「保存」対「破棄」そして「復元」対「劣化」
Onoma.blogでは、神についての聖書の証言記録が、どのように保存され、どのように失われかけ、どのように復元されてきたのかに関する歴史を調査研究したいと考えました。
歴史を振り返ると、一つの大きな対立構造が見えてきます。それは「保存」対「破棄」そして「復元」対「劣化」です。この対立は宗教に限った話ではありません。歴史記録もそうです。法律文書もそうです。政治文書もそうです。人類は価値があると考えたものを保存しようとします。しかし同時に、不都合なものを破棄したり、書き換えたり、忘れたりすることもあります。
本稿では、聖書が、神についての証言を集めた記録集であるということを強調したいと思います。イザヤ43章10節で神は忠実なイスラエル人に向かって、「あなたたちはわたしの証人である」と語っています。
イエスは亡くなる直前に、旧約聖書中の「あなたのみ言葉は真理」(ヨハネ17:3;詩編119:60)であると祈られました。ヨハネ18章37節で、ポンテオ・ピラトの前で「わたしは真理について証言するために生まれ、このために世に来た」と語られました。その点を使徒パウロはテモテ第一 6章13節で、イエスがピラトの前で「立派な証言」をしたと述べています。
イエスは使徒1章8節で、エホバの証人であった弟子たちに「あなた方はわたしの証人となる」と語りました。使徒パウロは、ヘブライ12章1節では、信仰を示した人々を「雲のような大勢の証人たち」と呼んでいます。したがって聖書の歴史とは、ある意味で「証言の歴史」であると言えます。
聖書は証言集であり証拠集
現代の裁判では、証言だけではなく証拠物件が重視されます。証言は記録され、証拠は保全されます。なぜなら、後になって事実を検証できなければならないからです。聖書にも同じ考えが含まれています。申命記31章24-26節では、モーセが律法を書き終えた後、「この律法の書を契約の箱の傍らに置きなさい。それがあなたに対する証人となるためである」と命じています。ここでは律法の書そのものが「証」として扱われています。ヨシュア24章26-27節では、「この石が私たちに対する証人となる」と語られています。つまり聖書世界では、人だけでなく、文書も、石も、記録そのものも証言の役割を果たしているのです。その意味で聖書は、神についての証言集であり、神についての証拠集でもあります。
一般的に裁判では、行為だけでなく動機も重要になります。なぜその行動を行ったのかが問われます。聖書も同じです。神が何を行われたかだけではなく、なぜそう行われたかも記録しています。その根底にある動機として繰り返し語られているのが、神の愛であり、キリストの愛です。したがって聖書とは、神の存在についての証拠集であり、神の契約についての証拠集であり、また神の愛についての証拠集でもあるのです。
歴史資料の扱い
聖書以外の歴史資料に目を向けると、人類は価値があると考えたものを保存してきました。石や洞窟、木などに記録されたものがあります。土器、レリーフ、パピルス、羊皮紙や紙といった素材に記録されたものもあります。「破損」したり「劣化」したりしている場合もあります。
研究者たちは、「読みづらいから書き換えよう」とは考えません。むしろ、「元の状態を失わないようにしよう」と考えます。文字が薄くなったとしても、赤外線撮影、紫外線撮影、デジタル解析などを使って、元の状態を復元しようとします。これは「修正」ではありません。「復元」です。
シェークスピア文学を例に挙げます。シェークスピア作品の自筆原稿はほとんど残っていません。そのため研究者たちは First Folio や Quarto 版などを比較し、「シェークスピアは何を書いたのか」を復元しようとします。「現代人に分かりにくいから削除しよう」とは考えません。
「たぶんこう言いたかったのだろう」と勝手に書き換えることもしません。できる限りオリジナルを再構成しようとするのです。古事記や日本書紀、風土記でも同じです。まず原文を保存し、その上で翻刻や注釈や現代語訳を加えます。
歴史資料の価値は、原形を保存することにあります。では、神についての証言を記録している聖書はは例外なのでしょうか。もし神のお名前が最初から書かれていたのであれば、研究者がまず行うべきことは、それを除去することではなく確認することではないでしょうか。
もし後代に変更が加えられた可能性があるなら、その変更を正当化することではなく、元の状態を調べることではないでしょうか。Onoma.blogでは、そのような視点から聖書資料を検討していきたいと考えています。
保存された預言の検証
聖書は証言集であるだけではなく預言の書でもあります。ここに「保存」の重要性があります。もし預言そのものが正確に保存されていなければ、後代の人々は、その預言が本当に実現したのかどうかを確認することができません。
聖書には、預言そのものが記録されています。そして、実現した預言も記録されています。例えば、メシアがベツレヘムで生まれるという預言(ミカ5:2)や、苦しむ僕についての預言(イザヤ53章)や、手足を刺し貫かれることを含む預言(詩編22篇)などがありますが、これらは旧約聖書に保存され、その後、新約聖書でイエス・キリストに実現した出来事として記録されています。
預言と歴史の双方が保存されているからこそ、人は検証することができます。もし預言が後から書き加えられたなら、また実現後に書き換えられたなら、証拠能力は失われます。したがって、預言の信頼性は保存の正確さに依存しています。
不都合な事実の保存
政治文書は昔も今も、不都合な事実を書き換える傾向があります。失敗は隠されることがありますし、成功だけが強調される場合もあります。しかし聖書は違います。ノアの失敗、アブラハムの弱さ、モーセの過ち、ダビデの重大な罪、ソロモンの間違い、ペテロの否認、弟子たちの争い、イスラエル民族の反逆など、不都合な事実がそのまま残されています。これは極めて特徴的だといえます。聖書記録者たちの関心が自己正当化ではなく、証言の保存にあったことを示しています。
神のお名前は証言の一部
聖書筆者たちは、聖書の中に人物名を保存し、地名を保存し、系図を保存しました。神の重要な約束である契約を保存しました。神にしかできない将来の預言を保存しました。神についての目的や考えや語られたことを正確に保存しました。
ユダヤ人の写字生たちは、ヘブライ語の原本から複製を行う過程で、約6,800回近く神のお名前をיהוה(テトラグラマトン)の形で保存してきました。ユダヤ人の写字生たちは、長い年月にわたり写本を複製しながらも、この固有名を本文の中に保存しました。これは、長期にわたるヘブライ語本文伝承において、神名の綴りそのものが重要な本文要素として扱われたことを示します。
その後、ヘブライ語の聖書は他の言語へ翻訳されていきました。明らかに当初は、神のお名前は削除される対象ではなく、保存される対象だったことが分かります。
紀元前3世紀頃から作成されたギリシャ語訳聖書である七十人訳の最古層の写本の一部などに、ギリシャ語本文の中に古ヘブライ文字でYHWH(テトラグラマトン)を保存している写本が見つかっています。少なくとも一部のユダヤ系ギリシア語写本伝承が、神名を κύριος に置換せず、視覚的に区別して保存したことを示します。つまり、初期の段階では翻訳者たちは神のお名前を単純に別の言葉や記号に置き換えるのではなく、そのまま保存しようとしていたのです。
しかし時代が下るにつれて、多くのギリシャ語写本では神のお名前の代わりに κύριος(キュリオス、「主」) が用いられるようになりました。神の固有名YHWH(テトラグラマトン)よりも称号を用いる流れが徐々に広がっていったのです。
やがて起源は分かりませんが、ノミナ・サクラ(Nomina Sacra、「聖なる名称」)と呼ばれる特殊な表記法が発展しました。「神(ΘΕΟΣ)」「主(ΚΥΡΙΟΣ)」「イエス(ΙΗΣΟΥΣ)」「キリスト(ΧΡΙΣΤΟΣ)」などの神聖な名称を、特別な略記で表すようになりました。
Θεός(神)→ ΘΣ Κύριος(主)→ ΚΣ Ἰησοῦς(イエス)→ ΙΣ Χριστός(キリスト)→ ΧΣ
その起源については複数の説がありますが、ユダヤ人が神名を特別な表記で扱っていた伝統との関連を指摘する研究者もいます。もしかするとユダヤ人写字生のように神のお名前を写すことを、神聖な作業ととらえていなかった、宗教色の影響のない写字生たちが、単なる作業上、効率を重視して略記を考案したのかもしれません。
一方、ユダヤ人社会ではアラム語訳聖書(タルグム)が発展しました。タルグムは七十人訳から翻訳されたものではなく、主としてヘブライ語本文から翻訳されました。一部のタルグム写本・印刷伝承では、四文字神名に対応する箇所に 「יוי」などの特徴的な書記形が用いられます。これは通常のアラム語名詞「主」と単純に同じものではなく、ヘブライ語本文の神名箇所を示す書記的代替表現として機能しました。
シリア語のペシタ旧約は主としてヘブライ語に基づく古い翻訳伝承があります。ペシタ新約の特に福音書は、古シリア語福音書伝承をギリシア語本文に近づけて改訂した本文と理解されています。両者は後に、シリア諸教会の標準聖書として一つの聖書伝承を形成しました。
シリア語訳聖書(ペシタ訳)では、神のお名前に対応する表現として マールヤー(Māryā、ܡܪܝܐ) が広く用いられました。ここで興味深いのは、この語が通常の「主」を意味する マーラー(mārā、ܡܪܐ) と区別されていることです。ペシタ新約では、旧約のYHWH本文を引用する箇所や神を指す文脈で、ܡܪܝܐ 「マールヤー(Māryā)」が用いられます。また、一部のキリスト関連文脈にも同じ語形が現れます。これは通常の「主」を意味する「マーラー(mārā)」とは明確に区別されました。
多くの研究者は、この語が単なる称号ではなく、テトラグラマトンに対応する特別な神名的表現として機能していたと考えています。東方教会では、ペシタ旧約は四文字神名のヘブライ文字や推定発音をそのまま保存したのではありませんが、神名箇所に ܡܪܝܐ という慣用的な対応表現を用いることにより、本文上の特別な機能をシリア語の中で維持しました。
一方、西方教会では、4世紀末から5世紀初頭にかけて、ヒエロニムス(Jerome)によってヘブライ語およびギリシャ語からラテン語へ翻訳されたウルガタ訳聖書が大きな影響力を持つようになりました。ヒエロニムス自身はヘブライ語を学び、ユダヤ人教師たちとも交流しながら翻訳を行いました。そのため、彼はテトラグラマトン(YHWH)の存在を十分に認識していました。実際、彼の著作には、神のお名前がヘブライ語で四文字から成る特別な名前であることについての言及が見られます。
しかし、ウルガタ訳では多くの場合、YHWHは Dominus(主) によって表現されました。こうして西方教会では、神の固有名よりも「主」という称号を用いる習慣が次第に定着していきます。その結果、東方教会がシリア語聖書の中で「マールヤー(Marya)」という特別な表現によって神のお名前の特別性を保持しようとしたのに対し、西方教会では「Dominus」という称号を中心とする伝統が形成されました。
さらに中世ヨーロッパでは、ウルガタ訳が事実上の標準聖書となり、神のお名前そのものよりも「主」という称号が広く用いられるようになりました。後代の多くの欧州語訳聖書も、このウルガタ訳の影響を少なからず受けています。
2世紀後半:シリア語教会の始まり
この時代、キリスト教はエデッサ(現在のトルコ南部)を中心とするメソポタミア地域に広がっていました。最初に広く読まれたのは、タティアノスという人物が四つの福音書を一つにまとめた「ディアテッサロン(四福音書合本)」でした。まだユダヤ教的な背景が強く、キリスト教が独自のアイデンティティを確立しようとしていた初期宣教の時代です。
3世紀~5世紀:「古シリア語訳」
3~5世紀には、後に古シリア語訳(Old SyriacまたはVetus Syra)と呼ばれる分離福音書のシリア語本文が流通しました。現存する主要な「古シリア語写本」はSinaiticusとCuretonianusです。これらには ܡܪܢ(Māran、「我らの主」)、ܡܪܝ(Māri、「私の主」)、ܡܪܝܐ(Māryā)など複数の主称号が現れます。
4世紀:神性をめぐる論争と「エフレム」の神学
4世紀に入ると、教会の歴史を揺るがす大きな変化が起こります。「ニカイア公会議(325年)」が開かれ、「イエスは父なる神と同じ神性を持っている」という教義が確立されました。シリア語圏では、聖エフレムという偉大な詩人が、「旧約聖書で現れた主(ヤハウェ)こそが、新約聖書のキリストである」と強く訴えました。このように4世紀のシリア語著述家アフラハトやエフレムの聖書引用は、古シリア語訳および初期ペシタ訳伝承の再構成に重要な影響を与えたと考えられています。
5世紀:標準となった「ペシタ訳」と神名「マールヤー」
4世紀末から5世紀初頭頃、古シリア語福音書をギリシア語本文により近づけた改訂本文が標準化し、後にペシタ新約と呼ばれるようになりました。古シリア語訳とペシタ訳の間には語彙、語順、固有名詞、代名詞、引用形式など多くの差がありますが、それらすべてを教義的な書き換えとみなすことはできません。ペシタはその後、東西両シリア教会の標準的聖書となりました。古シリア語訳ではܡܪܢ(Māran、「我らの主」)だった箇所が、旧約聖書で唯一の神を指す特別な神名を指す「マールヤー(ܡܪܝܐ)」へと書き換えられました。
6世紀〜7世紀:教会の分裂とより精密な翻訳
その後、シリア語圏の教会は神学的な対立から「東方シリア教会」と「西シリア教会」に分裂してしまいます。しかし、興味深いことに「ペシタ訳」はどちらの教会でも共通の聖書として愛され続けました。6世紀にはフィロクセノス訳系の改訂が行われ、616年にはトマス・オブ・ハルケルがギリシア語本文の形式を極めて厳密に反映するハルクレア訳を作成しました。神名「マールヤー」とギリシア語の「主(キュリオス)」がより精密に対応付けられていきました。
原始キリスト教が保存したもの
原始キリスト教は何を保存していたのでしょうか。保存されるべきものは文書だけではありません。「実践」 もあります。イエスは、「その実によって彼らを見分ける」と述べました(マタイ7:15-20)。さらに、聞くだけで実践しない人と、聞いて実践する人とを比較しています(マタイ7:24-27)。つまり真理は、文章だけでなく実践としても保存されなければなりません。
原始キリスト教には少なくとも次のような特徴が見られます。神の王国を中心とする信仰、家から家へと訪ねて証言する伝道活動、世界的な兄弟愛、敵を愛するほどの平和を追求する姿勢(イザヤ2:4)などです。こうした特徴は単なる教理ではなく、実践が関係しています。中には命がけで実践した人々、良心的兵役拒否者として国家から迫害された人たちもいました。後の章で、原始キリスト教の実践的特徴を紹介していきます。
真理は自動保存?
真理は自動的に保存されるのでしょうか。聖書自身は、そのようには教えていません。イエスは偽預言者が現れると警告しました。ペテロは偽教師が現れると警告しました。ローマ16章17節では分裂を起こす者への注意が語られています。ヨハネ第二9-11節ではキリストの教えにとどまらない者への警告があります。つまり新約聖書そのものが、真理は放置すれば劣化し得ることを予告しているのです。
復元を試みた人々
歴史の中では、保存だけでなく復元も行われてきました。アリウスやソッツィーニ派、アイザック・ニュートン卿などです。彼らは時代も背景も異なりますが、共通点があります。それは、伝統よりも聖書そのものへ戻ろうとしたことです。
ニュートンは有名な論文の中で、聖書本文の一部に生じた「corruptions(本文の改変・腐敗)」について論じました。つまり復元という発想は、近代以前から存在していたのです。さらに十九世紀以降になると、写本学、考古学、原語研究が発達し、聖書へ戻ろうとする動きが活発になりました。その流れの中から現れたのが、後にエホバの証人として知られる聖書研究者運動です。
彼らは伝統や哲学体系から出発するのではなく、「聖書によって聖書を理解する」ことを目指しました。神のお名前に注目し、翻訳史を調べ、写本資料を調べ、YHWHを Jehovah や Yahweh と表記していた翻訳資料を収集しました。
日本でも、明治元訳聖書が「エホバ」を採用し、1914年には左近義弼が新約聖書や使徒行伝に「ヤウエ」などの表記を用いました。仏教や神道の影響が強く、長く鎖国を経験した日本においても、神のお名前を可視化しようとする動きが存在したことは注目に値します。
また近年の新世界訳聖書改訂版では、BHSだけでなくBHQに代表される本文研究の成果も参照しながら、原文に近い翻訳を目指す努力が続けられています。初期の研究は決して完全ではありませんでした。しかし少なくとも、劣化したと考えられる部分を検証し、失われた証言を再確認し、可能な限り復元しようとする強い保存意識がそこには見られます。Onoma.blogでは、復元を試みた人々の資料を掲載していきたいと思っています。
