心を示すだけでなく、それを他の人々に知らせる熱意を表しています。

野外には65名の正規奉仕者(パイオニア)がおり、その年齢層は14歳から73歳に及びます。これらの奉仕者たちは以前の地位や親族を離れ、神とその御国への愛のために活動に打って出て、自らの手が届く範囲の業に全力を尽くしています。エホバに対するこれら親愛なる日本の証人たちの熱意は、多くの点で驚くべきものです。確かに神は彼らをご自身のものであると印づけられました。彼らはそのような方法で主に仕える特別な特権を与えられています。

これらの証人たちは自転車で移動し、生活のためのテントを携行しています。道路状況は悪く、特に梅雨の時期は湿気がひどいため、エホバの証人が多大な困難の中で活動していることが分かります。この地で御国のメッセージを広める忠実な奉仕者たちが直面している困難の一例として、以下の手紙を掲載します。

【奉仕者からの手紙】親愛なる兄弟たちへ:エホバと私たちの主イエス・キリストの御名によってご挨拶申し上げます。日本における主の聖なる御名の勝利のニュースを聞き、神に感謝し、喜びを感じています。今、私たちは現在の真理の光を反射させながら、大きな喜びをもって活動しています。ここに、主がご自身の民を慈しみ深く保護してくださったことを示す良いニュースがあります。

昨日、私は自分のテントを離れ、約13キロ離れた本茂尻(ほんもじり)という小さな村へ、一人自転車で向かいました。道は深い森と背の高い草に覆われ、通り抜けるのも困難でした。川を徒歩で渡らなければならない場所もあり、これまでに経験した中で最も過酷な道でした。山には多くの毒蛇や野生の熊がおり、近隣の人々はこの道を通るのを非常に恐れています。しかし、私は主の保護の下、道中ずっと安全でした。

ついに本茂尻に到着し、多くの『黄金時代』を配布して御国のメッセージを届けました。その後、本茂尻からさらに12キロ離れた次の村、野花南(のかなん)へ向かいました。また別のひどい山道を通らなければなりませんでした。道が非常に狭かったため、自転車を降りて押して歩きました。しかし、神に感謝します。ついに目的地に無事に到着することができました。そして、そこで私を待っていた興味深い出来事に出会いました。

私はいつものように、まず一人のクリスチャンを訪問しました。すると、彼の家でキリスト教の集会が開かれているところでした。私はその集会に招かれ、エホバ神の御名について長い証言をする素晴らしい機会を得ました。すると一人の若者が私に言いました。「先日、札幌を訪れた時、ある女性から『黄金時代』を数冊買いました。それを注意深く読んで、大きな衝撃を受けました。私はそれをここに持ち帰り、周りのクリスチャン仲間に見せました。今、私たちの間で大きな疑問が沸き起こっています」。

こうして、彼らに真理を説明する最高の機会が与えられました。彼らは真夜中まで私の話を聞いてくれました。翌日、私は彼らと別れ、パートナー(17歳の若い兄弟)が待つテントに戻りました。私たちは、与えられた祝福と、どこへ行っても主が慈しみ深く備えてくださることに感謝しています。神の恵みと主イエス・キリストの恵みが、支部事務所の皆様と共にありますように。

協会の事務所(ベテル)では、人々に配布するための文書を準備するために13名が働いています。彼らも時間の一部を野外での御国のメッセージの公表に充てています。日本で活動する奉仕者の数はわずかですが、この一年間に195,518人の日本人が証言を受けました。現地の責任者の報告から以下を引用します。

日本では2名の地域奉仕監督が活動しています。前述の通り、日本には「会衆(カンパニー)」がありません。そのため、地域監督の仕事はアメリカやヨーロッパのそれとは異なります。日本では、彼らはパイオニアやその他の奉仕者たちを訪ねて回り、野外奉仕のより良い方法を見つけ、交換し合います。昨奉仕年度、彼らは32,831キロを移動し、109回の集会を開き、1,469名の出席者がありました。

この一年間、東京の協会事務所は5,263通の郵便を受け取り、8,341通を発送しました。

あなた(※ラザフォード会長)のアドバイスに従い、私は斎藤実子爵に会談を求める手紙を書きました。彼は前首相であり、昨年日本のエホバの証人に対して行われた激しい弾圧の責任者でもあります。私の要請は受け入れられ、去る9月6日、彼のお宅に彼を訪問しました。

私は1時間15分にわたり、真理を説明する素晴らしい機会を持ちました。私たち双方が聖書を手に持ち、私が箇所を注意深く指摘すると、彼はその聖句を読みました。私はハルマゲドンが来る理由、なぜエホバの御名が立証されなければならないのか、主がいかに人類を命と幸福をもって祝福されるのかを語りました。彼は私の話を非常に熱心に聞きました。

私が話し終えた後、彼はこう言いました。「昨年、閣議でエホバの証人に関する報告を受けました。新聞もあなた方のことを多く書きました。警察当局は、いわゆる『事実』以外の詳細は私に報告しませんでした。当時、私は忙しすぎてこの件に対応できませんでした。今、大昔に書かれた事柄についてのあなたの説明と、あなた方が行っている活動について聞きました。あなた方が日本の政治問題に関与する意図が全くないことが分かりました。この件については、日本の警察のトップである唐沢俊樹警保局長に伝えておきます。あなた自身も彼に会うのが良いでしょう。彼なら、あなたのために何らかの対応をしてくれると確信しています」。

会談は終了し、彼はまた会いましょうと約束してくれました。彼は玄関先まで私を見送ってくれましたが、これは日本の習慣としては非常に異例のことです。近い将来、警保局長に面会するつもりです。

朝鮮

朝鮮における証言活動は小規模ですが、御国の福音は公表されています。9名のパイオニアと16名の会衆奉仕者が、当地でのメッセージの公表に従事しました。小冊子の配布数は34,283冊に達しました。善意の人々、またの名を「ヨナダブ級」がその地で目覚めつつあり、キリストの下にある神の王国こそが唯一の希望であることを見出しています。こうして、福音は地の果てにまで運ばれているのです。


補足情報

斎藤実子(Makoto Saito)

唐沢俊樹(Toshiki Karasawa)

1934年(昭和9年)秋〜1935年夏の活動報告

1936年「エホバの証人の年鑑」 157-159ページより翻訳引用

日本は「キリスト教世界」の一部には分類されていませんが、日本と「キリスト教世界」と呼ばれる世界の他の地域との状況に、ほとんど、あるいは全く違いはありません。日本は国際連盟(サタンの組織の他の要素と結びついている)の署名国の一つでした。政府は書籍や小冊子の配布を効果的に停止させましたが、『黄金時代』誌の出版は許可しており、この一年間にこの国の人々に御国のメッセージが届く唯一の手段となりました。

これらの『黄金時代』の発行部数は、書籍や小冊子の総配布数には含まれていません(それらが書籍の形態ではないためです)。しかし、御国のメッセージを含む何万部もの『黄金時代』が、この一年間に人々の手に届けられたという事実に注目してください。以下は、その地で活動を指導している兄弟からの報告の引用です。

カトリックの聖職者

日本には約25万人のカトリック教徒がいます。カトリックの階級組織(ヒエラルキー)は日本の九州地方において強い地位を占めています。日本語版『黄金時代』の数号には、昨年中の階級組織の偽善とその汚い手口を暴露する長文の記事がいくつか掲載されました。すでに何十万部もの同誌が日本と朝鮮の全土に配布されました。私は教皇制度の代表者に対し、公開討論の挑戦状を突きつけました。私の挑戦は『黄金時代』や公開講演を通じて告知されました。人々はこの挑戦をよく覚えていますが、階級組織は全く無力です。当然ながら、カトリックの聖職者たちはプロテスタントの聖職者と同様、私たちに激怒しています。

階級組織は過去半世紀にわたり、九州に近い島である奄美大島において強固な地位を築いてきました。昨年1月、一人のエホバの証人がこの島を訪れ、多くの『黄金時代』を配布しました。彼は、そのほとんどがフランス人である「カトリックの神父たち」の策略によって島を去らねばなりませんでした。

そのわずか2ヶ月後、現地のカトリック教徒の間で恐ろしい暴動が発生し、多くの教会堂が焼かれ破壊されました。3,000人のカトリック教徒が国家主義者へと転向し、13人のフランス人宣教師が島から追放されました。

大群衆

度々報告してきました通り、日本には「会衆の奉仕者(カンパニー・パブリッシャー)」は存在せず、エホバの御名の栄光のための証言活動は、主に全時間奉仕者であるパイオニアの兄弟たちによって担われてきました。もちろん、以前から私たちに善意を示す人々は存在していましたが、彼らをどのように分類すべきか分からずにいました。

しかし、ワシントン大会(1935年)で「大群衆(Great Multitude)」に関する疑問が明らかにされて以来、この級の人々が日本でも急速に姿を現しました。過去2ヶ月の間に14名の男女が水への浸礼によって献身を象徴し、2つの奉仕会衆が組織され、すでに両会衆に奉仕監督が任命されました。

主からの光

1933年に弾圧によって『ものみの塔』の出版停止を余儀なくされて以来、主は回覧書簡制度(circulating-letter system)によって、ご自身の民に霊的な食物を供給する道を設けてくださいました。油そそがれた者たちもヨナダブ級(大群衆)も、神の組織を通して輝き出る素晴らしい光によって大いに強められ、喜んでいます。また彼らは、同じ制度によって、全地におけるエホバの組織の活動に関する新鮮なニュースを十分に受け取っています。

『黄金時代』

日本語の『黄金時代』は、日本での証言活動に使用できる唯一の機関紙です。これは8ページの月刊誌です。毎号、8ページ全体を費やす長文の記事が掲載されています。これらの記事は、あなた(ラザフォード会長)が書かれた書籍、小冊子、および『ものみの塔』に基づいて執筆されています。

1933年7月の政府の命令により、日本とその領土においてすべての書籍・小冊子の配布が禁止されて以来、昨年の8月までに、エホバの御名とその油そそがれた王に関する24の記事を掲載してきました。私たちはこれらの古い号をますます増刷しています。購読者名簿には26,000名の名前があります。毎月、新号を40,000部、旧号を60,000部印刷しています。この定期刊行物の購読料は、送料込みで1年間30銭(米国通貨で10セント未満)、1部2銭です。


朝鮮

朝鮮における御国の業は、日本の東京にある協会事務所から指導されています。この一年間に、朝鮮語の『黄金時代』1,068,811部が人々の手に渡されました。108名がこの活動に従事しました。多くの公開講演会が開催され、人々からかなりの関心が寄せられました。少なくとも、朝鮮の人々は、エホバが神であり、その御国こそが世界の唯一の希望であることを聞く機会を持っています。

1935年秋(昭和10年)〜1936年夏の活動報告

1937年「エホバの証人の年鑑」(英文)174-176ページより翻訳引用

日本および朝鮮

日本において、ローマ・カトリックの階級組織(ヒエラルキー)は絶大な権力を行使しています。日本国民の大部分は「カトリック信者」ではありませんが、階級組織は日本政府を誘導し、「ラザフォードによって書かれたあらゆるものの出版、および彼によるあらゆる蓄音機レコードの使用」を禁止させることに成功しました。これは、階級組織が何よりも真理を恐れていることのさらなる証拠です。

日本で証言を行う唯一の手段は、日本語で発行されている『黄金時代』誌です。この一年間に、1,133,563部の日本語および朝鮮語の同誌が両国で配布されました。エホバの忠実な証人たちは、これらを携えて各地を巡り、真理を証言しています。野外で活動する証人の数は、前年より30パーセント増加しました。

証言期間

日本と朝鮮では、すべての証言期間において『黄金時代』の配布が行われました。当地では一年中、非常に多くの雨が降ります。このため、日本と朝鮮の奉仕者にとって、9日間の(特別)期間では不十分です。そこで私たちは9日間にさらに7日間を付け加えました。これにより当地の期間は16日間となり、毎期間、はるかに良い結果が得られています。

気象条件

日本と朝鮮の気象条件は極端に劣悪です。当地では雪が多く、東北地方では15フィート(約4.5メートル)の積雪も珍しくありません。一年を通じて、台風、洪水、地震などの多くの惨害に見舞われます。それでもエホバの証人は、雪の中も雨の中も同様に自らの義務を果たすために出かけていきます。

例えば、二人のパイオニアの兄弟が、ある町から75マイル(約120キロ)離れた別の町へ移動しようとしていました。その日は激しい雨で、道路はひどいぬかるみでした。彼らは自転車で全行程を走破しました。右手でハンドルを握り、左手は雨を凌ぐために傘を差し続けなければなりませんでした。

1936年(昭和11年)秋〜1937年夏の活動報告

1938年「エホバの証人の年鑑」(英語) 167ページより翻訳引用

ローマ・カトリックの階級組織(ヒエラルキー)は日本において絶大な権力と影響力を行使しており、日本の政治家たちと結託して、日本および朝鮮の両国において協会の文書(書籍・小冊子)の配布を禁止させました。その結果、この一年間、それらの土地で書籍や小冊子の配布は行われませんでした。

しかし、『黄金時代』誌は新聞として分類されているため、発行が許可されています。各号には真理に関する記事が掲載されました。この一年間に1,167,690部の『黄金時代』が配布されましたが、これらは年間の配布数に記載される書籍や小冊子の一部としてはカウントされていません。

1937年(昭和12年)〜1938年8月の灯台社の年次報告

1939年版『エホバの証人の年鑑』 169ページより引用

ローマ・カトリックの階級組織とファシストの結合による影響を通じて、日本政府は少し前に、協会文書の日本への輸入を禁止しました。しかし、主の慈しみによって、国内で印刷を行ったり、他の経路から書籍を入手したりする手段が備えられました。その結果、日本、朝鮮、および満州国における文書の配布数は合計19,219冊に達しました。

この活動は97名の奉仕者によって行われ、野外奉仕に121,327時間が費やされました。111,523人が印刷物という形で御国のメッセージを受け取りました。戦争(※日中戦争)と宗教家たちからの反対が、日本における業を遅らせています。その地でも「大群衆(地上の希望を持つ人々)」が現れており、最近そのうちの27名が浸礼を受け、神とその御国の側に立つことを宣言しました。

1938年(昭和13年)秋〜1939年夏の報告

日本

1940年「エホバの証人の年鑑」(英語) 180ページより翻訳引用

この年(奉仕年度)の上半期、日本の兄弟たちは非常に活発に活動していました。しかし最近、ブルックリン本部に、奉仕者全員が逮捕され投獄されたという情報が入りました。このため、今年の報告を行うことができません。

良心的兵役拒否者

参考文献

  • 「良心的兵役拒否の思想」阿部知二
  • 「兵役拒否した日本人」稲垣真美
  • 「良心的兵役拒否の潮流」稲垣真美
  • 「戦争と聖書」津山千絵
  • 「戦時下抵抗の研究」同志社大学人文科研究所編

明石真人と村本一生らの銃器返納

 1939年1月、灯台社(現在のエホバの証人)の明石順三の長男である明石真人は、東京都世田谷区の野砲第一連隊に召集された1週間ほどで「自分はキリスト者として聖書の『なんじ殺すなかれ』の教えを守りたいので、銃をお返しします」と申し出ました。その後、「不敬・抗命」の罪名で起訴され、懲役三年の刑を受け、代々木の陸軍刑務所に収監されました。「昭和十六年中に於ける社会運動の状況」(一九四二年十二月、内務省刑保局)に取り調べ記録が掲載されています。明石真人は、服役中の「転向」とみなされる言動で、三年の刑を半年余り軽減して出所します。

 同じく1939年1月、神奈川県相模原の陸軍工科学校で無線機器を敷設する軍務についていた灯台社の村本一生(むらもとかずお)一等兵が、「私の銃をお返しします」と伍長に申し出ました。その後、「不敬・抗命」の罪名で起訴され、懲役二年の刑を受け、陸軍刑務所に収監されました。司法省刑事局部内の極秘資料「思想月報」六十六号(一九三九年十二月)に記録されています。出所後、村本一生は、ワッチタワー本部と離反した明石順三と行動します。

 香川県の第十一師団歩兵十二連隊の三浦忠治が、不敬罪で軍法会議により、懲役二年の刑に処せられたことが、司法省刑事局極秘の「思想研究資料」九六号に記録されています。

灯台社第二次一斉検挙

 1939年6月21日、荻窪の灯台社の建物が攻囲され、明石順三、明石静江、明石 力あかしつとむ、三浦光雄ら職員26名と伝道者が一斉に検挙されました。その後、赤松朝松、赤松美哉子ら、地方在住そして朝鮮、満州の灯台社信者ら130名余りが検束され、印刷物等が押収されました。(東京および日本の他の18の府県で91名,朝鮮で30名,台湾で9名の計130名)

 朝鮮では30名以上が逮捕され、多くの獄死者が出ました。台湾で伝道していた大江瀬一おおえよりいちは、出井いでいみよ、香坂吉内こうさかよりうち、岩崎喜一、上田文吉、上田長次郎らが、他の信者とともに検挙されました。後に大江頼一は銃殺され、香坂は獄死しました。

 三浦はぎのと5歳の三浦 勉も、1939年6月21日の一斉検挙のときに広島で検挙されました。1940年10月25日起訴猶予となっています。三浦勝夫は、山口県で検挙され、1945年8月に広島刑務所で、被ばく、その後、連合軍によって釈放されました。

 1940年4月27日に,明石および他の52名は治安維持法違反の容疑で起訴されました。明石はまた,治安かく乱および不敬罪の罪にも問われました。

 1941年12月1日、熊本の田辺トミ、寺井幹彦と手紙をやり取りしたことで、村本一生は再検挙されました。治安維持法違反として懲役五年の判決でした。田辺トミと寺井幹彦は獄中死しました。同じく熊本で相川忠蔵、井上幸四郎、大澤文子が検挙されます。石田壽枝は大阪府で謙虚されます。

 1942年の一審では明石順三、明石静江が懲役十二年、ほかに五十人余りの灯台関係者も懲役五年から二年の判決(転向者は執行猶予付)が下りました。法廷では、明石順三、明石静江、隅田好枝という看護婦上がりの独身の信者、そして朝鮮人青年の玉応連と崔容源の五人でした。明石は「一億対五人の闘い」と抗弁しました。明石静江と玉応連は獄死しました。隅田好枝は肺結核になりましたが、獄死を免れ戦後明石家の養女になります。

 秋田県の横手の駅長だった村田良助は、仙台市内で逮捕され、宮城刑務所で1945年9月に出所できたものの一カ月後に衰弱死しました。

 大阪市で洋服屋をしていた石井治三と石井マツエも1939年6月に検挙されました。石井マツエは、2年4カ月もろくな取り調べもされず、独房に放置され、死の寸前まで衰弱しました。判決の根拠として明石の捏造された調書を、聖書の内容とは異なるという抗弁をしたので、転向したとみなされ、石井治三を始め、灯台関係者の多数が執行猶予付きの判決をくだされました。石井夫妻は、家に帰ることができました。その後、呉に行く事になり、そこで、原子爆弾を目撃し、たまたまカメラに収めた写真が原爆資料館に寄贈され、「広島県戦災史」に載っています。

ナチス・ドイツ下におけるエホバの証人

「黄金時代」と「慰め」誌

 1930年台「黄金時代」誌はアドルフ・ヒトラーの不穏な動きを報じていました。ヒトラーは1933年1月30日にドイツの首相になると、マグデブルクのエホバの証人の支部事務所を差し押さえ、信者を逮捕し、出版物などを押収し焼却しました。

 エホバの証人は、「黄金時代」と「慰め」誌の中で、ヒトラーやナチス政権に抗議し、残虐さを糾弾しました。またカトリックやプロテスタントのヒトラーやナチス政権に対する歩み寄りを指摘しました。アメリカやカナダを含む世界各地でカトリックやプロテスタント系の政治的な圧力や迫害が生じました。

ナチス・ドイツの強制収容所における囚人識別標章(バッジ)一覧表

 ナチス政権下、2万5千から3万人の聖書研究者(エホバの証人)が有罪にされ、1万4,000人が投獄され、4,200人が強制収容所に入れられました。残念なことに1,750人が命を落としました。パープルトライアングル(紫の三角)が、囚人識別標章として割り当てられました。

基本色(Grundfarben)

ドイツ語日本語
Politisch政治犯
Berufsverbrecher常習犯罪者・職業的犯罪者
Emigrant移民・亡命者
Bibelforscher聖書研究者(主にエホバの証人)
Homosexuell同性愛者
Arbeitsscheu Reich労働忌避者(ドイツ国籍)
Arbeitsscheu労働忌避者
  • Abzeichen für Rückfällige(再犯者の標章)
  • Strafkomp(懲罰中隊)
  • Juden(ユダヤ人)
  • Jüdischer Rasseschänder(ユダヤ人との人種汚染者)
  • Fluchtverdächtiger(逃亡の疑いがある者)
  • 1a Häftling(第一級囚人、特別監視対象)腕章
  • Sonder Aktion Wehrmacht(国防軍特別行動)
  • Pole(ポーランド人)
  • Tscheche(チェコ人)

ナチズム下で迫害され殺害されたエホバの証人たちの記念碑

Bibelforscher – unglaublicher Mut. Film der Ständigen Konferenz der NS-Gedenkorte im Berliner Raum
Titel des FilmsBibelforscher – unglaublicher MutEin Film der Ständigen Konferenz der NS-Ge…

Youtube (3分33秒)日本語字幕

Memorial to Jehovah's Witnesses persecuted and murdered under National Socialism – Stiftung Denkmal für die ermordeten Juden Europas
+++ Ausstellung schließt für eine Woche +++ Vom 18. bis

マックス・リープスター

ユダヤ人青年はナチスの嵐を生き抜いた「恐怖の中で見つけた希望」

 ドイツに住むユダヤ人青年だったマックスは、ナチスの台頭とともに日常を奪われました。1939年、ゲシュタポに逮捕された彼は、そこから終戦まで、サクセンハウゼン、ノイエンガンメ、アウシュヴィッツ、ブーヘンヴァルトという5つの強制収容所を転々とさせられることになります。

 収容所での生活は、飢え、重労働、拷問、そして死が隣り合わせの極限状態でした。愛する父親が自分の腕の中で亡くなるという悲劇を経験します。ユダヤ人であるというだけで家畜以下に扱われ、多くの仲間がガス室や病気で命を落としていく中で、マックスもまた「次は自分の番だ」という深い絶望と恐怖に支配されました。

 そんな絶望の中で、マックスはある人々に目を留めます。それは、囚人服に「紫の三角」のワッペンをつけた人々(エホバの証人)でした。彼らはユダヤ人と違い、「ナチスへの忠誠を誓う書類に署名すれば、今日にでも釈放される」という選択肢を与えられていながら、自らの良心のためにあえて収容所に留まっている人々でした。

 マックスは彼らの姿に衝撃を受けます。自分たちが生き延びるだけで精一杯な環境で、彼らはパンを分け合い、互いを励まし、ナチスの看守に対しても人間としての尊厳を失わずに接していました。マックスは彼らから「なぜこのような悪が許されているのか」「将来にどんな希望があるのか」という聖書の教えを聞き、絶望の中にいた彼の心に、物理的な生存を超えた「生きる目的」と「内面的な平和」が芽生えます。

 1945年、ブーヘンヴァルト収容所でアメリカ軍によって解放されたとき、彼は文字通り「死の淵」から生還しました。戦後、彼は自分を迫害したドイツ人への復讐心に燃えるのではなく、収容所で見つけた「愛と平和の教え」を伝える道を選びます。その後、同じく信仰のために収容されていたシモーヌと出会い、結婚しました。

シモーヌ・アルノルド・リープスター

ナチ占領下で良心に従って生きた少女の記録「ライオンに立ち向かって」

 1940年、ナチ占領下となったフランス・アルザスに住むシモーヌと家族は、エホバの証人として知られる聖書研究者(Bibelforscher)ナチ体制とナチズムに同化されることを拒み、厳しい弾圧を受けました。

 ナチス政権は、すべての人々にヒトラーへの絶対的な忠誠(「ハイル・ヒトラー」の敬礼)を求めました。しかし、シモーヌとその家族は「神以外のものに崇拝を捧げることはできない」という信仰上の信念から、敬礼やナチスへの協力を拒否します。学校で一人だけ敬礼を拒否するシモーヌは、教師や同級生からいじめや激しい圧力を受けますが、決して自分の意志を曲げませんでした。

 当局の弾圧は厳しさを増し、まず父親が強制収容所に送られ、続いて母親も逮捕されます。12歳になったシモーヌもまた、親から引き離され、ナチスの思想を叩き込むための「再教育施設(教護院)」へと送られました。施設での生活は過酷を極めました。一切の私語の禁止。過酷な強制労働。家族との文通も禁じられ、孤独の中で精神的な拷問を受けます。ナチスの指導員たちは、彼女が「信念を捨てる」という書類にサインさえすれば、すぐに家に帰してやると誘惑します。しかし、シモーヌは「ライオン(ナチスという強大な権力)」に立ち向かうかのように、自らの良心を守り続けました。

 終戦を迎え、シモーヌは奇跡的に両親と再会を果たします(収容所から家族全員が生還できたのは非常に稀なケースでした)。ナチスによるホロコーストによって、ユダヤ人とは異なる理由(良心的兵役拒否や中立の立場)で、大勢のエホバの証人は迫害され投獄されました。獄死する人たちもいました。

イギリス、レイセスターで開かれた大会

ナチス・ドイツの攻撃の最中、1941年9月3-7日まで、イギリスのレイセスターで大会が開かれ、12,000人のエホバの証人が集まった。当時、これほど膨大な人が集まるのは容易なことではなかった。

判事ルサフォードによる主要な講演は、アメリカでレコード盤に録音されたものを聞いた。

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