「聖書の和訳と文体論」(キリスト新聞社、1974)藤原藤男著より引用
第8章「旧約聖書和訳文体論抄」
7 YHWH
「神の名YHWHは、マソラ本文でアドーナイと呼んでいる箇所は、特製の太字『主』と訳出した」とのことであり、そのようにされている。YHWH(yahweh)は神の名であるから、神の名は神の名として打ち出したほうがよいと思う。マソラ学者は、ただ読みを忘れてしまったこの神名の聖四文字に母音符号をつけてアドーナイと読ませたり、エロヒムと読ませたりしただけのことであるから、何もことさらユダヤ人のまねをしてアドーナイ(主)と読む必要はない。いや、それより神の名を意訳するなど、愚の骨頂である。どんなものでも、ものの名というものは意訳などするものではない。このありかたは、日本ではかなりリベラルな聖書協会口語訳が先鞭をつけており、不評を買ったものである。硬骨ファンダメンタリストがどうして軟弱リベラリストのまねをしたものか、了解にくるしむ。ちなみに、元訳には「エホバ」、左近訳には「ヤーエ」、半月訳には、「ヤウエ」、渋谷訳には「ヤハエ」、関根訳には「ヤㇵウェ」、萩原訳には「ヤヴェ」、フランシスコ会訳には「ヤーウェ」、中沢訳には関根訳と同じように「ヤハウェ」、と発音されている。YHWHはハーヤ動詞の第三人称、単数、未完了形における神の名であって、「私は在るという者」「私は在って在る者」ないしは「私はあろうとしてあろうとする者」(出エジプト三・一三、一四)を意味する語であるから、「主」というような語でおきかえて平気でいられるものではあるまい。
補足情報
「元訳」1888年(明治21年) 東京翻訳常置委員会による翻訳
「左近訳」左近義弼
「半月訳」湯浅半月「詩篇」(1937)
「渋谷訳」渋谷 治「創世記」(1941)、「聖詩編 上巻」(1950)
「関根訳」関根正雄
「萩原訳」萩原 晃 「旧約聖書抄」(1947)
「フランシスコ会訳」批判的口語訳「創世記」(1958年)
「中沢訳」中沢治樹「第二イザヤ書」(1962年)
