1世紀から3世紀初頭まで
- 33キリストの死
- 70エルサレムの滅び
- 80-100ローマのクレメンス
- 69–155スミルナの殉教者ポリュカルポス
- 96ヨハネの啓示(黙示録)が記される
- 100?ディダケー(十二使徒の教訓)が記される
- 120-200リヨンのイレナエウス
- 100–165ローマの殉教者ユスティヌス
- 107-110アンティオキアのイグナティウス
- 110-130ヒエラポリスのパピアス
- 130-190アテナイのアテナゴラス
- 150-180ローマのタティアノス
- 185-254アレクサンドリアのオリゲネス
- 170-185アンティオキアのテオフィロス
- 190-215アレクサンドリアのクレメンス
- 200-220カルタゴのテルトゥリアヌス
- 303ローマ皇帝ディオクレティアヌスによる迫害
- 313ローマ皇帝コンスタンティヌスによる公認(ミラノ勅令)
ローマのクレメンス
ローマのクレメンスの歴史的位置づけ
西暦1世紀末(西暦30年頃-100年頃)に活動したローマのクレメンスは、いわゆる使徒教父(Post-Apostolic Fathers)の中でも最初期に数えられる重要な筆者です。彼は、使徒パウロが「命の書に名のしるされている……わたしの協力者」と呼んだ人物と同一視されることもあります(フィリピ 4:3)。
クレメンスは、西暦95年頃、紛争のあったコリントの会衆へ向けて、ローマの会衆からの手紙(『コリント人への第一の手紙』、通称『第一クレメンス書』)を執筆したとされています。この著作は、使徒たちの死の直後、キリスト教がどのような理解を保持し、またどのような変容の兆しを見せていたかを知るための第一級の史料です。
原始キリスト教の教理と歴史の支持(一致する部分)
クレメンスの著作には、使徒たちから直接受け継いだ「健全な言葉」が色濃く残っています。
第一に、絶対的な唯一神崇拝と御子の従属性です。クレメンスは「三位一体」という概念を全く知らず、神とキリストを明確に区別していました。彼は、「全能の神からイエス・キリストを通して、平和が増し加わりますように」と祈り、神を「至高者の中の至高者」と呼びました。また、キリストについて「主イエス・キリストからわたしたちに福音を宣べ伝えました。イエス・キリストは、神から福音を宣べ伝えました。それゆえにキリストは神から遣わされたのであり、使徒たちはキリストから遣わされたのです」と記しています¹。
これは、神がキリストの頭であり、キリストは父に遣わされた存在であるという聖書の教え(ヨハネ 14:28; 17:3; コリント第一 11:3)を忠実に反映しています。クレメンスによれば、キリストは神に「お選びになった」者であり、神に従属しています。彼がキリストをみ使いよりも上位にあると述べた際も、それは「神の光輝を反映している」からであって、神と同等であることを意味してはいませんでした(ヘブライ 1:3, 4)。
「あなた方に恩寵がありますように。全能の神からイエス・キリストを通して,平和が増し加わりますように」
「使徒たちは,主イエス・キリストからわたしたちに福音を宣べ伝えました。イエス・キリストは,神から福音を宣べ伝えました。それゆえにキリストは神から遣わされたのであり,使徒たちはキリストから遣わされたのです」
「すべてをご覧になり,すべての霊者の支配者,すべての肉なる者の主であられる神 ― わたしたちの主イエス・キリストをお選びになり,彼を通してわたしたちを特別な民としてお選びになった神が,栄光に満ちた聖なるみ名を呼び求めるすべての魂に,信仰と恐れと平和と忍耐と辛抱強さを与えてくださいますように」
第二に、使徒たちの活動に関する歴史的証言です。クレメンスは、パウロが「西の最果て(スペインの可能性がある)」にまで達し、合計7回投獄されたという事実を記録しています(ローマ 15:24, 28)²。これは、パウロが最初のローマでの投獄(西暦61年頃)から釈放された後も、迫害を恐れず大胆に宣教を続けたという聖書の記述を補強する貴重な証言です(使徒 16:16-40; 28:30, 31)。
第三に、新約聖書諸書の正典性の初期の証拠です。クレメンスはパウロのコリント第一の手紙を「祝福された使徒パウロの書簡」として引用しており、1世紀末にはすでにパウロの書簡が神の言葉として流布し、権威を持っていたことを示しています³。
原始キリスト教からの逸脱(反れている部分)
一方で、クレメンスの著作には、聖書本来の純粋さから離れ、後の宗教的伝統へと繋がる変節の兆しも見られます。
第一の逸脱は、外典(アポクリファ)の引用です。クレメンスは、霊感を受けた聖書正典(ヘブライ語聖書)に含まれていない『知恵の書』や『ユディト記』を引き合いに出しています⁴。これは、何が神の霊感による正典であるかという境界線が、この時期すでに曖昧になり始めていたことを示しています。使徒パウロが「聖書はすべて神の霊感を受けたもの」であると述べた際の純粋な基準からの逸脱が見て取れます(テモテ第二 3:16)。
第二の逸脱は、非正典的な伝承への依存です。一部の学者が指摘するように、クレメンスがキリストの言葉を引用する際、霊感を受けた四福音書からではなく、正典ではない書物や口伝の不確かな知識に基づいている箇所が見受けられます⁵。これは、書き記された神の言葉よりも、当時の我流の見解や人間的な伝承が混入し始めた背教の初期段階を物語っています(テサロニケ第二 2:7)。
第三の逸脱は、組織の硬直化への第一歩です。クレメンスの手紙は、会衆内の「秩序」を強調するあまり、ユダヤ教的な祭司制度のメタファーをキリスト教の監督制度に当てはめる傾向がありました。これは後に、イグナティウスによって完成される「司教と長老の区別」や「僧職者階級」の形成を理論的に準備するものとなりました(マタイ 23:8)。
結論
ローマのクレメンスに関する分析から、以下の結論が導き出されます。
- 原始キリスト教を支持している部分:
三位一体を否定し、み父(エホバ)を唯一の至高者、み子を従属する救い主として明確に区別した点。また、パウロの書簡や使徒たちの活動を、神の権威に基づく事実として証言した点。 - 原始キリスト教から反れている部分:
聖書正典以外の外典や不確かな伝承を教理の根拠として導入し始めた点。また、会衆の統治において、使徒時代の兄弟的な平等性から、より制度的な権威主義へと傾斜し始めた点。
クレメンスは、使徒たちの時代の余韻を色濃く残しながらも、同時にその後のキリスト教世界が直面する教理的・組織的な変容の入り口に立っていた人物と言えます。
脚注
- Clement of Rome, First Epistle to the Corinthians (1 Clement), chapters 42 and 59.
- 前掲書, chapter 5.
- The International Standard Bible Encyclopedia, edited by G. W. Bromiley (1979), Vol. 1, p. 603.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. I, p. 6.
- 前掲書, Vol. I, p. 5. (Clement’s reliance on non-canonical sources for information about Christ).
- The Watchtower, “Did the Early Church Fathers Teach the Trinity?” (1992, 2/1).
引用・参考文献
- Clement of Rome. First Epistle to the Corinthians (1 Clement).
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 1, “The Apostolic Fathers with Justin Martyr and Irenaeus.”
- Bromiley, Geoffrey W., ed. The International Standard Bible Encyclopedia. Vol. 1. Wm. B. Eerdmans Publishing, 1979.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
クレメンス1世との関係
フィリピ4:3で、「クレメンス」という人物が、パウロの労働者であると示されているが、同定されているわけではない。ローマにそれほど早い時期に君主制司教制があった証拠はないとされている。2世紀後半に教会組織の変化が起きた証拠もなく、新たなまたは新たな君主制司教制が確立されつつあったことを示すものではありません。
スミルナの殉教者ポリュカルポス
使徒たちの直接の後継者
スミルナのポリュカルポス(西暦69年頃-155年頃)は、使徒時代の精神を2世紀へと繋いだ重要な人物です。ポリュカルポスは、西暦69年頃、現在のトルコのイズミル(小アジアのスミルナ)に生まれました。使徒ヨハネから、直接学び、千年王国信奉者(チリアスト)でした。リヨンのイレナエウスによれば、「使徒たちから教えられ、キリストを見た大勢の人たちとも交際していたばかりか、使徒たちによりスミルナの教会の監督としても任命された」人物でした¹。
彼の86年に及ぶキリストへの奉仕は、西暦155年2月23日、ローマの州総督スタティウス・クワドラトスの前での殉教によって幕を閉じました。総督からキリストを呪うよう迫られた際、「私は86年間キリストに仕えて参りましたが、その方は私に何も不当なことをなさいませんでした。私を救ってくださった王に対し、どうして不敬なことなど言えましょう」と答えた彼の言葉は、原始キリスト教徒の揺るぎない忠誠を象徴しています²。火あぶりの刑で、殉教した際,狂信的なユダヤ教徒は大安息日であったにもかかわらず、薪を集めるのを手伝ったと伝えられています。
原始キリスト教の教えの擁護(一致する部分)
ポリュカルポスの唯一現存する著作『フィリピ人への手紙』を分析すると、彼が原始キリスト教の聖書的教訓を極めて忠実に保持していたことが分かります。
第一に、聖書(特に使徒たちの書簡)への強い依存です。彼はこの短い手紙の中で、マタイによる福音書、使徒行伝、パウロの諸手紙(ローマ、コリント、ガラテア、エフェソス、テサロニケ、テモテ)、およびペテロ第一の手紙を広範囲に引用しています。これは、彼が人間的な哲学(コロサイ 2:8)よりも、霊感を受けた神の言葉を権威の源泉としていたことを示しています。
第二に、道徳的・倫理的純粋さの強調です。彼は淫行や不自然な性関係を禁じる聖書の基準を再確認し(コリント第一 6:9, 10)、金銭に対する愛が「あらゆる有害な事柄の根」であることを警告しました(テモテ第一 6:10)³。また、長老たちが「同情心に富み、憐れみ深く」あるべきこと、すべての信者が「良いことを追い求める点で熱心である」べきことを説きました(ペテロ第一 3:13)。
第三に、救いの根拠です。彼は救いが自らの業によるのではなく、「キリストを通して、神のご意志により」与えられるものであると説き、使徒たちが教えた「過分のご親切による救い」という核心的な真理を保持していました(エフェソス 2:8, 9)。
ポリュカルポスは、ユダヤ人の過ぎ越し祭(パスカ)の日つまり毎年ニサン14日に、主の晩餐を祝っていました。”十四日教徒”という意味のクオートデシマンの一人として挙げられています。当時、一部のクリスチャンが、取り決めを変えて、ニサン14日の週の日曜日にするよう圧力をかけましたが屈服しませんでした。
サルデスのメリト(護教家)は、出エジプト記12章について注解し、過ぎ越しがキリストの犠牲を予表しており、クリスチャンとして主の晩餐をニサン14日に守り行うという見方を擁護しています。メリトはまた、千年王国信奉者(チリアスト)でした。
神と子の峻別
ポリュカルポスのキリストの立場に関する見方は、後代の三位一体教理に見られる「父と子の同等性」とは明確に異なります。彼は一貫して、父なる神と主イエス・キリストを別個の存在として描写し、み子がみ父に従属していることを示しました。
彼は手紙の結びにおいて、「わたしたちの主イエス・キリストの神また父、および神のみ子イエス・キリスト自身が……あなた方を信仰と真理において築き上げてくださいますように」と祈っています⁴。ここで彼は、パウロと同様に、イエスを単に「子」と呼ぶだけでなく、イエスには「神」がいること(イエスの神また父)を明言しています(ヨハネ 20:17; コリント第二 1:3)。
また、「全能の神からの、また救い主なる主イエス・キリストからの平和」という表現を用い、イエスを「全能の神」とは明確に区別し、神の「大祭司」として描写しました(ヘブライ 4:14, 15)。これは、神と人との間の仲介者としてのキリストの役割を重視する、原始キリスト教の簡明な教えと完全に調和しています(テモテ第一 2:5)。
原始キリスト教からの逸脱の兆し(反れている部分)
ポリュカルポス本人の教えは聖書に忠実なものでしたが、彼が殉教した時期は、すでに「背教」の毒が会衆内に浸透し始めた過渡期でもありました(テサロニケ第二 2:3)。
最も顕著な逸脱は、彼自身の教えではなく、彼の殉教を記録した『ポリュカルポスの殉教』という文書に見られる、信者たちの反応に表れています。同書によれば、彼の死後、信奉者たちは彼の遺骨を「この上なく美しい宝石よりも貴重で、金よりも純粋である」と考え、それを引き取って特別な場所に保管しようとしました⁵。
これは、原始キリスト教には存在しなかった「聖遺物崇拝(Relic veneration)」の原始の形態であり、偶像礼拝に近い専心の対象が、神から人間(あるいはその遺物)へと移り始めた兆候といえます。
結論
スミルナのポリュカルポスに関する考察から、以下の結論が導き出されます。
- 原始キリスト教を支持している部分:
使徒たちの書簡を絶対的な指針とし、み父(全能の神)とみ子(大祭司イエス)を明確に区別して教えた点。また、クリスチャンとしての倫理的清さを死に至るまで守り通した点(啓示 2:10)。 - 原始キリスト教から反れている部分:
彼自身の死後、その生涯や遺骸が崇拝の対象(聖遺物崇拝)となり、純粋な崇拝が、人間を仲介者あるいは崇敬の対象とする宗教的伝統へと変質し始めた点。
ポリュカルポスは、最後の使徒たちの死後、押し寄せる異端的教えの中で聖書の原則を固守しようとしました。彼の殉教の記録は、信仰の模範を伝える一方で、皮肉にも教会が聖書的純粋さから制度的・伝統的な宗教へと変貌していく足跡を留めています。
脚注
- Irenaeus, Against Heresies, Book III, chapter 3, section 4.
- The Martyrdom of Polycarp, chapter 9. (原始キリスト教の最も古い殉教記録の一つとされる).
- Polycarp, Letter to the Philippians, chapter 4.
- 前掲書, chapter 12.
- The Martyrdom of Polycarp, chapter 18.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. I, “The Apostolic Fathers.”
引用・参考文献
- Polycarp of Smyrna. Letter to the Philippians (Epistula ad Philippenses).
- The Martyrdom of Polycarp (Martyrium Polycarpi).
- Irenaeus. Against Heresies (Adversus Haereses).
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 1, “The Apostolic Fathers with Justin Martyr and Irenaeus.”
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
リヨンのイレナエウス
はじめに:イレナエウスの生涯と背景
リヨンのイレナエウス(西暦120年頃-200年頃)は、小アジア(現在のトルコ)のスミルナに生まれ、使徒ヨハネから直接教えを受けたポリュカルポスの弟子として教育を受けました。ポリュカルポスと同じく千年王国信奉者(チリアスト)でした。『異端反駁』(誤って知識ととなえられているものを反駁し覆す)として知られる5巻の書物を書きました。
「我々は彼[キリスト]を通して,み父がすべての事物の上におられることを知るだろう。彼は『み父はわたしより偉大です』と述べたからである。それゆえ,み父は知識の点で卓越しておられると我らの主によって明言されている」 (異端反駁,第2巻,第28章8節)
「すなわち,父なるひとりの神が明言されている。この方はすべての上に,すべてを通し,すべての中におられる。父はまさにすべての上におられ,キリストの頭であられる」(異端反駁,第5巻,第18章2節)
イレナエウスの活動期は、原始キリスト教が「背教」という内部的な危機に直面していた時代と重なっています(使徒 20:29, 30)。特に、哲学とキリスト教を融合させようとした「グノーシス主義」が台頭し、使徒たちの単純な教えを「秘密の知識」によって上書きしようとしていました。イレナエウスは、リヨンの監督として奉仕しながら、これら「誤って知識ととなえられているもの」(テモテ第一 6:20, 21)に対して、生涯をかけて抵抗を続けました。
グノーシス主義への反駁
イレナエウスの文学的大作『異端反駁(Adversus Haereses)』の主要な目的は、グノーシス派の誤りを暴露することでした。グノーシス派は、物質界は悪であり、ヘブライ語聖書の創造神(デミウルゴス)は劣った神であると説いていました。
グノーシス主義
(古代ギリシャ 語 γνωστικός(gnōstikós)「知識を持つ者」に由来)は、初期キリスト教や他の宗教の宗派の間で2世紀半ばまでに完全に発展した、さまざまな宗教的・哲学的思想や体系の集合体。
これに対し、イレナエウスは原始キリスト教の根本である「唯一の神、全能の父、天と地の創造主」に対する信仰を再確認しました。彼は、救いとは物質界からの脱出ではなく、神の創造物である人間そのものの回復であると説きました。この点において、彼は「初めに神は天と地を創造された」という聖書の記述(創世記 1:1)を忠実に支持していました。
また、2006年に公表され話題となった『ユダの福音書』などのグノーシス派文書についても、イレナエウスは当時すでに「架空の歴史を捏造し、それをユダの福音書と称している」と、その信ぴょう性を鋭く否定していました¹。彼は、使徒たちの教えと一致しない新興の「福音書」が偽物であることを、2世紀という早い段階で見抜いていました。

「ユダの福音書」は、イエスとその弟子たち、特にユダ・イスカリオテとの会話から成るグノーシス主義の宗教文書。初期キリスト教会によって異端として否定され、1700年間失われていたこの文書は、1970年代にエジプトで再発見された。
現存する唯一の写しはコプト語のテキストで、コプト語のテキストで、コデックス・チャコスの一部であり、放射性炭素年代測定で紀元280年頃、±60年と推定されている。大規模な修復と保存を経て、2006年初頭にナショナルジオグラフィック協会によって英語訳が初めて出版された。
Wikipedia「ユダの福音書」より
原始キリスト教を支持している部分
イレナエウスの教えには、使徒時代の理解を色濃く残している部分が数多く存在します。
- キリストの従属的地位: 後代の三位一体教理とは異なり、イレナエウスは父と子を明確に区別していました。彼は、「み父はすべての事物の上におられる。……み父は知識の点で卓越しておられる」というイエスの言葉(ヨハネ 14:28)を引用し、み子がみ父に従属していることを認め、三位一体の「同等性」という概念を支持していませんでした²。
- 「第二のアダム」としてのキリスト: 彼はキリストの人間性を強調しました。グノーシス派が「キリストは幻として現れただけで、肉体は持っていなかった」とするドケティズム(仮現論)を唱えたのに対し、イレナエウスは、キリストが私たちと同じ血肉を持つ人間でなければ「請け戻し(贖い)」は成立しないと論じました。これは「一人の人を通して死が来たので、死者の復活もまた一人の人を通して来る」という聖書の教え(コリント第一 15:21, 45)に合致しています。
- 千年期(ミレニアム)の希望: 彼は、キリストが地上で1000年間統治し、地上に平和が回復されるという原始クリスチャンの期待を共有していました(啓示 20:4, 6)。イレナエウスは、イザヤ書(11:6-9; 65:17-25)にある動物たちの平和な描写が、将来の「新たにされる創造された秩序」において文字通り成就すると論じました³。
- 上位の権威の解釈: 彼はローマ 13章1節の「上位の権威」を、一部の思弁家が主張した「天使」などではなく、「実際の人間の支配者」であると正しく解釈していました。
原始キリスト教から逸脱した部分
一方で、イレナエウスの論じ方の中には、後のカトリック的な制度化や教義の硬直化に繋がる、原始キリスト教からの逸脱も見られます。
- 使徒継承とローマ教会の特権視: 彼は異端に対抗するために、「使徒たちの座を引き継いでいる監督」を真理の保証人とする論理を展開しました。特にローマ会衆を「その極めて優れた起源ゆえに、すべての教会が一致すべき」特別な存在として扱い始めました。これは、各会衆の長老団が平等であった1世紀の統治方法(使徒 20:17; フィリピ 1:1)からの逸脱を示すものです。
- マリアへの特別な役割の付与: 彼はアダムに対するキリスト(第二のアダム)という対比を拡張し、エバに対するマリアという対比を導入しました。エバの不従順がマリアの従順によって「解かれた」とする彼の論理は、後にマリアを「第二のエバ」として崇敬する非聖書的なマリア崇拝の道を開くこととなりました。
イレナエウスは、使徒パウロの手紙から多数引用しましたが、神がサタンに代価を払って請け戻したという独自の思想を提唱し、後にオリゲネスはこの考えを発展させました。
結論
イレナエウスは、ポリュカルポスから受け継いだ「健全な言葉」を愛し、当時の破壊的な分派から聖書を守るために多大な貢献をしました(テモテ第二 1:13)。彼の著作は、2世紀末においても、キリストが父に従属しているという理解や、地上の千年統治の希望が依然として「正統」な教えの中に残っていたことを示す貴重な証拠となっています。
しかし同時に、彼が異端を封じ込めるために用いた「教会の権威」や「制度的継承」という手法は、皮肉にも原始キリスト教の単純な組織構造を複雑な位階制へと変貌させる一助となりました。イレナエウスの生涯は、真理を擁護しようとする人間の情熱が、時に「書かれている事柄を越えて」しまう(コリント第一 4:6)という、歴史的な過渡期を象徴しています。
脚注
- Irenaeus, Against Heresies, Book I, chapter 31.
- 前掲書, Book II, chapter 28.8.
- 前掲書, Book V, chapters 33-34.
- National Geographic, “Gospel of Judas,” (April 2006).
- Bart Ehrman, The Lost Gospel of Judas Iscariot (2006).
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. I, “Irenaeus.”
- The Watchtower, “Did the Early Church Fathers Teach the Trinity?” (1992, 2/1).
引用・参考文献
- Irenaeus. Against Heresies (Adversus Haereses).
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 1, “The Apostolic Fathers with Justin Martyr and Irenaeus.”
- Ehrman, Bart D. The Lost Gospel of Judas Iscariot: A New Look at Betrayer and Betrayed. Oxford University Press.
- Pelikan, Jaroslav. The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine. Vol. 1.
- National Geographic Society. The Gospel of Judas. 2006.
ヒエラポリスのパピアス
使徒時代と次世代を繋ぐ「生きた声」
ヒエラポリスのパピアス(西暦60年頃-135年頃)は、使徒たちの死後も学んだ事柄を継承していきました。彼はスミルナのポリュカルポスの友人であり、使徒ヨハネの教えに直接触れた「長老たち」から学んだとされています。
パピアスは、当時のキリスト教世界に広まりつつあったグノーシス主義などの空想的な哲学に対抗し、主イエス・キリストの真実の言葉を保存することに情熱を傾けました。彼の主著『主の言葉の解説(Logiōn kyriakōn exēgēseis)』全5巻は、残念ながら現存していませんが、リヨンのイレナエウスやエウセビオスによる引用を通じて、原始キリスト教の伝統を今に伝えています。
原始キリスト教の支持:使徒伝承と福音書の起源
パピアスは、記録された文書よりも「生きた声(使徒たちの直接の目撃証言)」を高く評価しました。この姿勢は、真理を「聖なる者たちに一度限り伝えられた信仰」として守ろうとする原始キリスト教の精神を反映しています(ユダ 17)。
第一に、福音書の成立に関する証言です。パピアスは、マルコがペテロの通訳者として「主の言葉を正確に記録した」こと、またマタイが「主の託宣をヘブライ語で編纂した」ことを証言しています¹。これは、共観福音書が使徒的権威に基づいていることを示す最古の学外証拠の一つであり、新約聖書の正典性と信ぴょう性を強力に支持するものです。
第二に、グノーシス主義への抵抗です。パピアスは「多くを話す人(饒舌な哲学者や空想家)」を退け、「真実を教える人」を喜ぶと述べました。これは、使徒パウロが警告した「誤って『知識』ととなえられているもの」からの分離を実践するものでした(テモテ第一 6:20; フィリピ 4:5)。彼は哲学的な憶測よりも、イエスが実際に語られた「主の託宣」を解説することに専念しました。
千年統治の希望:文字通りの解釈
パピアスは、死者の復活の後にキリストが地上で見える形で1000年間統治するという「千年期説(チリアズム)」の熱心な擁護者でした(啓示 20:2-7)。彼はこの教えを使徒ヨハネに接した長老たちから直接受け継いだと主張しています²。
原始の数世紀間、ユスティヌスやイレナエウス、テルトゥリアヌスといったいわゆる有力な教父たちがこの千年期説を共有していた事実は、当時のキリスト教において地上の楽園の回復という希望が一般的であったことを示しています。パピアスは、キリストの統治によって「新たにされ、自由になった創造物が、天の露と肥沃な地によってあらゆる種類の食物を豊かに産出する」と信じていました。
原始キリスト教からの逸脱:過度な文字通り解釈と伝承の肥大化
一方で、パピアスの記述には原始キリスト教の節度ある記述から逸脱し、ユダヤ教的な黙示文学の影響を強く受けた「誇大な表現」が見られます。
特に、千年期における大地の豊穣さに関する記述は、聖書の調和を逸脱した空想的な色彩を帯びています。イレナエウスが引用したパピアスの言葉によれば、千年期には「一本のぶどうの木に1万本の枝が生じ、……一つの実が1,000リットル相当のぶどう酒を産出する」といった、途方もない数値が並べられています³。
このような記述について、4世紀の歴史家エウセビオスは、パピアスが「比喩的な言葉を文字通りに適用しすぎた」とし、彼を「たいして知識のない(思慮の浅い)者」と厳しく批判しました⁴。聖書は将来の地上の祝福を確かに約束していますが、パピアスのように具体的な数値を挙げて物質的な豊かさを強調する手法は、聖書の霊的な教訓を物質主義的な空想へと変質させる危うさを持っていました(コリント第一 2:9)。パピアスは、長老たちからの伝承を収集する過程で、聖書には含まれない非公式な「作り話」や「奇妙なたとえ話」を真実の教えと混同してしまった可能性があります(テモテ第一 4:7)。
結論
パピアスに関する分析から、以下の結論が導き出されます。
- 原始キリスト教を支持している部分:
マタイやマルコの福音書が使徒的源泉に基づいていることを証言し、聖書の正典形成の原始段階を支えた点。また、グノーシス主義を排し、キリストの地上統治という聖書的希望を固守した点(啓示 20:6)。 - 原始キリスト教から反れている部分:
伝承を収集する際、聖書の節度ある表現を越えて、物質的・空想的な誇大表現(一本の木から大量のぶどう酒が産出される等)を教義に混入させた点。これにより、聖書の真理を単なる「地的な寓話」のように見せてしまうリスクを生じさせました。
パピアスは、使徒たちの時代の記憶を留める「生きた証人」として比類のない価値を持っていますが、同時に、霊感を受けた聖書の記録と、不完全な人間による伝承を区別することの難しさを歴史に示しています。
脚注
- Eusebius, The History of the Church, Book III, chapter 39, sections 15-16.
- Irenaeus, Against Heresies, Book V, chapter 33, section 4.
- 前掲書, Book V, chapter 33, section 3.
- Eusebius, The History of the Church, Book III, chapter 39, section 13.
- Bruce M. Metzger, The Canon of the New Testament, pp. 51-54.
- The Catholic Encyclopedia (1911), Vol. XI, “Millennium and Millenarianism.”
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. I, pp. 151-155.
引用・参考文献
- Papias of Hierapolis. Expositions of the Oracles of the Lord (Fragments).
- Eusebius of Caesarea. Ecclesiastical History (Historia Ecclesiastica).
- Irenaeus. Against Heresies (Adversus Haereses).
- Metzger, Bruce M. The Canon of the New Testament: Its Origin, Development, and Significance. Oxford University Press.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 1, “The Apostolic Fathers.”
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
ローマのヘルマス
ヘルマスとその著作『牧者』の歴史的位置づけ
西暦2世紀前半のローマで活動したヘルマスは、使徒パウロがローマの会衆に送った挨拶の中にその名が見える人物と同一視されることもありますが(ローマ 16:14)、一般的には、その後の時代の人物と見なされています。彼の著作『牧者(The Shepherd of Hermas)』は、原始教会において非常に高い人気を誇り、一時期は聖書正典に近い扱いを受けるほどの影響力を持っていました。
ムラトーリ断片(西暦170年-200年頃の正典目録)によれば、ヘルマスはローマ司教ピウスの兄弟であり、この著作を「つい先ごろ、我々の時代に、ローマ市で」書いたと記されています。学術的には西暦140年から155年頃に完成したと推定されており、当時のローマにおけるキリスト教信仰の変遷を知る上で極めて貴重な史料です。
原始キリスト教の支持:絶対的な唯一神とみ子の従属
ヘルマスの著作『牧者』を詳細に分析すると、そこには現代の「三位一体」教理を支持するような概念は全く存在せず、むしろ原始キリスト教の従属主義(み子はみ父に従属するという見解)が明確に反映されています。
第一に、至高の神(父)の優越性です。ヘルマスは聖霊について、「人が霊に語ってほしいと思う時に聖霊が語ることはないが、聖霊は神が望む時にのみ語る」と述べています¹。これは、霊が神と同等ではなく、神の意志に従う道具であることを示唆しています。
第二に、み子の創造された本質です。ヘルマスは、「神のみ子は、そのすべての創造物よりも年長である」と記しています²。これは、み子が永遠に存在していたのではなく、創造の初めに生み出された存在であることを意味しています。この点は、「(み子は)全創造物の初子」であり、「他のすべてのものは……彼によって創造された」という聖書の記述と調和しています(コロサイ 1:15, 16)。
第三に、神とみ子の役割の区別です。ヘルマスは、神が「ぶどう園(人類)」を設け、それを「み子にお与えになった」と述べています。ここには、所有者(神)と管理者(子)の明確な上下関係が見て取れます。これは、「父はわたしより偉大な方である」というイエスの言葉を裏付ける信仰の現れと言えます(ヨハネ 14:28)。
原始キリスト教からの逸脱:天使論的キリスト論への傾倒
一方でヘルマスの記述には、原始キリスト教の簡明なキリスト論から反れ、思弁的な「天使論的キリスト論(Angelomorphic Christology)」へと向かう傾向も見られます。
J・N・D・ケリーは、ヘルマスのみ子に対する見解について次のように指摘しています。
「神のみ子とみ使いの頭ミカエルとを同一視していたことは間違いない。……キリストを至上のみ使いのようなものと解釈しようとしていたことがうかがえる。……もちろん、厳密な意味での三位一体の教理をほのめかすような箇所はない」³。
ヘルマスは、み子を「神の奥の府を構成する6人のみ使いよりも上位におる……最も尊いみ使い」として描写しています。聖書もミカエルとキリストの役割の関連性を示唆していますが、キリストを単なる「み使いの一人」のように扱う、あるいは天使の位階制度の中に組み込むような思弁的な表現は、ヘブライ人への手紙が強調する「み子はみ使いたちよりもはるかに優れた者となられた」という独自の立場(ヘブライ 1:4, 5)から、やや逸脱する危うさを含んでいました。
ムラトーリ断片による評価と正典性の否定
ヘルマスの著作は、その倫理的な教訓ゆえに広く読まれましたが、最終的には新約聖書の正典には含まれませんでした。ムラトーリ断片の筆者は、ヘルマスの『牧者』について次のように述べています。
「(ヘルマスの『牧者』は)読まれるべきであるが、しかし……使徒たちの書の中に入れられるべきではなく、また預言者たちの数に入れられるべきでもない」⁴。
これは、西暦2世紀後半の会衆が、使徒たちから直接受け継いだ「健全な言葉」と、ヘルマスのような後代の人物による「黙示的・思弁的な著作」を明確に区別していたことを示しています(テモテ第二 1:13)。ヘルマスの著作は、当時の信仰のあり方を反映してはいたものの、使徒たちの霊感を受けた教えを完全に代替するものではないと判断されたのです。
結論
ヘルマスの教えを総括すると、以下のようになります。
- 原始キリスト教を支持している部分:
全能の神(父)が唯一の至高者であり、み子や聖霊は神の意志に従属する存在であるとした点。また、み子が創造された存在の「初子」であることを明確にした点(コロサイ 1:15)。三位一体の概念が全く存在しない点。 - 原始キリスト教から反れている部分:
キリストの身分を天使の位階(ミカエル等)の中に位置づけようとする思弁的な傾向。また、使徒たちの手紙という直接的な教えよりも、自らの「幻」や「啓示」を強調する黙示的な文学形式を用いた点。
ヘルマスの著作は、最後の使徒たちの死後、キリスト教が聖書的な純粋さを保とうと努めつつも、当時の宗教的な思弁や象徴的な表現の影響を徐々に受け始めていた過渡期の姿を浮き彫りにしています。
脚注
- Hermas, The Shepherd, Mandate 11.
- 前掲書, Similitude 9, 12.
- J. N. D. Kelly, Early Christian Doctrines (1978), p. 94.
- The Muratorian Fragment (lines 73-80).
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. II, pp. 9-55.
- Bruce M. Metzger, The Canon of the New Testament, pp. 193-194.
引用・参考文献
- Hermas. The Shepherd of Hermas (Poimēn).
- The Muratorian Fragment.
- Kelly, J. N. D. Early Christian Doctrines. Revised Edition, HarperOne, 1978.
- Metzger, Bruce M. The Canon of the New Testament: Its Origin, Development, and Significance. Oxford University Press.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 2, “Fathers of the Second Century.”
アテナイのアテナゴラス
アテナイの哲学とキリスト教の融合
西暦2世紀後半、キリスト教は知的エリート層からの攻撃とローマ帝国による組織的な迫害という二面的な危機に直面していました。この時期に登場したアテナイのアテナゴラス(西暦175年頃に活動)は、当時の最高峰の知性であったアテナイ(アテネ)の哲学者としての背景を持つ護教家です。彼は、皇帝マルクス・アウレリウスとその息子コンモドゥスに宛てた『キリスト教徒に対する訴え(Legatio pro Christianis)』を通じて、キリスト教が「無神論」「人肉食」「近親相姦」という不当な非難を浴びている現状に対し、理性的かつ法的な弁明を行いました。彼の著作は、原始キリスト教の純粋な倫理を保持しようとする熱意と、それを哲学の枠組みで説明しようとする過渡期的な試みの両面を浮き彫りにしています。
原始キリスト教の教理と倫理の踏襲
アテナゴラスの著作には、使徒たちが教えた聖書的基準を忠実に守ろうとする姿勢が明確に見られます。
第一に、生命の尊厳に対する厳格な姿勢です。アテナゴラスは、当時ローマ社会で広く行われていた堕胎を「殺人」と断じ、胎児であっても神に対して申し開きが必要な一人の人間であると説きました(出エジプト 20:13)。彼は「薬を使って堕胎をする女は殺人を犯すことになり……神に申し開きをしなければならないと言っている我々が、いかなる道義に基づいて殺人を犯すことができようか」と論じています¹。これは、「殺してはならない」という神の律法を、生命のあらゆる段階に適用した原始キリスト教の倫理を忠実に踏襲したものです。
第二に、暴力的娯楽への拒絶です。彼は当時の剣闘士競技を「人が殺されるところを見るのは、その人を殺すも同然」として厳格に避けました(マタイ 5:9; 詩編 11:5)。この平和主義的態度は、1世紀のクリスチャンが守っていた高い道徳基準をそのまま維持していました。
第三に、み子イエス・キリストの従属的地位の承認です。アテナゴラスは、み子を「神の第一の産物」と呼び、父なる神が宇宙を創造するための代理人として生み出された存在であると説明しました。彼は箴言 8章22節(七十人訳)を引き合いに出し、「主は、その道の始めとして、わたしを造られた」という言葉をキリストに適用しました²。これは、み子を「全創造物の初子」とし、父に従属する存在として捉える聖書的な理解と調和しています(コロサイ 1:15; ヨハネ 14:28)。
原始キリスト教からの逸脱と変節
一方で、アテナゴラスの手法や主張には、聖書が警告していた「背教」の兆し、あるいは哲学による真理の腐敗が認められます(テモテ第一 4:1; コロサイ 2:8)。
第一の逸脱は、政治的中立の喪失と帝国への迎合です。彼は皇帝への弁明の中で、帝位の世襲制を積極的に擁護し、帝国の繁栄がキリスト教徒の祈りによって支えられていると論じました。これは、イエスが教えた「わたしの王国はこの世のものではありません」という中立の立場(ヨハネ 18:36)や、「世のものではない」というクリスチャンの本質(ヨハネ 17:16)を軽視し、現体制の維持を優先する政治的妥協への道を開くものでした。
第二の逸脱は、キリスト論における「三位一体」概念の萌芽です。アテナゴラスは、父と子と聖霊の関係を論理的に説明しようとする過程で、ギリシャ語の「トリアス(trias)」(三位一体、あるいは三つ組)という言葉を用いて神格の統一性を説いた一人となりました。彼は三者を一つの「実体」あるいは「力」によって結びついたものとして描写し、聖書には存在しない形而上学的な用語を導入しました。これは、神が「唯一の主(エホバ)」であるという簡明な一神教(デウテロノミオン[申命記] 6:4)を、後の複雑な三位一体論へと変質させる哲学的土台となりました。
第三の逸脱は、身体的復活の証明における理性の過信です。彼は『死者の復活(De Resurrectione Mortuorum)』において、復活の確信を聖書の約束(ヨハネ 5:28, 29)に置く以上に、ギリシャ哲学的な「人間の本質の完全性」という論理によって証明しようとしました。この手法は、信仰の基礎を「神の力」から「人間の知恵」へと移し替えるリスクを孕んでいました(コリント第一 2:4, 5)。
結論
アテナゴラスは、原始キリスト教の高い倫理観を命がけで擁護した忠実な証人でしたが、同時に、キリスト教をギリシャ哲学の枠組みに適応させようとした「変革者」でもありました。彼の活動は、使徒パウロが警告した「人間の伝統……にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺き」が教会に入り込むための入口となりました(コロサイ 2:8)。
彼は、マタイの福音書やパウロの書簡(コリント第一など)を確立された権威として引用し、聖書を擁護しましたが、その弁証手法は後の世紀における公会議や位階制の発展、そして教理の複雑化に寄与することとなりました。アテナゴラスの生涯は、真理を世に知らしめようとする熱意が、ひとたび聖書の「書かれている事柄を越えて」しまう(コリント第一 4:6)とき、いかに容易に純粋な信仰を哲学的な宗教へと変質させてしまうかを明確に物語っています。
脚注
- Athenagoras, A Plea for the Christians (Legatio pro Christianis), chapter 35.
- 前掲書, chapter 10.
- Alvan Lamson, The Church of the First Three Centuries (1860), pp. 108-109.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. II, pp. 129-133.
- John McClintock and James Strong, Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature, Vol. I, p. 638.
- Jaroslav Pelikan, The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine, Vol. 1, p. 101.
引用文献
- Athenagoras of Athens. A Plea for the Christians (Legatio pro Christianis).
- Athenagoras of Athens. On the Resurrection of the Dead (De Resurrectione Mortuorum).
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 2, “Fathers of the Second Century.” Reprint edition, 1994.
- Lamson, Alvan. The Church of the First Three Centuries.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
- Pelikan, Jaroslav. The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine. University of Chicago Press, 1971.
ディダケー(十二使徒の教訓)
ディダケー(十二使徒の教訓)は、書かれた時期や著者が誰か分かっていませんが、使徒たちの書いた書物にかなり類似しています。とはいえ少なからず聖書とは異なる内容が含まれています。

ディダケー(dɪdəkeɪ, -ki/;古代ギリシャ語:Διδαχή、直訳すると「教え」)また、『十二使徒による主の教え』(Διδαχὴ Κυρίου διὰ τῶν δώδεκα ἀποστόλων τοῖς ἔθνεσιν, Didachḕ Kyríou dià tō̂n dṓdeka apostólōn toîs éthnesin)としても知られる。紀元1世紀-2世紀初期のものと思われている。短い匿名の作品でコイネ・ギリシャ語で書かれている。
Wikipedia「ディダケー」より
1873年にフィロテオス・ブリエニオスによって発見された唯一の完全な写本である「イェルサレム写本(Hierosolymitanus 54)」に基づき翻訳しました。(聖書中の単語や表現または類似した箇所は太字にした。)
十二使徒を介した、諸国民に対する主の教え
第1章
- 二つの道がある。一つは命の道、もう一つは死の道である。しかし、これら二つの道の間には大きな隔たりがある(マタイ7:13-14参照)。
- さて、命の道とは次のようなものである。第一に、「あなたを造られた神を愛すること」(マタイ22:37、マルコ12:30)。第二に、「隣人を自分自身のように愛すること」(マタイ22:39、ガラテヤ5:14)。また、「すべて自分になされたくないことは、あなた方も他人にしてはなりません」(マタイ7:12、ルカ6:31の黄金律の否定的形態)。
- これらの言葉の教えは次の通りである。「あなた方を呪う者を祝福し」(ルカ6:28、ローマ12:14)、「敵のために祈りなさい」(マタイ5:44)。「あなた方を迫害する者のために」断食しなさい。「自分を愛してくれる者を愛したところで、あなたがたに何の恵み(報い)があるだろうか。異邦人(取税人)たちも同じことをしているではないか」(マタイ5:46-47、ルカ6:32)。しかし、あなた方は「自分を憎む者を愛しなさい」(ルカ6:27)。そうすれば、あなた方に敵はいなくなる。
- 「肉的および身体的な欲求(欲望)から遠ざかりなさい」(1ペテロ2:11)。「もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、もう一方(の頬)をも向けなさい。そうすれば、あなたは完全な者となる」(マタイ5:39、5:48)。「もし誰かがあなたを無理やり一ミリオン(一ローママイル,約1.5km)行かせるなら、その者と共に二ミリオン(二ローママイル,約3km)行きなさい」(マタイ5:41)。「下着を取ろうとする者には、上着(外套)をも与えなさい」(マタイ5:40)。「あなたから何かを取る者には、取り戻そうとしてはならない」(ルカ6:30)。あなたにはその力がないからである。
- 「求める者には誰にでも与えなさい」(マタイ5:42、ルカ6:30)。「返してもらおうとしてはならない」。父は、ご自身の恵みの賜物からすべての人に与えられることを望んでおられるからである。掟に従って与える者は幸いである。その人は無罪である。受ける者には災いがある。もし必要があって受けるなら、その人は無罪である。しかし、必要がないのに受ける者は、釈明を求められる。投獄されれば、自分のしたことについて取り調べを受け、「最後の一コドラテス(2レプタ)を支払うまで、そこから出ることはできない」(マタイ5:26)。
- しかし、これについても次のように言われている。「あなたの施しが誰に与えるべきかを知るまで、あなたの手の中で汗をかく(握りしめておく)ようにせよ。」
第2章
- 教えの第二の掟は次の通りである。
- 「殺してはなりません。姦淫してはなりません。」(マタイ19:18、ローマ13:9)。少年をたぶらかしてはなりません。淫行をしてはなりません。「盗んではなりません」。魔術を行ってはなりません。呪術的な薬を用いてはなりません。堕胎によって子を殺してはなりません。産まれた子を殺してはなりません。「隣人の持ち物を欲してはなりません」(ローマ13:9、出エジプト20:17)。
- 「偽誓をしてはなりません。偽証をしてはなりません」(マタイ5:33、19:18)。悪口を言ってはなりません。根に持って(恨みを抱いて)はなりません。
- 二心を持ってはならず、二枚舌であってはなりません。二枚舌は死の罠だからである。
- あなたの言葉は偽りであってはならず、空疎なものであってもなりません。「行い」(ヤコブ1:22参照)によって満たされたものでなければなりません。
- 強欲であってはならず、略奪者、「偽善者」(マタイ23章等)、悪意に満ちた者、高慢な者であってもなりません。隣人に対して悪巧みをしてはなりません。
- いかなる人も憎んではなりません。ある者はたしなめ、ある者のためには祈り、またある者は自分の命以上に愛しなさい。
第3章
- 私の子よ、あらゆる悪(悪しき形のもの)から逃れなさい(第一テサロニケ5:22参照)。
- 怒りっぽくなってはなりません。怒りは殺人へと導くからである。また、嫉妬深く(熱狂的)であってはならず、争い好き(論争的)であってはならず、激昂しやすくあってもなりません。これらすべての中から、殺人が生まれるからである。
- 私の子よ、情欲を抱く者になってはなりません。情欲は淫行へと導くからである。また、卑猥な言葉を吐く者(卑語を語る者)であってはならず、「目つきの悪い(欲情した目を持つ)者」(マタイ5:28参照)であってもなりません。これらすべての中から、姦淫が生まれるからである。
- 私の子よ、鳥占い(前兆を占うこと)をしてはなりません。それは偶像崇拝へと導くからである。また、呪文を唱える者、占星術師(数学者)、清めの儀式(魔術的清め)を行う者になってはならない。それらを見たいと願ってもなりません。これらすべての中から、偶像崇拝が生まれるからである。
- 私の子よ、嘘つきになってはならない。嘘は盗みへと導くからである。また、金銭を愛する(強欲な)者であってはならず、虚栄を求める(空虚な名誉を求める)者であってもなりません。これらすべての中から、盗みが生まれるからである。
- 私の子よ、不平を言う(不平を鳴らす)者になってはなりません。それは冒涜へと導くからである。また、わがままな(傲慢な)者であってはならず、悪意ある考えを持つ者であってもなりません。これらすべての中から、冒涜が生まれるからである。
- むしろ、「柔和でありなさい。柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ(相続する)からである」(マタイ5:5)。
- 寛容であり、慈悲深く、純真(無垢)で、穏やかで、善良でありなさい。また、あなたが聞いた「(主の)言葉に対して、常に震える(畏れ敬う)者」(イザヤ66:2)でありなさい。
- 自分を高く評価してはならず(自惚れてはならず)、自分の魂に不遜な(厚かましい)思いを抱かせてはなりません。あなたの魂を高慢な者たちに近づけて(固執させて)はならず、むしろ正しい者や「低い(謙虚な)者たち」(ローマ12:16)と共に歩みなさい。
- あなたに起こる出来事を、神(YHWH,エホバ)なしには(神を離れては)何も起こらないと知って、良いこと(善き働き)として受け入れなさい。
第4章
- 私の子よ、「神の言葉をあなたに語る者」(ヘブライ13:7)を夜も昼も思い出し、主として敬いなさい。主の主権が語られるところには、主がおられるからである。
- また、あなたがその言葉によって安らぎを得るために、日々、聖なる者たちの顔を求めなさい。
- 分裂(シスマ)を求めてはならず、争う者たちを和解させなさい。「正しく裁きなさい」(ヨハネ7:24)。過失をたしなめるにあたって、「人を偏り見てはなりません」(ヤコブ2:1、申命記1:17)。
- (ことが成るか成らないかについて)「二心を抱いて(疑って)はならない」(ヤコブ1:6-8)。
- 受けるためには手を差し出し、与えるためには(手を)引っ込めるような者になってはなりません(使徒20:35参照)。
- もしあなたの手(の労働)によって得たものがあるなら、それをあなたの罪の贖いのために(施しとして)与えなさい。
- 与えることを躊躇してはならず、与える時に不平を言ってはりません。報いを与える良いお方(神)がどなたであるかを知ることになるからである。
- 困窮している者から顔を背けてはならない。「すべてのものを兄弟と共有し」(使徒4:32)、自分のものだと主張してはなりません。もし不滅のものにおいて「共有している」(ローマ15:27)のなら、滅びるもの(物質的なもの)においてはなおさらではないですか。
- あなたの息子や娘から手を離して(教育を放棄して)はなりません。むしろ幼い時から、神(YHWH,エホバ)への畏れを教えなさい。
- 同じ神に望みを置いているあなたの僕(しもべ)や女中に、怒り(苦々しさ)をもって命じてはならない。彼らが、双方の上にまします神を畏れなくなることがないためである。神は人を「外見(顔つき)で選んで(呼んで)来られる」(エフェソ6:9、コロサイ4:1)のではなく、聖霊が備えられた者のところに来られるからである。
- 僕たちよ、「慎み(畏れ)と恐れをもって」(エフェソ6:5)、神の象徴(典型)として主人に従いなさい。
- あらゆる偽善と、主に喜ばれないすべてのことを憎みなさい。
- 主(YHWH)の掟を見捨ててはなりません。受けたものを守り、「付け加えたり、取り除いたりしてはならない」(啓示22:18-19、申命記4:2)。
- 会衆において、自分の過ちを告白しなさい。「後ろめたい(悪い)良心」(ヘブライ10:22)をもって祈りに赴いてはならない。これが命の道である。
第5章
- 死の道とは次のようなものである。第一に、それは悪く、呪いに満ちている。殺人、姦淫、情欲、淫行、盗み、偶像崇拝、魔術、呪術、略奪、偽証、偽善、二心、欺瞞、高慢、悪意、わがまま、強欲、卑猥な言葉、嫉妬、不遜、高ぶり、慢心(マルコ7:21-22、ガラテア5:19-21の罪のリストとの並行)。
- 善を迫害する者、真理を憎み、嘘を愛する者。貧しい者を憐れまず、虐げられている者のために苦労せず、自分を造られた方を知らない者。子供を殺す者、神の造られたものを損なう者。富める者の味方をし、貧しい者を不当に裁く者。罪にまみれた者たち。子たちよ、これらすべてから救い出されるように。
第6章
- 誰もあなたをこの教えの道から迷わせることがないように注意しなさい。
- もし、「主のくびき」(マタイ11:29-30)全体を負うことができるなら、あなたは完全な者となる。
- 食物については、できる範囲で負担しなさい。しかし、「偶像に捧げられた肉(偶像供犠の肉)」(使徒15:29、1コリント8章)からは厳に遠ざかりなさい。それは死んだ神々への礼拝だからである。
第7章
- バプテスマについては、次のように授けなさい。以上のこと(第1章から第6章の「二つの道」の教え)をすべてあらかじめ伝えた上で、「父と子と聖霊の名において」(マタイ28:19)、流れる水でバプテスマを授けなさい。
- もし流れる水がない場合は、他の水で授けなさい。もし冷たい水でできない場合は、温かい水で(授けなさい)。
- もしどちら(の水)も十分になければ、「父と子と聖霊の名において」(マタイ28:19)、頭に三度水を注ぎなさい。
- バプテスマの前には、授ける者と受ける者が断食しなさい。他に(断食が)可能な者たちも同様にしなさい。また、バプテスマを受ける者には、一日か二日前に断食するように命じなさい。
※ディダケー7:2,3は、マルコ1:9,10や使徒8:36,38で行われたようなバプテスマとは異なる方法を教えている。
第8章
- あなた方の断食は、「偽善者たち」(マタイ6:16)と同じであってはならない。彼らは週の二日目(月曜)と五日目(木曜)に断食するが、あなた方は四日目(水曜)と準備の日(金曜:受難の日)に断食しなさい。
- また、偽善者たちのように祈ってはならない。主が福音書の中で命じられたように、次のように祈りなさい。
「天におられる私たちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が天で行われるように、地でも行われますように。私たちに必要な糧(日毎の糧)を今日与えてください。私たちの負債(罪)を赦してください。私たちも負債のある者を赦しました(赦したように)。私たちを試みにあわせず、悪から救い出してください。力と栄光は永遠にあなたのものだからです。」(マタイ6:9-13)。 - 一日に三度、このように祈りなさい。
※ディダケー8:1は、ルカ18:12にあるイエス・キリストのたとえ話の中のパリサイ派の人のように「週に2回断食」している。
第9章
- 感謝(エウカリスティア)(1コリント11:24等)については、次のように感謝を捧げなさい。
- まず、杯(ポテーリオン)(ルカ22:20、1コリント11:25)について。
- 「私たちの父よ、あなたの僕(しもべ)(使徒3:13、26、4:27、30におけるイエスの称号)ダビデの聖なるぶどうの木について、あなたに感謝します。あなたはこれを、あなたの僕イエスを通して私たちに知らせてくださいました。あなたに栄光が永遠にありますように。」(ローマ11:36)
- 次に、裂かれたパン(クラスマ)について。
- 「私たちの父よ、私たちがあなたの僕イエスを通して知った命と知識(ヨハネ17:3参照)について、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠にありますように。」
- この裂かれたパンが、山々の上に散らばっていたものが集められて一つとなったように、あなたの会衆も地の果てから(使徒1:8、ローマ10:18)あなたの王国へと集められますように。栄光と力は(マタイ6:13、啓示1:6)イエス・キリストを通して、永遠にあなたのものだからです。
- 主の名において洗礼を受けた者(使徒8:16、19:5)以外は、誰もあなた方の感謝の食事から食べたり飲んだりしてはなりません。これについて主は、「聖なるものを犬に与えてはならない」(マタイ7:6)と言われたからです。
※ディダケー9章で見られる手順は、マタイ26:26,27やルカ22:19,20および1コリント11:23-26の手順通りではない。
第10章
- 満ち足りた(食後の)後、次のように感謝を捧げなさい。
- 「聖なる父よ、私たちの心の中に宿らせてくださったあなたの聖なる御名について、また、あなたの僕イエスを通して私たちに知らせてくださった知識と信仰と不滅(の命)(ヨハネ17:3、2テモテ1:10参照)について、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠にありますように。
- あなた、全能の主(主権者である神)(啓示1:8、4:8)は、御名のために万物を造り、人々に楽しむための食物と飲み物を与えて感謝させましたが、私たちには、あなたの僕を通して霊的な食物と飲み物、そして永遠の命を恵んでくださいました。
- 何よりも、あなたが力ある方であることに感謝します。あなたに栄光が永遠にありますように。
- 主(YHWH)よ、あなたの会衆を思い起こし、あらゆる悪から彼女(会衆)を救い(マタイ6:13参照)、あなたの愛において彼女を完成させてください。聖められた彼女を、四方の風から(マタイ24:31)、あなたが備えられた王国へと集めてください。力と栄光は永遠にあなたのものだからです。
- 恵みが来ますように、この世が過ぎ去りますように。ダビデの神にホサナ(マタイ21:9参照)。聖なる者は来なさい。そうでない者は悔い改めなさい。マラナ・タ(1コリント16:22)。アーメン。」
- ただし、預言者たちには、彼らが望むままに感謝を捧げさせなさい。
※ディダケー10章2,3節で、「聖なる父よ…あなたの聖なる御名」と「あなた、全能の主は、御名のために万物を造り」と語りかけており、「あなたの僕イエスを通して」と大きく区別し感謝の祈りを捧げられていたことが分かる。
ディダケー10章6節の『ホサナ』という語は、その対象が『ダビデの子』ではなく『ダビデの神(τῷ θεῷ Δαυείδ)』とされている点において、極めて重要です。本来、詩編118編に由来する救済の要請(ホシア・ナー)であるこの言葉は、旧約の伝統において唯一の救い主であるエホバ(YHWH)に向けられたものである。
ディダケーが『ダビデの神』、すなわちエホバ(YHWH)への呼びかけとして使用していることは、原始キリスト教において、救済の最終的な主権が常に父なる神エホバ(YHWH)に帰属していたことを裏付けている。
このことは、14章3節のマラキ書引用がYHWHを『偉大な王』と定義し、16章7節がゼカリヤ書に基づきYHWHの終末的な来臨を待望していることと、見事な首尾一貫性を見せているのである。
第11章
- さて、誰かが来て、これまでに述べたすべてのことを教えるなら、その人を受け入れなさい。
- しかし、教える者自身が道を踏み外し、打ち壊すために他の教えを説くなら、その人の言うことを聞いてはなりません。しかし、主の義と知識を増し加えるために(教える)なら、主としてその人を受け入れなさい。
- 使徒と預言者については、福音の定め(マタイ10章参照)に従って次のように行いなさい。
- あなた方のところに来るすべての使徒は、主として受け入れなさい。
- しかし、彼は一日以上滞在してはなりません。必要があれば二日目もよいでしょう。しかし三日間滞在するなら、彼は偽預言者です。
- 出発する使徒は、次の宿泊先までのパン以外のものを受け取ってはなりません。もし銀銭(金銭)を要求するなら、彼は偽預言者です。
- また、霊に感じて語るすべての預言者を、試したり判定したりしてはなりません。「あらゆる罪は赦されるが、この罪(聖霊を汚す罪)は赦されない」(マタイ12:31)からです。
- しかし、霊に感じて語る者がすべて預言者なのではなく、主の振る舞い(生き方)を持っている者だけが預言者です。それゆえ、その振る舞いによって、偽預言者と預言者は見分けられます。
- 霊によって食事の席を設けるように命じる預言者は、自らそれを食べてはなりません。もし食べるなら、彼は偽預言者です。
- 真理を教える預言者であっても、教えていることを自分で行わないなら、彼は偽預言者(マタイ7:15)です。
- 認められた本物の預言者が、会衆のために預言的なしるしのために何かを行っても、自分がしていることをするように教えないなら、あなた方は彼を裁いてはなりません。彼は神(YHWH)との間に裁きを持っているからです。古代の預言者たちも同じようにしたのです。
- また、霊に感じて「私に銀銭や他のものをくれ」と言う者の言うことを聞いてはなりません。しかし、他の困窮している者のために与えるように言うのであれば、誰も彼を裁いてはなりません。
第12章
- 「主の名によって来る者」(マタイ21:9、23:39、ヨハネ12:13等)はすべて受け入れなさい。その後、「吟味して」(1テサロニケ5:21、1ヨハネ4:1等)彼を知りなさい。あなた方は右と左(善悪)を判断する分別を持っているからです。
- もし来る者が通りすがりの旅人なら、できる限り彼を助けなさい。しかし、「必要がない限り」(1ペテロ1:6参照)、二日か三日以上あなた方のところに滞在させてはなりません。
- もし彼が職人であって、あなた方のところに定住したいと願うなら、「働いて食べなさい」(2テサロニケ3:10参照)。
- もし職を持っていないなら、あなた方の分別に従って、「クリスチャン」(使徒11:26、1ペテロ4:16等)があなた方の間で「怠惰に(何もしないで)」(マタイ20:3、6、テトス1:12等)暮らすことがないよう配慮しなさい。
- もし彼がそのように(働くことを)望まないなら、彼はキリストを売り物にする者(キリスト商人)です。このような者たちに「用心しなさい」(マタイ7:15、16:6、ルカ12:1等)。
※ディダケー12章1節における『主の名によって来る者(ὁ ἐρχόμενος ἐν ὀνόματι κυρίου)』という表現は、詩編118編26節の典礼的定型句をそのまま踏襲したものである。旧約の原脈において、この『主』がYHWHを指すことは自明であるが、ディダケー内においてもその性格は保持されている。 既に10章6節において、詩編118編25節に由来する『ホサナ』が『ダビデの神(YHWH)』へと向けられていることから、それに続く26節の引用である本節の『主の名』もまた、エホバ(YHWH)のお名前を指していると見るべきである。 訪問者を『主の名によって来る者』として受け入れる規定は、彼らを単なる一個人のクリスチャンとしてではなく、14章3節で『偉大な王』エホバ(YHWH)の権威を帯びた使節として待遇することを意味する。ここでも、ディダケーの著者は共同体の秩序の根拠を、キリストを介しつつも、究極的にはエホバ(YHWH)の絶対的主権に置いている。
第13章
- あなた方のところに定住したいと願うすべての本物の預言者は、その食物(を受けること)に値します(マタイ10:10)。
- 同様に、本物の教師もまた、働き手としてその食物に値します(ルカ10:7)。
- それゆえ、ぶどう搾り場や脱穀場、牛や羊のあらゆる初物を取って、その初物を預言者たちに与えなさい。彼らはあなた方にとっての祭司(大祭司)だからです。
- もし預言者がいないなら、貧しい人々に与えなさい。
- もしあなたがパンを焼くなら、初物を取って、掟に従って与えなさい。
- 同様に、ぶどう酒や油の瓶を開ける時も、初物を取って預言者たちに与えなさい。
- 銀銭や衣服、あらゆる持ち物についても、初物を取って、あなたが良いと思うままに、掟に従って与えなさい。
第14章
- 「主の主の日(Κατὰ κυριακὴν δὲ κυρίου)」に集まり、パンを裂いて感謝を捧げなさい。ただし、あなた方の犠牲が清いものであるために、あらかじめ自分の過ちを告白しなさい。
- 仲間と争いのある者は、彼らが和解するまであなた方の集まりに加わってはなりません。あなた方の犠牲が汚されないためです。
- 主によって言われたのは次のことだからである。「あらゆる場所で、私に清い犠牲を捧げよ。私は偉大な王であり、私の名は諸国民の間で尊ばれるからである。」(マラキ1:11, 14の引用)
※ディダケー14章1節に見られる『主の主の日(Κατὰ κυριακὴν δὲ κυρίου)』という独特な表現における『主(キュリオス)』の同定について、同章3節の記述から重要な示唆が得られる。著者は3節において、異邦人の間での清い犠牲を要求するマラキ書1章11節および14節を引用し、それを『主(キュリオス)によって語られたこと』としている。 ここでの『主』が旧約聖書のYHWH(エホバ)を指していることは疑いようがなく、この文脈に照らせば、1節における主の晩餐の規定もまた、旧約の神(YHWH,エホバ)への犠牲という枠組みの中で理解されていることが分かる。すなわち、『主の日』は、ディダケーの著者にとって、マラキ書が預言したエホバ(YHWH)という『名』を有する『主』に対して感謝を捧げることを再定義している。
第15章
- それゆえ、主にふさわしい「監督(エピスコポス)と僕(ディアコノス)」(フィリピ1:1、1テモテ3:1-13)を任命しなさい。彼らは柔和で、「金銭に執着せず」(1テモテ3:3)、誠実で、認められた人でなければならない。彼らもまた、預言者や教師の奉仕をあなた方のために果たしているからです。
- 彼らを軽んじてはなりません。彼らは、預言者や教師たちと共に、あなた方の間で尊ばれるべき人々だからです。
- また、互いに戒め合う時は、怒りをもってではなく、福音にあるように平和のうちに行いなさい。隣人に対して過ちを犯した者とは、その人が悔い改めるまで、誰も話してはならず、あなた方から話を聞かされることがあってはなりません。
- あなた方の祈りと施し、すべての行いは、私たちの主の福音にある通りに行いなさい。
第16章
- 「あなた方の命のために目を覚ましていなさい。灯火を消さず、腰帯を解いてはならない」(ルカ12:35)。準備を整えていなさい。「私たちの主が来られる時刻を、あなた方は知らないからである」(マタイ24:42、25:13)。
- あなた方の魂にふさわしいことを求めて、頻繁に集まりなさい。もし終わりの時に完成されていなければ、信仰の全期間もあなた方の益にはならないからです。
- 「終わりの日々には、偽預言者や滅ぼす者が増え」(マタイ24:11)、羊は狼に変わり(マタイ7:15)、愛は憎しみに変わるでしょう。
- 「不法が増すにつれて」(マタイ24:12)、人々は互いに憎み、迫害し、裏切るようになる。その時、世を惑わす者が「神の子として現れ」(2テサロニケ2:3-4)、「しるしと不思議を行い」(マタイ24:24、マルコ13:22)、地はその手に渡されるでしょう。
- その時、人類は試練の火の中に置かれ、多くの者がつまずき、滅びるだろう。しかし、「耐え抜く者は」(マタイ10:22、24:13)救われるでしょう。
- その時、真理のしるしが現れます。第一のしるしは天が開かれること、第二のしるしは「ラッパの響き」(マタイ24:31、1コリント15:52)、第三は死者の復活です。
- しかし、すべての死者ではなく、次のように言われている通りです。「主(YHWH,エホバ)が来られる。すべての聖徒たちと共に」(1テサロニケ3:13、ゼカリヤ14:5)。
- その時、世の人々は、「主が天の雲に乗って来られる」(マタイ24:30、26:64)のを見るでしょう。
※ディダケー16章7節の『主が来られる。すべての聖徒たちと共に』という記述は、ゼカリヤ書14章5節の直接的な引用である。ディダケー14章において、 今(現在)、主(YHWH,エホバ)に対して清い礼拝を捧げることに言及し、16章においてやがて(未来)、預言の通りに主(YHWH,エホバ)が来られることに注意が向けられている。
この一貫した「主(キュリオス)」の使い方は、ディダケー全体が、イエス・キリストを指すのではなく、旧約の神(YHWH)の救済計画の完成者(メシア)として捉える、ユダヤ教的なキリスト教に基づいていることを示している。
殉教者ユスティヌス
理性による公正な裁きの要請
西暦2世紀、キリスト教徒がローマ帝国において法的な保護を十分に受けられず、不当な偏見にさらされていた時、一人の哲学者が皇帝アントニヌス・ピウスに対し、理性に訴える弁明書を送りました。
「我々は,クリスチャンに対する告訴を詳細に調査すること,また,もしそれらが確証されるならばクリスチャンを罪に応じて処罰することを求める。……しかし,もしだれも我々についてどんな罪も証明できない場合,あなた方が悪意のあるうわさを立てて無実の人々を不当に扱うことは許されないというのが道理である。……というのは,真理を学んで知っているあなた方が公正を行なわないならば,神のみ前で言い開きができなくなるからである」[1]。
この訴えを行ったのは、サマリアのフラウィア・ネアポリス出身のユスティヌスでした。彼は、キリスト教徒に対する盲目的な憎悪ではなく、論理的かつ法的な調査を求めました。彼がこのような姿勢を貫いた背景には、真理を求めてギリシャ哲学の諸学派を遍歴した、稀有な精神的探求の軌跡がありました(箴言 2:4-6)。
哲学の遍歴と挫折
ユスティヌスは西暦110年頃、現在のナーブルスにあたる都市で異邦人(ギリシャ系もしくはローマ系)として生まれました[2]。彼は「サマリア人」を自認しながらも、環境としては異教の習慣の中で育ち、知的な渇きから哲学の研究に没頭しました。
彼はまずストア派の教師に師事しましたが、その教師が神について確かな知識を持っていないことに失望しました。次に赴いたペリパトス派の教師は、授業料の支払いに執心したため、ユスティヌスは彼を真の哲学者ではないと断じ、そのもとを去りました。さらにピタゴラス派の門を叩きましたが、そこでは音楽や天文学、幾何学といった予備知識の欠如を理由に入門を拒まれました[3]。
最終的に彼はプラトン主義に傾倒します。イデア論に基づく形而上学的な探求に、彼は一時的な充足感と「自分は賢くなった」という高揚感を抱きました。しかし、この知的な陶酔も、ある決定的な出会いによって覆されることになります。
海辺で真理との出会い
ある日、静かな思索を求めて海辺を歩いていたユスティヌスは、一人の柔和で尊敬すべき物腰の老キリスト教徒と出会いました。この老人は、プラトン哲学の限界を鋭く指摘し、人間の理知だけで神を知ることの不可能性を説きました。
老人はユスティヌスに対し、ギリシャ哲学者よりも遥か以前に存在した「預言者たち」について語り始めました。彼らは人間の推論ではなく、聖霊に満たされて神の真理を直接告げ知らせた人々でした[4] (ペテロ第二 1:21)。
老人は次のように述べました。「彼ら(預言者)だけが真理を見、それを人々に告げ知らせた。彼らは何者をも恐れず、人々の評価に左右されず、ただ自分たちが聞き、見た真理だけを語ったのである。彼らが記した書物は今でも残っており、それを読む者は万物の根源と終末について、大いに助けを受けるであろう5] 。
さらに老人は、イエス・キリストにおいて預言がいかに成就したかを語り、「心の門が開かれるように祈りなさい」と勧めました。この対話の直後、ユスティヌスの心には「預言者たちとキリストの友である人々に対する愛」が火のように燃え上がりました。彼は、聖書が示す啓示こそが、あらゆる人間的思索を超越する「唯一の確実で有益な真理」であると確信するに至ったのです。
原始キリスト教への従属
ユスティヌスの著作を詳細に分析すると、彼のキリスト観は後代に確立される「三位一体」の概念とは一線を画すものであったことがわかります。彼は、イエス・キリストを「神の言葉」として高く評価しましたが、同時に、キリストが「唯一の未生の神」である父に従属する存在であることを明確に説いていました。
ユスティヌスは、宇宙の造り主である父なる神のみが「不生(アゲンネトス)」であり、名前を持たない至高の存在であると考えました[6] (ヨハネ 17:3)。対照的に、ロゴス(子)は「父から発せられたもの」であり、父の意志によって生み出された「第二の神(デウテロス・テオス)」であると述べています[7] (コロサイ 1:15)。
「我々は彼(キリスト)を理知(ロゴス)に従って敬う。……我々が宇宙の造り主を第一に、イエス・キリストを第二の位に、そして預言的な霊を第三の順位に置いて敬うことは、正気な者であれば誰でも認めることである[8] 。
このように、ユスティヌスにとって父・子・聖霊は同等(共存・同質)ではなく、明確な順位が存在していました。これは、ユダヤ教の一神教的背景を色濃く残した原始キリスト教の「従属論」的な理解であり、後代の三位一体論に見られる「三者が一つの本質において同等である」という概念は、当時のユスティヌスの思想には見当たりません。
『ユダヤ人トリュフォンとの対話』において、ユスティヌスはメシアの神性を認めつつも、それがユダヤ教の根幹である「唯一神(エホバ,YHWH)」の教えを損なうものではないと弁明しています。彼は、キリストを「父の使者」として描き、キリストが常に父の御意志に従って行動することを強調しました。彼にとって、キリストは神そのものではなく、「数においては父とは別個の存在であるが、意志においては父と一つ」である存在でした[9] (ヨハネ 14:28) 。
キリスト教の弁護
ユスティヌスは、自身の信じる「真理」であるキリスト教を、異教の迷信や当時の哲学的誤謬から守るために筆を振るいました。彼はローマに渡り、教えを広めるとともに、キリスト教を批判する勢力に対して数々の弁証論(アポロギア)を執筆しました。
『第一弁証論』:皇帝アントニヌス・ピウスに対し、クリスチャンが「無神論者」であるという汚名を晴らし、彼らが帝国の善良な市民であることを論じました。また、偶像崇拝の虚無性を鋭く指摘し、創造主に対する霊的な礼拝の重要性を説きました[10] (マタイ 5:16)。
『ユダヤ人トリュフォンとの対話』:メシアに関する預言の成就を軸に、旧約聖書がキリスト教において完成されることをユダヤ教徒の立場から論じました。彼は創世記から預言書に至る膨大な聖句を引用し、イエスこそが約束のメシアであることを論証しました[11] (使徒 18:28)。
ユスティヌスは、キリストの教えが道徳的に卓越していることを強調しました。彼は「我々が人間の王国を求めるなら、キリストを否定することになるが、我々の望みは神と共に歩むことにある」と説き、世俗的な権力争いとは無縁なキリスト教徒の清廉さを強調しました(ヨハネ 18:36)。
殉教
ユスティヌスの活動は、当然ながら当時の知識層や権力者との摩擦を生みました。特にキュニコス派の哲学者クレスケンスは、ユスティヌスに対して深い敵意を抱き、彼を破壊分子として当局に告発したと考えられています[12] 。
西暦165年頃、ユスティヌスは他の6人のキリスト教徒と共にローマの長官ルスティクスの前に引き出されました。信仰を捨てるよう迫る長官に対し、彼は揺るぎない確信を持って答え、最後は斬首刑に処されました。その死をもって彼は、自ら語った信仰が本物であることを証明し、「殉教者(マルティス=証人の意)」という称号で呼ばれることになったのです(啓示 2:10)。
結論:真理への献身
殉教者ユスティヌスの生涯は、真理に対する情熱と、権力に対しても臆することなく理を尽くす勇気に彩られています。彼の著作は、後代の哲学的な三位一体論へと発展する前の、聖書に基づいた原始キリスト教の姿を今に伝えています。
彼は、キリスト教の信仰を大胆に擁護しましたが、その精神は使徒パウロがアテネのマルスの丘で行った大胆な証言(使徒17:18-34)に通じるものがあります。父なる神の絶対的な主権と、その意志を遂行する子としてのキリストという、聖書的な構造を維持しました[13] 。死に面してもなお平安を失わず、復活の希望(ヨハネ 5:28, 29)を胸に抱いた彼の生き様は、現代においても、伝統的な教理の枠組みを超えて、純粋な聖書の教えを求める者たちにとって重要な示唆を与え続けています(ヨハネ第三 4)。
脚注
1. ユスティヌス『第一弁証論』3章。
2. エウセビオス『教会史』第4巻12章。ユスティヌスが自らを「サマリア人」と呼ぶのは、血統よりも出身地を指しているとされる。
3. ユスティヌス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』2章。
4. 同上、7-8章。
5. 同上、8章。
6. ユスティヌス『第一弁証論』61章
7. ユスティヌス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』56章
8. ユスティヌス『第一弁証論』13章
9. ユスティヌス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』128章
10. ユスティヌス『第一弁証論』9-10章
11. ユスティヌス『ユダヤ人トリュフォンとの対話』
12. ユスティヌス『第二弁証論』3章
13. アドルフ・フォン・ハルナック『教理史綱要』。2世紀のロゴス・キリスト教における従属論的構造の指摘。
アンティオキアのイグナティウス
原始キリスト教における会衆組織
原始キリスト教における指導体制は、イエス・キリストが示した兄弟愛と平等の精神に立脚していました。イエスは弟子たちに対し、「あなた方はみな兄弟です。あなた方の指導者はキリスト一人です」と言明されました。(マタイ 23:8, 10)この教訓に基づき、1世紀のクリスチャン会衆内には、後世に見られるような僧職者階級は存在しませんでした。すべての信者は、霊によって生み出されたキリストの兄弟として、天的な祭司となる見込みを持っていました。(ペテロ第一 1:3, 4; 2:5, 9)
組織運営に関しては、各会衆は「監督(エピスコポス)」あるいは「長老(プレスビュテロス)」と呼ばれる男子の一団によって監督されていました。聖書の記述において、これらの語は同一の責任ある立場を指すものとして用いられており、特定の個人が会衆に対して威張るような権威を持つことは禁じられていました。(使徒 20:17; フィリピ 1:1; ペテロ第一 5:2, 3)しかし、使徒たちの死後、教会の組織構造には急速な変化が生じることとなりました。
アンティオキアのイグナティウスによる司教制度の導入
使徒ヨハネの死からわずか10年ほどの時期に、アンティオキアの監督(司教)であったイグナティウスの著作において、重大な逸脱が見られるようになります。彼は「監督(司教)」と「長老」という語を区別し、一人の司教が会衆を統括する体制を提唱しました。イグナティウスは『スミルナ人への手紙』の中で次のように記しています。
「あなた方すべては、イエス・キリストがみ父に従われたように司教に従い、あたかも使徒たちに従うかのように長老団に従うようにせよ」¹
このように、イグナティウスは一人の司教が各会衆を監督すべきであり、司教は長老たちよりも大きな権威を有する者とみなされるべきであると唱えました。歴史家のオーガスタス・ネアンダーは、この状況を次のように説明しています。「2世紀に、……長老たちを統治する者の恒久的な地位が形成されたに違いない。その者は特にすべての物事を監督していたので(エピスコポス)という名称を与えられ、それによって残りの長老たちとは区別された」²
僧職者・平信徒の分断と位階制の発展
イグナティウスによって据えられた基礎は、その約150年後、カルタゴの司教キプリアヌスらによってさらに強力なものとされました。司教たちは位階制の階段を上る一方で、一般の信者たちを低い地位に置き去りにしました。その結果、指導にあたる「僧職者」と受動的な信者である「平信徒」の区別が生じたのです。
マクリントクおよびストロング共編の『百科事典』は、この変化を次のように詳述しています。「聖職者(clergy)と平信徒の区別は、位階制の父であるキプリアヌスの時代から目立つようになり、たちまちあまねく認められるようになった。実際、3世紀以降……クレルス(clerus)という語は、聖職者を平信徒から区別するため、ほとんど例外なく聖職者のみに適用された」³
これにより、すべての信者が「王なる祭司」を構成するという原始キリスト教の教え(ペテロ第一 2:9)に代わり、僧職者が「唯一の祭司職」として認められる変節が生じました。
イグナティウスのキリスト論:原始キリスト教的要素の保持
組織構造において大きな変化をもたらしたイグナティウスですが、キリストの身分に関する教えにおいては、原始キリスト教の従属的な理解を維持していました。彼の著作とされるものを精査しても、父、子、聖霊が同等であるとする「三位一体」の教理は見いだせません。
イグナティウスは、全能の神を「唯一まことの神、自存無比の方、すべてのものの主、独り子なるみ子を産み出した父」と呼び、神とみ子の区別を明確にしています⁴。また、み子が上位の存在である神に従属していることを示す表現を数多く用いています。
彼はみ子の語った言葉として、「主(全能の神)は、ご自分の道の初めを、すなわちわたしを創造された」という表現を紹介しており、み子が創造された存在であることを示唆しています⁵。また、次のようにも述べています。「ひとりの神がおられ、その方はみ子イエス・キリストを通してご自分を明らかにされた。……イエス・キリストはみ父に従属している」⁶
イグナティウスがみ子を「神」と呼ぶ箇所もありますが、それは聖書がキリストを「力ある神」や「独り子の神」と呼んでいることと同様の意味合いです。(イザヤ 9:6; ヨハネ 1:18)彼は、み父から力と権威を授けられたみ子が「力ある者」としての「神」と呼ばれることは正しいと考えていたに過ぎず、全能の神と同等であるとは主張していませんでした。(マタイ 28:18; コリント第一 8:6; ヘブライ 1:2)
著作の信ぴょう性と校訂版の議論
イグナティウスの手紙については、その信ぴょう性に多くの議論があります。アレクサンダー・ロバーツとジェームズ・ドナルドソンは、次のように指摘しています。
「イグナティウスのものとされている手紙のうち最初の8通は偽物であるというのが、現時点での批評家たちの一般的な意見である。……エウセビオスが認めている7通の手紙についても、長い校訂版と短い校訂版があるが、学者の間では、短い版でさえ完全に信ぴょう性があるとはみなせないという意見が大勢を占めている」⁷
仮に短い版が本物であると仮定しても、そこには三位一体を支持する内容は含まれていません。イグナティウスの著作は、あくまでみ子が神よりも劣った者であり、神に従属する者であるという二元的な実体を信じていたことを示しているに過ぎません。
結論:原始キリスト教との一致点と相違点
アンティオキアのイグナティウスの思想と活動を総括すると、以下の点が明確になります。
- 原始キリスト教を支持している(一致する)部分:
キリストの身分に関して、み父を「唯一の全能の神」とし、み子イエスをみ父によって創造され、み父に従属する存在として捉えている点。これは「父はわたしより偉大な方である」というイエスの言葉や使徒たちの教えと調和しています。(ヨハネ 14:28; コリント第一 11:3) - 原始キリスト教から反れている(逸脱した)部分:
会衆の統治体制に関して、「司教」を「長老」よりも上位に置き、一人の司教による統治を求めた点。これが後の「僧職者対平信徒」という非聖書的な階級制度の基礎となり、クリスチャンの平等性を損なう結果を招きました。
以上のように、イグナティウスの時代は、組織上の構造においては原始キリスト教からの変節が始まりつつも、教義の根幹(神と子の関係)においては、まだ原始の理解が色濃く残っていた過渡期であったと言えます。
脚注
- Ignatius, Letter to the Smyrnaeans, VIII.
- Augustus Neander, The History of the Christian Religion and Church, During the Three First Centuries, translated by Henry John Rose (1843), p. 111.
- John McClintock and James Strong, Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature, Vol. II, p. 386.
- Ignatius, Letter to the Magnesians (Long Recension), XI.
- 前掲書, Letter to the Tarsians, VI.
- 前掲書, Letter to the Magnesians, VIII, XIII (Short Recension).
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. I, pp. 137-139.
引用文献
- Ignatius of Antioch, Epistles (Long and Short Recensions).
- Neander, Augustus. General History of the Christian Religion and Church. Vol. 1.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature. 1867-1887.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 1, “The Apostolic Fathers with Justin Martyr and Irenaeus.” Reprint edition, 1994.
ローマのタティアノス
時代的背景:予告された背教の兆し
使徒パウロは、1世紀後半にエフェソスの長老たちに対し、「わたしが去った後に、圧制的なおおかみがあなた方の中に入って……弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう」と警告しました。(使徒 20:29, 30)この言葉通り、西暦2世紀はキリスト教にとって極めて不安定な変容の時代となりました。
当時のキリスト教世界は、物質を悪、霊を善とする「グノーシス主義」の強い影響下にありました。この思想は、ある者たちを極端な放縦へと走らせる一方で、別の人々を極端な禁欲主義へと向かわせ、結婚や特定の食物を退けるといった非聖書的な教えを生み出しました。このような激動の時代に登場したのが、シリア出身の著述家タティアヌス(西暦120年頃-180年頃)です。
護教家としての歩みと「異国の書物」との出会い
タティアヌスは、ギリシャ・ローマの広範な教養を持つ雄弁家としてローマを訪れ、そこで殉教者ユスティヌスの弟子になったと考えられています。彼は、ギリシャ哲学の空虚さに失望していた時期に聖書に出会い、その「簡明さ」と「論理性」に深く感銘を受けました。
彼は自著『ギリシャ人への言葉』の中で、聖書を「ある異国の書物」と呼び、それがギリシャ人の思想よりも古く、かつ崇高であることを強調しました。彼は、偶像崇拝の無益さを指摘し、万物の創造者である唯一の神への信仰を大胆に弁護しました。(ヘブライ 3:4; コリント第一 10:14)
『ディアテッサロン』
タティアヌスは、『ディアテッサロン(総合四福音書)』の編纂をしました。これは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書を一つの連続した物語としてまとめたもので、西暦2世紀半ばには、これら四つの福音書がすでに正典として広く認められていたことを証明する貴重な資料となっています。
この著作により、シリア語圏の信者たちは初めて母国語でイエスの生涯を体系的に学ぶことが可能になりました。また、彼がいわゆる「外典福音書」を一切採用しなかった事実は、原始キリスト教の真正な記録と、後代の偽作を明確に区別していたことを示しています。
原始キリスト教との一致と支持
タティアヌスは、その生涯の前半において、原始キリスト教の基本的な教えを強く支持していました。
- 唯一神の崇拝: 神を「万物の初め」であり、目に見えない「霊」であると説きました。(ヨハネ 4:24; テモテ第一 1:17)
- ロゴス(み子)の身分: み子を、み父によって生み出された「初子」であり、宇宙を創造する際に神に用いられた存在として捉えていました。(ヨハネ 1:1-3; コロサイ 1:13-17)これは、み子がみ父に従属するという原始の理解を反映しています。
- 人間の自由意志と死: 人は死ぬように創造されたのではなく、自らの自由意志による過ち(罪)の結果として死ぬようになったという、創世記の記述に忠実な教えを保持していました。
極端な禁欲主義への変節と「背教」
師であるユスティヌスの死後(西暦165年頃)、タティアヌスは「エンクラティス派(自制派)」と呼ばれる過激な禁欲主義グループを創設、あるいはそれに加わることで、原始キリスト教の道から大きく逸脱し始めました。
彼は、結婚を「淫行」と同等の悪魔的なものとして退け、肉食やぶどう酒の摂取を禁じるという極端な教えを説きました。これは、使徒パウロが「後の時代に、ある人たちは……惑わす霊感のことばや悪霊の教えに注意を寄せるようになります。彼らは、結婚することを禁じたり、……食物を断つように命じたりします」と予告していた通りの展開でした。(テモテ第一 4:1-3)
彼は聖書の真理を擁護しようとしながら、同時にその教えに人間の哲学的な極端さを付け加えることで、自ら「曲がった事柄を言う者」の一人となってしまったのです。
結論
タティアヌスの分析から、以下の点が結論付けられます。
- 原始キリスト教を支持している部分:
唯一の創造主への信仰、偶像崇拝の拒絶、四福音書の権威の擁護(ディアテッサロン)、およびみ子の従属的な地位に関する教え。これらはマタイ 5章45節や、神の言葉に対する深い敬意に基づいています。 - 原始キリスト教から反れている部分:
結婚を罪悪視し、特定の食物を禁じるなどの極端な禁欲主義の導入。これは「書かれている事柄を越えて」はならないという聖書の原則(コリント第一 4:6)を無視し、人間の哲学を教理に混入させた結果でした。
タティアヌスの歩みは、真理への熱意が、ひとたび聖書のバランスある教えから離れて人間の極端な思想に結びついたとき、いかに容易に「背教」へと変質し得るかという警鐘を、現代の読者に鳴らしています。(テモテ第一 6:20)
脚注
- Tatian, Address to the Greeks, chapter 29.
- Eusebius, The History of the Church, Book IV, chapter 29.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. II, pp. 61-62.
- 前掲書, Address to the Greeks, chapter 4.
- Irenaeus, Against Heresies, Book I, chapter 28.
- The Oxford Dictionary of the Christian Church, edited by F. L. Cross (1997), p. 1575 (Regarding the Diatessaron).
- Bruce M. Metzger, The Canon of the New Testament, pp. 113-115.
引用・参考文献
- Tatian. Address to the Greeks (Oratio ad Graecos).
- Eusebius of Caesarea. Ecclesiastical History.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 2, “Fathers of the Second Century: Hermas, Tatian, Athenagoras, Theophilus, and Clement of Alexandria.”
- Metzger, Bruce M. The Canon of the New Testament: Its Origin, Development, and Significance. Oxford University Press.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
アレクサンドリアのオリゲネス
オリゲネスの歴史的評価とその熱意
3世紀のアレクサンドリアが生んだ神学者オリゲネス(西暦185年頃-254年頃)は、キリスト教史上、最も称賛され、かつ最も議論を呼んだ人物の一人です。ウルガタ訳の翻訳者ヒエロニムスは彼を「使徒以後、最も偉大な教会の指導者」と称えましたが、死後3世紀を経て、彼は公式に異端者としての宣告を受けることとなりました。
オリゲネスは、キリスト教が迫害されていた時代、17歳という若さで殉教を志すほどの強い信仰を持っていました。アレクサンドリアの教理学校の学頭に任命された彼は、命の危険を冒しながら教え子たちを励まし、聖書の教育に生涯を捧げました。彼の熱意は原始キリスト教の精神を反映していましたが、その知的好奇心と哲学的な背景は、後の教義に多大な影響を及ぼす変節をもたらすことになります。
聖書学への貢献と神のお名前の保存
オリゲネスの最大の学術的業績は、50巻にも及ぶ多言語対照訳聖書『ヘクサプラ』の編纂です。彼は、ヘブライ語本文と複数のギリシャ語訳を並行欄に配列することで、聖句の意味を明瞭にしようと試みました。
この『ヘクサプラ』における特筆すべき貢献は、神の固有のみ名である「テトラグラマトン(JHWH)」の扱いについてです。オリゲネスは、当時のギリシャ語翻訳において神のみ名が「主(キュリオス)」に置き換えられつつあった傾向に反し、元のヘブライ文字で神のみ名を保持していました。W・G・ウォデル教授は、オリゲネスの『ヘクサプラ』の断片写本を証拠に、アクィラ、シュンマコス、および七十人訳の各欄において、JHWHがヘブライ文字、あるいはそれを模したギリシャ文字(ΠΙΠΙ)で表記されていたことを指摘しています¹。
オリゲネス自身も、「最も忠実な写本の中で御名はヘブライ文字で、……古代ヘブライ語で書かれている」と言明しています²。この事実は、彼が神のみ名の重要性を認識しており、原始クリスチャンがエホバという固有のみ名を知り、尊重していたという原始キリスト教の伝統を支持していたことを示しています(詩編 83:18; マタイ 6:9)。オリゲネス「詩篇注解線集」詩編2:2参照。
寓意的解釈とギリシャ哲学の導入(原始キリスト教からの逸脱)
オリゲネスが原始キリスト教から反れ始めた主要な原因は、聖書の「寓意的解釈法」とギリシャ哲学への傾倒にあります。彼はイスラエル人がエジプト人の金を用いて神殿の器具を作ったことを例に挙げ、ギリシャ哲学をキリスト教の教理の下地として用いることを正当化しました。
彼は「聖句には常に霊的な意味があるが、必ずしも字義的な意味があるとは限らない」と考え、自らの哲学体系に合わせて聖書を解釈しました。これは、「書かれている事柄を越えてはならない」という使徒の原則(コリント第一 4:6)からの重大な逸脱を招きました。
キリスト論と「とこしえの発生」の概念
オリゲネスは、み子イエスの身分について「とこしえの発生(eternal generation)」という理論を提唱しました。彼は著書『原理論』において、イエスを「誕生はしたが、始まりのない独り子」と定義し、その発生は永遠であると主張しました。
しかし、聖書はみ子を「全創造物の初子」であり「神による創造の初め」であると教えています。(コロサイ 1:15; 啓示 3:14)歴史家のオーガスタス・ネアンダーは、オリゲネスのこの概念が聖書からではなく、彼の受けたプラトン学派の哲学教育に由来するものであると指摘しています³。オリゲネスのこの見解は、後に非聖書的な「三位一体」の教理が形成される際の重要な基礎となりました。
魂の不滅性と千年期の独自解釈
さらに、オリゲネスはプラトン哲学の影響を受け、人間の魂を「生来的に不滅な霊的実体」として定義しました。彼はプラトンの「魂のドラマ」をキリスト教の枠組みの中に組み込んだのです⁴。
この「魂の不滅性」という信念は、聖書の教えである「罪を犯している魂、それは死ぬ」という真理(エゼキエル 18:4)や「復活」の希望(使徒 24:15)を歪めることになりました。その結果、彼は聖書が約束する地上における千年期の祝福を、純粋に霊的な領域の出来事へと変質させてしまいました。彼は、千年期の地的な祝福を信じる人々を「ユダヤ人のように聖書を解釈している」として非難し、神の王国を「心の中の内面的な支配」という意味に限定してしまいました⁵。
結論
オリゲネスの活動を総括すると、以下の対照的な側面が浮かび上がります。
- 原始キリスト教を支持している部分:
聖書テキストの正確な保存に対する真摯な努力、迫害下での殉教を辞さない忠誠心、そして何より『ヘクサプラ』を通じて「神のみ名(テトラグラマトン)」を元の形で保持し、その尊厳を守った点。 - 原始キリスト教から反れている部分:
ギリシャ哲学(プラトン主義)をキリスト教教理に融合させた点。それにより「魂の不滅」や「み子のとこしえの発生」といった非聖書的な概念を導入し、神の王国の希望を霊化して、三位一体教理や後の教会の迷信的な伝統の種をまくことになりました。
オリゲネスは「誤って『知識』ととなえられているもの」に注意を向けた結果、意図せずして「信仰からそれて」しまったと言えます。(テモテ第一 6:20, 21)彼の生涯は、聖書の平易な真理を人間の哲学で補完しようとすることの危うさを、後世のクリスチャンに明確に示しています。
脚注
- W. G. Waddell, “The Tetragrammaton in the LXX,” Journal of Theological Studies, Vol. 45 (1944), pp. 158-159.
- Origen, Commentary on Psalms 2:2.
- Augustus Neander, General History of the Christian Religion and Church, translated by Joseph Torrey (1848), Vol. 1, p. 588.
- Werner Jaeger, “The Greek Ideas of Immortality,” Harvard Theological Review, Vol. 52, No. 3 (1959).
- The Catholic Encyclopedia (1911), Vol. X, “Millennium and Millenarianism.”
- New Catholic Encyclopedia (1967), Vol. 10, pp. 718-720.
引用・参考文献
- Origen. De Principiis (On First Principles).
- Origen. Hexapla (Fragments).
- Neander, Augustus. General History of the Christian Religion and Church.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
- Metzger, Bruce M. Manuscripts of the Greek Bible: An Introduction to Palaeography.
- The New Catholic Encyclopedia.
アンティオキアのテオフィロス
アンティオキアのテオフィロスとその背景
西暦2世紀後半、キリスト教は外部からの激しい非難と、内部からの変節という二つの波に直面していました。この時代にアンティオキアの第6代司教(監督)を務めたテオフィロス(西暦182年頃没)は、当時の有力な護教家の一人として知られています。
彼は異教の家庭に生まれ、当初はクリスチャンという名称を蔑んでいましたが、聖書を注意深く研究した結果、その真実性に確信を抱き改宗しました。彼の主著『アウトリュコスへ(Ad Autolycum)』は、友人アウトリュコスによるキリスト教への攻撃に対する反論として記され、当時の信仰のあり方を今日に伝える貴重な史料となっています。
原始キリスト教の支持:聖書の権威と倫理的弁護
テオフィロスは、その著作において原始キリスト教の根幹をなす多くの教えを支持していました。
第一に、聖書の一貫性と霊感に対する深い敬意です。彼は、「律法が要求した義に関しては、それを確認する陳述が預言者の言葉と福音書の両方に見いだされる。なぜなら、彼らは皆、神の同一の霊による霊感を受けて語ったからである」と断言しました¹。彼は「福音書はこう述べている」として山上の垂訓を引用し(マタイ 5:28, 32, 44, 46)、パウロの手紙を「神からの言葉」として言及しています。(ローマ 13:7, 8; テモテ第一 2:2)
第二に、絶対的唯一神崇拝と偶像礼拝の拒絶です。彼は、木石で作られた異教の神々を「人の手の業」として退け(詩編 115:4-8)、神を「万物の創造者であり、造り主」として描写しました。彼は、神を肉眼で見ることはできないが、その業を通じて知ることができると説き、生けるまことの神のみを崇拝すべきであることを強調しました(サムエル第二 22:47; 使徒 14:15)。
第三に、国家と崇拝の分離です。テオフィロスは、クリスチャンが国家に対する反逆者であるという非難に対し、「私はむしろ皇帝を敬いたい。もちろん崇拝するのではなく、皇帝のために祈るのである。しかし神……は崇拝する」と答え、崇拝を神に、敬意を世俗の権威に帰すという聖書的原則を堅持しました(マタイ 22:21; ローマ 13:1-7; テモテ第一 2:1, 2)。
第四に、歴史的真実性の擁護です。彼は聖書の年代記を信頼し、エルサレムの荒廃が70年間続いたという聖書の記述(歴代志略下 36:21; ダニエル 9:2)が歴史的事実と一致することを示しました。
原始キリスト教からの逸脱:教義の変容
一方で、テオフィロスの著作には、後の世紀にキリスト教を大きく変質させることになる教義の変容の兆しが見られます。
最も顕著な点は、「三位一体」という概念の萌芽です。テオフィロスはギリシャ語の著作の中で、神、その言葉(ロゴス)、その知恵(ソフィア)の三者を指して、「三つ組」あるいは「三位一体」を意味する「トリアス(trias)」という言葉を、キリスト教の文脈で初めて使用しました²。
もちろん、この時点での彼の概念は、4世紀のニカイア公会議以降に定義される「父・子・聖霊が同質・同等」という複雑な教義とは異なります。しかし、聖書に存在しない用語を用いて神の性質を範疇化しようとする試みは、原始キリスト教の簡明な教えから離れる第一歩となりました。
また、死後の報いに関する記述においても、聖書的な復活の希望以上に、当時の外典(「ペテロの黙示録」など)や異教的な色彩を帯びた「永遠の炎による罰」という概念を持ち込みました。彼はギリシャの女預言者シビラの言葉を引用し、邪悪な者が「炎の中で焼かれよ」という報いを受けることを「真実で有益」な教えとして紹介しました³。これは、「死人の意識は何もない」とする聖書本来の死生観(伝道の書 9:5, 10)とは異なり、後の地獄火の教理に繋がる思想的混入であったと言わざるを得ません。
護教家としての格闘と誤解への反論
テオフィロスは、当時クリスチャンに対して投げかけられていた「乱交」や「人肉食(カニバリズム)」といった卑劣な誹謗中傷に対しても、果敢に反論しました。彼はこれらの噂を「世間一般の風評」として退け、クリスチャンが神の言葉に従って清い生活を送っていることを擁護しました(マタイ 5:11, 12)。彼の論調は時に冗長で、哲学的思索にふける傾向もありましたが、西暦182年頃に亡くなるまで、護教家として活動しました。
結論
アンティオキアのテオフィロスの分析から、以下の点が明確になります。
- 原始キリスト教を支持している部分:
旧新両聖書の霊感の承認(テモテ第二 3:16)、偶像礼拝の厳格な拒絶、唯一の創造主への崇拝、および皇帝崇拝の拒否。 - 原始キリスト教から反れている部分:
非聖書的な用語「トリアス(三位一体)」の導入、および聖書の復活の教えに異教的・外典的な地獄火の概念を混入させた点。
テオフィロスは、使徒時代の教えを熱心に守ろうとした一方で、外部の哲学や異教思想の影響が教会の著作に忍び込み始めた、まさに背教の原始段階における過渡期的な人物であったと評価できます。
脚注
- Theophilus of Antioch, To Autolycus, Book III, chapter 12.
- 前掲書, Book II, chapter 15. 「それゆえ、太陽より前に存在した三日(の期間)は、神とその言葉と知恵の三位一体(トリアス)の型である。」
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. II, p. 114.
- Eusebius, Ecclesiastical History, Book IV, chapter 20.
- Jaroslav Pelikan, The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine, Vol. 1, p. 101.
引用・参考文献
- Theophilus of Antioch. To Autolycus (Ad Autolycum).
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 2, “Fathers of the Second Century.”
- Eusebius of Caesarea. Ecclesiastical History.
- Pelikan, Jaroslav. The Christian Tradition: A History of the Development of Doctrine. University of Chicago Press.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
アレクサンドリアのクレメンス
アレクサンドリアのクレメンスの立脚点
アレクサンドリアのクレメンス(西暦150年頃-215年頃)は、原始キリスト教の神学形成において重要な役割を果たした人物です。彼はエジプトのアレクサンドリアにおいて、キリスト教の教えと当時のギリシャ哲学を融合させる道を模索しました。
クレメンスは、神を知ることを「真の命」を得るための第一歩と考え、「最初であり、至高であり、ただひとりであり、善良であられる神」を理解することを強調しました。しかし、彼の著作を分析すると、原始キリスト教の忠実な保持と、ギリシャ哲学の流入による重大な逸脱という、相反する二つの側面が浮き彫りになります。
キリストの従属的地位:原始キリスト教の支持
クレメンスは著作の中で、み子(イエス・キリスト)を「神」や「創造者」と呼ぶことがありますが、それは全能の創造者とあらゆる点で同等であるという意味ではありませんでした。この点において、彼はみ父(エホバ)を唯一の至高者とする原始キリスト教の理解を支持していました。
第一に、彼はみ子を、父なる神が創造の業を行うための「代理人」として理解していました。彼がみ子を「創造者」と呼ぶ際、それは「すべてのものは彼を通して存在するようになった」というヨハネ 1章3節の教え、および「すべてのものは彼を通して、また彼のために創造された」というコロサイ 1章15節から17節の記述に基づいたものでした。
第二に、クレメンスは父と子の階層関係を明確に述べています。彼は至高の神を「わたしたちの主イエスの神また父」と呼び¹、主(子)を「創造者の子」と定義しました。さらに、「万物の神は、唯一の優れた公正な創造者であり、子は父の内に(ある)」と述べ、子の存在の源泉が父にあることを示しました²。
第三に、彼は三位一体の教理に見られるような同等性を否定していました。クレメンスは、神を「永遠の命の最初かつ唯一の授与者」とし、子は「その永遠の命を神から受けて、我々に授与する者」であると説明しています³。この「与える者」と「受けて中継する者」の区別は、子が父に従属していることを明白に示しています。彼は、子が「唯一の全能者に最も近い」者であり、「父の意志に従ってすべてのことを命令する」と述べています⁴。
歴史家ラムソンは、クレメンスに関して次のように評価しています。
「子の従属性と下位性は随所に見られるように思われる。クレメンスは、神と子が数の上で別個の者……一方は至高者で、他方は従属する者であると信じていた」⁵。
原始キリスト教からの逸脱:ギリシャ哲学と魂の不滅性
一方で、クレメンスは当時のギリシャ哲学、特にプラトン主義に深く影響されており、それが聖書本来の教えを汚染する要因となりました。
最も重大な逸脱は、「魂の不滅性」に関する教えです。聖書は、人間を「生きる魂」そのものとして描写し(創世記 2:7)、魂そのものが死ぬ存在であることを教えています(エゼキエル 18:4)。しかし、クレメンスはギリシャの伝統的思想を公に借用し、「すべての魂は不滅である。悪人の魂も例外ではない」と断言しました⁶。
この不滅の魂という前提から、彼はさらに二つの非聖書的な教理の種をまきました。
第一は「煉獄」の概念です。クレメンスは、死者は「清めの火」によって罪から清められるというギリシャ哲学的な考えを支持しました。これは後に、教皇グレゴリウス1世らによって「煉獄」の教理として確立される下地となりました。
第二は「永遠の責め苦」の教理です。彼は「悪人の魂は、消すことのできない火に付されて絶え間なく厳しく罰せられ、しかも死なないゆえに、その悲惨な状態を終わらせることができない」と記しました⁷。これは、「罪の支払う報酬は死である」とする聖書の平易な真理(ローマ 6:23)から著しく反れています。
結論
アレクサンドリアのクレメンスの教えを総括すると、以下のようになります。
- 原始キリスト教を支持している部分:
父なる神(エホバ)を「唯一まことの神」「至高者」とし、み子イエスを父に従属する、父の意志を遂行する代理人として捉えた点(マタイ 11:27; ヨハネ 14:28)。三位一体の「同等性」を認めていなかった点。 - 原始キリスト教から反れている部分:
聖書が否定している「魂の不滅」というギリシャ哲学の概念を導入した点。その結果、煉獄や永遠の責め苦といった、神の愛の性質(ヨハネ第一 4:8)や復活の希望(使徒 24:15)を損なう教理の端緒を開いた点。
クレメンスは、哲学を「福音への養育係」と見なしていましたが、実際にはその手法を用いることで、キリスト教の教理を形而上学的かつ非聖書的な方向へと変質させてしまいました。彼の功績と誤りは、神の言葉を人間の哲学と融合させることの危険性を物語っています(コロサイ 2:8)。
脚注
- Clement of Alexandria, The Stromata, Book VI, chapter 14.
- 前掲書, Book VII, chapter 1.
- Clement of Alexandria, Who is the Rich Man that Shall Be Saved?, section 7.
- 前掲書, The Stromata, Book VII, chapter 2.
- Alvan Lamson, The Church of the First Three Centuries (1860), pp. 89-90.
- New Catholic Encyclopedia (1967), Vol. 10, “Soul, Human, Immortality of.”
- Clement of Alexandria, Posthumous Fragments.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. II, pp. 591-592.
引用・参考文献
- Clement of Alexandria. The Stromata (Miscellanies).
- Clement of Alexandria. Who is the Rich Man that Shall Be Saved? (Quis Dives Salvetur?).
- Lamson, Alvan. The Church of the First Three Centuries.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 2, “Fathers of the Second Century.”
- New Catholic Encyclopedia. McGraw-Hill.
- Hagenbach, K. R. A History of Christian Doctrines.
カルタゴのテルトゥリアヌス
テルトゥリアヌスの逆説
西暦2世紀から3世紀にかけて活躍した北アフリカ・カルタゴの著述家テルトゥリアヌス(西暦160年頃-230年頃)は、教会の歴史において極めて多面的な影響を及ぼした人物です。彼は「アカデメイアと教会とにはどんな一致があろうか」という有名な問いかけを投げかけ、世俗の哲学が真理を腐敗させることを強く警告しました。
しかし、彼の著作には一見矛盾するような「逆説(パラドックス)」が散見されます。例えば、「神のみ子の死は不条理なるがゆえに、まさしく信じてしかるべきである」といった命題です。彼は真理を擁護することを意図しながらも、後の教義形成において、聖書的根拠から離れた理論の枠組みを構築するという複雑な役割を演じることとなりました。
原始キリスト教の慣行に対する支持と弁証
テルトゥリアヌスの著作の多くは、当時の偏見からクリスチャンを擁護するものでした。この点において、彼は原始キリスト教の教えを忠実に反映した主張を展開しています。
第一に、血の神聖さに関する支持です。当時のローマ社会では、てんかんの治療として剣闘士の血を飲むなどの習慣がありましたが、テルトゥリアヌスはクリスチャンが血を避けていることを明示しました。「わたしたちは普通の食物に動物の血をさえ含めていない」という彼の記述は、「血……を避けていなさい」という使徒たちの命令を忠実に守っていたことを示しています(使徒 15:20, 29)。
第二に、バプテスマの形態に関する記述です。彼はバプテスマについて、「人が水の中に浸され(浸礼)……再び上がる」と述べており、原始の会衆で行われていた完全な没入によるバプテスマの形式を支持していました。
第三に、クリスチャンの忠誠心です。彼はクリスチャンが国家の転覆を企てる者ではなく、帝国内で最も信頼できる市民であることを強調し、信仰のために死を辞さない殉教の精神を高く評価しました。
父と子の従属に関する当初の理解
テルトゥリアヌスは、神(父)とキリスト(子)の関係において、原始キリスト教の「従属主義(み子は父に従属する)」という聖書的な観点を保持していました。この点において、彼は現代の「三位一体」の教理とは一線を画しています。
テルトゥリアヌスはプラクセアスという人物の「様態論(父と子は同一存在であるとする説)」に反論する中で、父と子が別個の存在であることを明確に論じました。彼は「(すべてのものを)服させた方と、すべてのものが彼に服させられたと言うときのその彼とは、当然、ふたりの異なった存在である」と述べ(コリント第一 15:27, 28)、さらに「父はわたしより偉大な方です」というイエスの言葉を引用して、父と子の地位の差を強調しました(ヨハネ 14:28)。
また、テルトゥリアヌスは「神以外に始まりのない者はいない」とし、み子が実在者として存在していなかった時期があったことを示唆しています。彼によれば、「父は全体的な実体であるが、子は派生したものであって全体の一部」であり、父は子よりも高い地位にあります¹。こうした見解は、「神はキリストの頭である」という聖書の記述と調和するものです(コリント第一 11:3)。
原始キリスト教からの逸脱:哲学の導入と「三位一体」の造語
テルトゥリアヌスが原始キリスト教の教えから決定的に反れ始めるのは、哲学的な用語を用いて神の性質を定義しようとした点にあります。
彼は世の哲学を「悪霊の教理」と呼び批判していましたが(コロサイ 2:8)、自らも法学や哲学の概念を援用して「一実体、三位格(una substantia, tres personae)」という定式を作り出しました。そして、ラテン語で「三位一体」を意味する「トリニタス(trinitas)」という言葉を、父、子、聖霊の関係に初めて適用したのです。
この「三位一体」という言葉や、「一実体の中に三つの位格がある」という概念は、聖書のどこにも見当たらない人間独自の思考の産物です。彼は哲学を退けるよう警告しながらも、自ら指摘していた「真理を擁護することによって真理を抹殺する」というわなに陥ってしまいました。テルトゥリアヌスが据えたこの理論的枠組みは、後にニカイア公会議(西暦325年)などで確立される三位一体教理の土台となり、聖書の平易な真理を複雑な哲学的論争へと変貌させることになりました。
結論:
テルトゥリアヌスの活動を分析すると、以下の対比が浮き彫りになります。
- 原始キリスト教を支持している部分:
血を避けること(使徒 15:29)、浸礼によるバプテスマ、およびみ子イエスが父なる神に従属する別個の存在であるという点(ヨハネ 14:28)。 - 原始キリスト教から反れている部分:
聖書の記述を超えて(コリント第一 4:6)、ギリシャ哲学的な「実体」や「位格」という概念を持ち込み、「三位一体」という非聖書的な造語と教義の雛形を作り出した点。
テルトゥリアヌスは、聖書の純粋な真理を擁護しようと闘った一方で、人間の哲学という異質な要素をキリスト教に取り込んだ人物と言えます。彼の遺した教訓は、使徒パウロがテモテに与えた「虚偽の『知識』との矛盾した言い分を避けなさい」という警告の重要性を、今日に至るまで物語っています(テモテ第一 6:20)。
脚注
- Tertullian, Against Praxeas, chapters 9 and 10.
- Henry Chadwick, The Early Church (1980), p. 89.
- Tertullian, Against Hermogenes, chapter 3.
- Alexander Roberts and James Donaldson, eds., The Ante-Nicene Fathers, Vol. III, p. 487.
- John McClintock and James Strong, Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature, Vol. X, p. 552.
- Alvan Lamson, The Church of the First Three Centuries, pp. 108-109.
引用・参考文献
- Tertullian. Apology (Apologeticum).
- Tertullian. Against Praxeas (Adversus Praxean).
- Tertullian. Against Hermogenes (Adversus Hermogenem).
- Chadwick, Henry. The Early Church. Penguin Books, 1993.
- McClintock, John, and James Strong. Cyclopaedia of Biblical, Theological, and Ecclesiastical Literature.
- Roberts, Alexander, and James Donaldson, eds. The Ante-Nicene Fathers. Vol. 3, “Latin Christianity: Its Founder, Tertullian.”
- Lamson, Alvan. The Church of the First Three Centuries.
ローマ皇帝とキリスト教の迫害
ネロ皇帝と局地的な迫害の始まり(西暦64年 – 68年)
キリスト教に対する最初の組織的な迫害は、西暦64年に発生した「ローマ大火」がきっかけでした。
- 経緯: ローマ大火の責任を転嫁するため、ネロは当時異質な集団と見なされていたクリスチャンを標的にしました。タキトゥスの『年代記』によれば、クリスチャンは競技場で猛獣に襲わせたり、火刑に処して夜間の照明代わりにされたりといった残虐な方法で処刑されました¹。
- 影響: この迫害はローマ市周辺に限定された局地的なものでしたが、キリスト教がユダヤ教の一派ではなく、独立した「不法な宗教(Religio illicita)」として認識される端緒となりました。使徒ペテロとパウロもこの時期に殉教したと伝えられています。
- 聖書的背景: クリスチャンは「義のために迫害される者は幸いです」というイエスの言葉を胸に、この試練を耐え忍びました(マタイ 5:10)。
トラヤヌス皇帝と「法的不安定」な時代(2世紀)
2世紀に入ると、迫害は「国家による積極的な捜索」ではなく、告発があった場合に対処するという「法的ガイドライン」に基づいて行われるようになりました。
- トラヤヌスの裁定(西暦112年頃): 小アジアの総督大プリニウスとトラヤヌス皇帝の往復書簡により、「クリスチャンをわざわざ捜索する必要はないが、告発され、信仰を捨てない者は処刑すべきである」という方針が定まりました²。
- 影響: 常に死の危険が隣り合わせにある「法的不安定状態」が続きました。これにより、パピアスやイグナティウス、ポリュカルポスといった「護教家(Apologists)」が登場し、キリスト教がいかに理性的で無害であるかを、皇帝や大衆に向けて論理的に説明する著作が生まれました。
- 聖書的背景: 信仰のゆえに憎まれることは、使徒たちが予告した通りでした(ヨハネ 15:18-20)。
カタコンベ
迫害と隣り合わせであった初期クリスチャンの生活を象徴するのが、ローマなどの都市の郊外に広がる地下墓所「カタコンベ」です。
- 成り立ちと目的: ローマ法では都市内での遺体焼却や埋葬が禁じられていたため、郊外の地下に大規模なトンネル状の墓所が作られました。初期クリスチャンが火葬ではなく埋葬を選んだのは、聖書が教える「復活」の希望を強く抱いていたためです(ヨハネ 5:28, 29; コリント第一 15:42-44)。土地が高価であったローマにおいて、地下に深く掘り進めるカタコンベは、貧しい信者たちも平等に葬ることができる合理的な解決策でもありました。
- 迫害下の役割: 通説では「クリスチャンが迫害から逃れるための隠れ家」とされてきましたが、実際には主な目的は墓地であり、その存在は当局も把握していました。しかし、デキウスやディオクレティアヌスによる激しい迫害期には、一時的な避難所や、秘密裏に集まって主の晩餐を行う場として利用されたことも事実です。
- 信仰の証しと変節: カタコンベの壁面には、「良き羊飼い」や「魚(イクトゥス)」、ヨナの物語など、初期クリスチャンの素朴な信仰を表すフレスコ画が残されています。しかし、3世紀以降、殉教者の墓の近くに葬られたいという願望(ad sanctos)が強まり、殉教者の遺骨を崇敬する「聖人崇拝」の芽生えが見られるようになりました。これは、神のみを崇拝の対象とする原始キリスト教の教え(啓示 19:10)から、後の「遺物崇拝」へと繋がる初期の逸脱を示すものでもあります。
デキウス皇帝と全帝国規模の組織的迫害(西暦250年 – 251年)
3世紀半ば、ローマ帝国が衰退し始めると(3世紀の危機)、伝統的なローマの神々への崇拝を強制することで国の一致を図ろうとする動きが強まりました。
- 経緯: デキウス皇帝は、すべての市民にローマの神々への犠牲を命じ、実行した者には証明書(libellus)を発行させました。これに応じない者は投獄、あるいは処刑されました³。
- 影響: 以前の迫害と異なり、「帝国の全土」で行われた組織的なものでした。この時、多くの信者が拷問を恐れて信仰を捨てる(lapsi 棄教者)という深刻な問題が発生しました。迫害終了後、これら棄教者の復帰を認めるかどうかで教会内に激しい論争が起こり、組織的な分裂(ノウァティアヌス派など)が生じる一因となりました。
ディオクレティアヌス皇帝による「大迫害」(西暦303年 – 311年)
公認前の最後の、そして最も激しい迫害はディオクレティアヌスによるものでした。
- 経緯: 彼は帝国の再統一のために「四分統治(テトラルキア)」を確立し、キリスト教を国家の団結を乱す障害と見なしました。303年からの一連の勅令により、聖書の没収と焼却、教会の破壊、聖職者の逮捕、そして全市民への強制的な犠牲が命じられました⁴。
- 影響: 数千人の信者が殉教し、聖書を役人に引き渡した者たちは「裏切り者(traditores)」と呼ばれ、再び教会内に深い亀裂を生みました。しかし、この大規模な弾圧にもかかわらず、キリスト教の組織力と信仰の浸透はもはや国家が根絶できるレベルを超えていたことが、後の公認へと繋がります。
コンスタンティヌス大帝と「ミラノ勅令」(西暦311年 – 313年)
迫害は、皮肉にも国家の敗北という形で終わります。
- ガレリウスの寛容令(西暦311年): 迫害の主導者の一人であったガレリウスは、死の間際に迫害の失敗を認め、クリスチャンが平和を乱さない限り存続を認めるという寛容令を出しました。
- ミラノ勅令(西暦313年): コンスタンティヌス1世とリキニウスはミラノで会談し、キリスト教を含むすべての宗教の信仰の自由を保障する「ミラノ勅令」を発布しました⁵。
- 影響: 300年にわたる「地下組織・非公認」の時代が終わり、キリスト教は国家の保護を受ける宗教へと激変しました。没収された財産は返還され、日曜日の休息や、教会への財政支援が始まりました。
当時のクリスチャンへの影響と変遷の分析
この300年間の変遷は、クリスチャンの内実を以下のように変化させました。
- 「王なる祭司」から「位階制」へ: 初期は平信徒も積極的に伝道していましたが、迫害下で会衆を守るために指導者(監督・司教)の権威が強まりました。イグナティウスやキプリアヌスの時代を経て、公認後には僧職者階級の固定化が加速しました(マタイ 23:8-10との乖離)。
- 殉教者への崇敬の始まり: 迫害に耐えた殉教者たちの遺体や遺品が「聖遺物」として崇拝の対象になり始めました。これは本来の、神のみを崇拝する姿勢からの逸脱を招きました(啓示 19:10)。
- 世との妥協: 迫害下では純粋な信仰が保たれやすかったのに対し、公認後は「社会的地位」や「利益」のために改宗する者が急増しました。これに対し、信仰の純粋さを求めて荒野へ退く「修道院制度」が見られるようになります。
- 聖書の保存: 度重なる「聖書焼却」の命令にもかかわらず、信者たちは命をかけて写本を隠し、伝えました。これが、今日の新約聖書の正典が極めて正確な形で残されている背景にあります。
結論として、 公認は身体的な迫害を終わらせましたが、同時に「国家とキリスト教の癒着」という新たな問題を生じさせました。これは、イエスが警告した「麦と毒麦」の例えのように、真のキリスト教と変節したキリスト教が混在する時代の幕開けを意味していました(マタイ 13:24-30)。
脚注・引用文献
- Tacitus, Annals, XV, 44.
- Pliny the Younger, Epistulae, X, 96-97.
- Eusebius, The History of the Church, Book VI.
- Lactantius, De Mortibus Persecutorum (On the Deaths of the Persecutors), chapters 10-15.
- Lactantius, De Mortibus Persecutorum, chapter 48.
- アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』
- 『国際標準聖書百科事典』(ISBE)
